人はどうして生まれてきたのか

雑感

人間はどうして生まれてきたのか、何のために生きるのか、ということを漠然と考えていた。頭の隅にここ3日間ほどずっとこのテーマがあった。ということは、ぼくの脳は、ぼくに成り代わってこのテーマについて、考えてくれていたのかも知れない。

ということで、書いてみることにした。
生きる意味はない。

いきなり結論を書く。人間は生まれてから死ぬまで、何か誰かに与えられた、つまり神様のような存在に与えられた意味なんてないということではないか。
どうして生まれてきたのか。というのは、男女による生殖活動の中で、数々の奇跡的な組み合わせが実現して、偶然的な物事の積み重ねの中に貫かれる必然的な過程として生まれてくるということだろう。

このようにして生まれてきた子どもを、かけがえのない存在として、大事だと考える親がいた場合、その赤ちゃんは、幸福な生存環境を与えられる。親は、自分の子どもに不思議な感情を持つのではないだろうか。この子が私たちのところにどうやってやってきたのかということを考える。奇跡のような存在だとも感じる。愛おしい。そういう思いを持って、自分の子どもを見つめ、一生懸命育てるという環境があれば、赤ちゃんの一挙手一投足に一喜一憂しながら笑いに包まれて育つことになる。
どうして生まれてきたのか、という意味は、まず親や肉親によって与えられるといえるだろう。

生物的には、別に生まれてきた意味はないので、人間はいとも簡単に死ぬ場合がある。神様に生かされているわけではないので、事故に巻き込まれて死んだり、ベランダから転落して幼くして亡くなったりすることもある。地震で亡くなったり、病気で亡くなったりするときに、どうしてこうあっけなく亡くなるのか、ということもある。それは、蚊が飛んできて、人間の手でパンと叩かれて黒い塊になって生命を終わることと本質的には同じだろう。

人間の死というのは、ぼくたちが思っている以上に、生きる近くに存在している。そういうことなのに、人類が長寿を全うして100歳以上まで生きることができるのは、生物学的に見て、かなり恵まれた環境(社会)を作り上げたということだろう。
いま、ぼくは、定期的に歯の治療に通っているが、江戸時代の人は、歯の治療ができず、痛みに苦しむが、歯が抜けるまで苦しみ抜いて、体力を消耗し、そのことが原因になって、免疫力が落ち、他の病気にかかって衰弱して死んでしまった人もいるだろう。盲腸で苦しみ抜いて死んだ人がいかに多いか。現在ではほとんど死に至らないケースでも、いとも簡単に命を落とすことがあったと思われる。

何のために生きるのかというのは、明日書いてみよう。


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雑感

Posted by 東芝 弘明