自覚と忖度は背中合わせ
国民が自分の考えと信念に基づいて、戦争準備の動きを捉え、個人の尊厳を守るために戦争反対の運動に参加しつつある。小泉今日子さんも、吉川晃司さんも、そういう人たちの流れの中にあるだろう。明らかに、国民の中に自分の頭で物事を考え、何が大事かを見据えて、政治にコミットする人が増えている。このムーブメントは、明治以降の多くの作家が、近代的な自我の目覚めを自覚し、政治や社会と向き合おうとした動きとも歩調があっている。
戦前は、こういう作家や知識人の動きは、弾圧され、もの言えぬ流れの中へと押し込められていった。作家の多くは、抵抗しきれず戦争に加担する人もかなり出てきた。近代的な自我の確立という自然発生的であった自由を求める動きは、戦後の日本国憲法の中で育まれることとなった。
ぼくは1960年生まれの66歳。ぼくが入ったころの1978年当時の日本共産党は、下級は上級に従いという日本共産党の規約のもとで活動をしていた。上級機関の決定には無条件で従うというような文化があり、実際にそういう運用もなされていた。自覚した民主的な人々による日本共産党の組織であったことは間違いないが、組織の運営は、上級機関に対して従うという側面が強かった。
しかし、それは、日本共産党だけの文化ではなかったのだと思う。企業戦士と呼ばれる人々は、永久の就職先として会社を選び、会社=家族、会社=村というような感覚で、多くの企業戦士は会社に忠誠を尽くしていた。その中で「モーレツ社員」という言葉も生まれ、バブル経済の走りだったころは、「24時間戦えますか」が売り文句のコマーシャルが大人気だった。
日本共産党は、2000年の規約改正で、前衛党であるという規定をなくし、下級が上級に従うという規定も廃止し、党の役職は単なる役割分担であって、身分を表さないということとなった。そのことを通じて、県委員会にもあった「名誉県委員」のような名誉職もなくなっていった。支部が主役だといい、支部の自覚的な運動によって党組織を発展させるというようになり、党中央委員会の決定であっても、県委員会や地区委員会がそのことに異議を唱え、決定の変更を求めるようなことも実際に起こった。
2026年のこの現在の政治的な土台は、一人一人の個人が、自主的、自覚的に政治や経済について考え、日常の暮らしの視点から政治や経済の問題に対して、異議を唱え、改革を求める方向へと変化しつつある。この変化の一員として、日本共産党の組織もある。
党中央の方針を読んで、それを現場のたたかいに生かす。そのときに問われるのは、正確な方針理解、方針の無条件全面実践などではない。如何にして、現実の政治や経済を把握して、運動方針とたたかいを組織するのか。問われているのは、こういうことだ。党中央の方針をオウム返しに伝えても、それは運動の力にはならない。求められているのは、方針を踏まえた上でのより具体的な分析、より具体的な総合、より具体的な方針だろう。
「憲法守れ」「戦争反対」を唱え、集まってきている人々に対し、日本共産党が必要だと思われ、魅力的だと捉えられるような運動を組織しなければならない。一人一人の国民が自覚的に立ち上がっているとき、日本共産党は、個人の自由な生き方を励まし、この自由な生き方と日本共産党員になることが、全く矛盾せず、むしろ個人の自由や個人の自己実現が実現できる生き方として、日本共産党が存在していることを、豊かに示すことが求められている。
保守的な傾向をもったさまざまな団体の中には、空気を読む力と忖度する力が、厳然と存在しており、支配的な政治勢力は、こういう傾向を最大限に利用して、国益、非国民というようなレッテルを貼って、分断と萎縮を活用している。
自覚的な人々の運動が大きくなり、空気を読む力と忖度に絡め取られている人々に影響を与え、自分で物事を考え、立ち上がることが大事なんだということを伝えていくことが問われる。今はまだこの傾向が背中合わせに存在している。







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