憲法は誰に押しつけられたか?

雑感

昼から9条の会で憲法について、15分ほど話をすることになっていたので、赤旗の切り抜き「9条考える」を読み、簡単な資料を作成した。9年前に「憲法カフェ」のために作った資料の最初の2ページを活用し、後の資料は憲法そのものを使用した。

国連憲章ができた後、ポツダム宣言が作られているので、第二次世界大戦後の新国際秩序の確立と、日本の降伏とは一体のものとして打ち出され、日本はこの宣言を無条件で受け入れ、戦後が始まった。したがって、ポツダム宣言には、国連憲章の精神が真っ直ぐに反映したものとなっている。この宣言を受け入れたのは、大日本帝国である。この戦争終結に向けた経緯を否定することはできない。これを否定するのは、歴史を知らない者のすることだと思われる。

つまり、ポツダム宣言の受け入れは、日本の政治勢力の基本的合意であってしかるべきだということだろう。ここを否定することは、第二次世界大戦終結をも否定することにつながる。

国連憲章とポツダム宣言の親和性について、今回はGeminiに聞いてみた。次のような回答が返ってきた。

国連憲章ができたのが1945年6月26日、ポツダム宣言が作られたのは1945年7月26日。国連憲章が、連合国によって署名されてからちょうど1か月後に作られたのがポツダム宣言だった。日本がポツダム宣言の受け入れを公表し降伏したのが、1945年8月15日であり、この文書に調印したのが1945年9月2日だった。
ポツダム宣言は、日本に対して、軍国主義の排除、民主主義の復活・強化、基本的人権の尊重を求めた。この宣言に調印した日本は、ポツダム宣言の要請に従って新しい憲法を作ることになった。
押しつけ憲法という言い方がされる。しかし、明治以降、日本国民は新たにできた絶対主義的天皇制政府によって、明治憲法を押しつけられてきた。江戸時代が終わるまで政治的な力をもっていなかった天皇が実権をにぎり、「万世一系の天皇これを統治す」となった。なんだこれは?という状態だったと思われる。日本にとって初めての憲法である明治憲法は、「天皇は神聖にして侵すべからず」ということを国民に押しつけ、国民の自由と権利は、ことごとく法律でそれを縛るということを押しつけた。

それでも、この憲法は資本主義の発展によって支えられたものでもあったので、江戸時代の制約から一定程度国民を解放するものでもあった。

しかし、国民に戦争を押しつけ、軍国主義を押しつけ、民主主義運動を弾圧し、基本的人権を認めず踏みにじってきたこの憲法体制は、恒久平和、国民主権、基本的人権を基本とする日本国憲法として、再出発することを余儀なくされた。日本政府が作った憲法の骨子は、この要求にそうものではなかったので、GHQは10日間で憲法草案の骨子を作成した。アメリカによって押しつけられたという根拠はここにある。

しかし、一体誰が、誰に日本国憲法を押しつけたのかを考えると、違った事実が見えてくる。日本はポツダム宣言を受け入れ、憲法を改正する必要に迫られ、自分たちの手で憲法草案を作ることが求められた。しかしGHQは、ポツダム宣言を体現していない「松本委員会試案」を受け入れず、「マッカーサー草案」を作ったということだ。経過から見ると押しつけたのではない。しかし百歩譲って押しつけたとすれば、押しつけたのはGHQ、しかし、押しつけられたのは、第二次世界大戦を遂行し、国民を戦争にかり出していた勢力だった。新しい憲法は、苦しめられていた日本国民にとっては、新たな希望、国民解放のためのものだった。押しつけと感じたのは、絶対主義的天皇制を最良とする勢力だった。

これらの人々の中に高市首相もいる。自主憲法を制定したがっている自民党の中の人々は、恒久平和、国民主権、基本的人権は日本の歴史と伝統に合わないとまで言っている。こういう考え方だから、今の憲法のことを「押しつけ」だというのだ。押しつけ憲法論は、第二次世界大戦の結果と戦後全世界で進められた戦後の平和と民主主義への、歴史を巻き戻す挑戦に他ならない。

日本国憲法は、明治維新から太平洋戦争での日本帝国主義の敗北の歴史を背負っている。この反省文は、戦後80年経っても色あせない。自民党がこの憲法を改正できなかったのは、その要求が世界の進歩に逆らうものだったからだ。だからこそ、今回の憲法改正は、国民を騙し、ごまかす中でしか成立しない。

雑感

Posted by 東芝 弘明