国城寮の前寮長さんの告別式

出来事

国城寮の全寮長だったI(アイ)さんの告別式に参列した。橋本市にある葬祭場だった。
Iさんは橋本市の元職員だった。
はじめてお会いしたのは、広域に派遣された職員としてだった。1999年から広域のごみ処理施設の検討が始まっていたので、お会いしたのは2000年頃かも知れない。だとすれば今から12年前になる。

当時、Iさんとは何度かお会いしている。溶融炉必須という条件について、いろいろなやり取りを行った。
再会したのは、今年の8月だった。ぼくは、8月1日の臨時議会で特別養護老人ホームと養護老人ホームを併設している一部事務組合(国城寮)の議員に選任された。
「挨拶によせていただきたい」
議会事務局から連絡を受けて国城寮の職員と会ったのは8月3日だった。
議会事務局に来た職員の中に寮長がいた。これがIさんだった。
挨拶をされたときに、最初誰だか分からなかった。昔の面影と現在の姿がなかなか一致しなかった。

「養護老人ホームを守ってほしいんです。建て替えが必要です。所得の少ない人たちにとって、養護老人ホームはどうしても必要です」
Iさんは真顔でそう言い、「一度、国城寮を見てください」と言葉をついだ。

組合議会は8月8日に開かれた。この議会のあと、ぼくは視察の日を打ち合わせした。
訪問したのは、育成のキャンプの次の日の8月27日だった。
事務長に養護老人ホームと特別養護老人ホームを見せていただいたあと、Iさんに挨拶した。
「実は8月いっぱいで退職することになりました」
Iさんはそう言った。体調が悪いので入院治療を行うという話で、「迷惑をかけるので8月末で退職いたします」
ぼくは驚きながら、話を聞かせてもらうしかなかった。再会したときに誰だか分からなかったのは、ここ数年間病気と闘ってきた結果、ずいぶん痩せていたからだった。

Iさんの訃報を聞いたのは昨夜だった。10月4日に息を引き取られたという。享年62歳(満61歳)退職してわずか1か月でIさんは帰らぬ人となった。
連絡を受けてから参列することを考えていた。
Iさんがぼくに語っていたのは、Iさんの純粋な本音だったと思っている。
橋本市に向かって京奈和自動車道を走りながら、「遺言」ということを考えていた。
この人の国城寮への思いには真剣に向きあう責任があるではないか。
考え続けていたのはこのことだった。

会場には少し遅れて到着した。席について読経を聞きながら、花を棺に入れさせてもらうことを考えていた。
Iさんに会ったのは、数えるほどしかない。組合議員になって会えたのはわずか3回だった。
棺に花を手向ける列に並びながら、Iさんの気持ちのバトンを受けとめたいと思っていた。受けとめるためには、最後にIさんの顔を見たい、会っておく責任があると思った。

玄関口に写真が飾られており、平成24年8月31日付けの感謝状があった。国城寮の寮長を務めてきたことに対する市長からの感謝状だった。退職したその日にこの感謝状が贈られたのだと思う。
「この感謝状を受け取って、職場を去ったのかも知れないな」
そんなことが浮かんできた。

国城寮の改築と養護老人ホームの存続。
これが、ぼくの仕事の中心課題の1つになる。


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Posted by 東芝 弘明