人は何のために生きるのか
人は何のために生きるのか。
この問に対しては、答えは人によってずいぶん違うだろう。幅がものすごくあるということかもしれないし、そもそもそんな幅もないかも知れない。
そういうものだから、答えのない問題に対して、答えるようなところがあるので、自分のことをまず書いてみる。
ぼくは何のために生きるのか。
ぼくの場合は、18歳で日本共産党に入ったことが大きい。10代でまだどういう仕事に就くかということも定まっていなかったけれど、日本共産党の一員になったことは、それからの人生の基本になった。日本の歴史、とくに明治以降の歴史を深く学び、日本共産党がその中で、侵略戦争に反対し、国民主権の実現をもとめ、それは実現するという見通しをもった生き方を、ぼくも持ちたいと思った。世の中を見通す目は、科学的社会主義の理論にあったのだという思いは、日本共産党に入党したときから持っていた。しかし、このような思いは、極めて頭でっかちだった。18歳はまだ、人生体験なんて中学と高校の時代ぐらいしかないので、「小林多喜二のような生き方は、ぼくにはできない」みたいなことも考えていた。
人生を漂流して生きるのではなく、羅針盤をもって生きる。羅針盤をもって生きる生き方が、ぼくにとっては、日本共産党に入党することだった。科学的社会主義の理論を学ぶことが、羅針盤について学ぶことだと思っていたし、今もそう思っている。
夜間大学のマルクス経済学の講義は、食い入るように聴いていた。講義が終わった後も、延々と車の中で同級生に講義の内容を話したりしていた。日本共産党に入り、日本社会の動き、世界の流れ、今の時代を歴史の中でとらえるようなものの見方が、ものごとを捉えるときの基本となった。
こういうものの見方と、自分の生き方は結びついていたと思う。自分の人生で大きく視野が広がったのは、30歳で議員になったことだった。議案として出されてくるものを具体的に調べ、それに対して自分自身の考え方を対置するようになって、日本共産党の論理を、具体的事実に沿ってさらに具体的に追求することとなった。日本社会が、地方自治体を通じて、どのようにして国民を支配する政策を貫徹していくのかということを、具体的に知ることができるようになった。
一例を挙げよう。
小泉改革以来、民間にできることは全て民間にという流れは、今も深く続いている。この流れが地方自治体をむしばんでいる。資本主義が、自らの儲けに対して行き詰まりを見せたときに、一つの側面として注目したのが公的な部門だった。公的部門を徹底的に分析すれば、まだ民間の事業が食い込んでいき、儲けを上げることのできる分野は存在する。公的部門を資本主義のマーケットとして把握して、そこに食い込んでいくという考え方が、今も一つの主流となって自治体に入り込んでいる。しかもこの方法が、国の具体的な政策として貫かれている。地方自治体は、この流れを徐々に受け入れつつある。この流れは、自治体が自治体でなくなる道でもある。
「共産主義は一つの運動である。それは理論ではなく事実から出発する」という言葉は、ぼくの記憶ではエンゲルスのものだが、最近、志位さんがこれを「事実から出発して法則を明らかにする」という言葉で表現した(とぼくは思っている)。この言葉がずいぶん気に入った。自分の生き方の基本に据えたいのは「事実から出発して法則を明らかにする」という姿勢だ。
論理的な積み重ねは大事だが、そこから結論を見いだす方法は、結局は演繹的なものになる。演繹的考え方は必要だが、物事を研究するときにそれよりも大事なのは、具体的な事実から法則を明らかにする努力=帰納的方法だと思っている。具体的事実の積み重ねによって法則を明らかにすることによって、今までの理論の積み重ねが崩壊することもあり得る。
議員の仕事も目の前の具体的事実を素直にありのままに把握する努力をして、その中から法則を明らかにすることの積み重ねだと思う。
テーマから横道にそれたようだ。ぼくは何のために生きるのかということに話を戻そう。
人間は、政治と経済、社会と文化、歴史の中で生きている。このようなことを意識している人とあんまり意識していない人がいるだろう。しかし、意識していない人も、「政治と経済、社会と文化、歴史」からは逃れられない。自分の人生をどう生きるかといったときに、流されて生きるのか、それとも一度きりの人生を自覚的に生きるのかという点で、人間は「政治と経済、社会と文化、歴史」中で生きているという問題意識は、極めて大事になると、ぼくは思っている。この問題を意識して生きているのかどうかが、「人は何のために生きるのか」という問に対する一つの出発点になる。
「政治と経済、社会と文化、歴史」の中で生きていることと、人は何のために生きるのかというテーマがどう絡んでいるのか。明日は、このことを書いてみよう。このテーマを追求すると学校教育とは何かに対して、触れることになる。
ディスカッション
コメント一覧
「人はどうして生まれてきたのか」「人は何のために生きるのか」
興味深く読ませて貰いました。いつになく哲学的ですね。東芝さんがこの様なテーマを取り上げるのは久しぶりではありませんか。俺がこのテーマで思い出したのは松本清張の「砂の器」ですね。この事はかなり昔に遣り取りした記憶があります。もうひとつ思い出したのは「運命」とはなんぞや? という事も遣り取りした記憶があります。俺の記憶では人間には「運命」と「宿命」とがあって、2つは似ている様で違う、という事を俺は述べた様な記憶があります。「運命」には4つの要素があって、遺伝、環境、偶然、意志の4つの要素ですね、これが実相だと。何故俺が此の事を知っているのかと言うと、俺が20代の頃大阪に住んでいて、ある知り合いの御老体が京都大学の学生だった頃に、西田幾多郎の最後の門下生だった御老体が西田幾多郎から直接講義を受けた際に教わったという事を俺が教わった訳です。成程と思いました。そして深く記憶に残りました。もう1つの「宿命」ですが、これは「砂の器」で学びました。「運命」は変える事は出来るが「宿命」は変える事は出来ない。何故か? それは「宿命」とは「生まれてきた事その事自体を宿命と言う」という事です。ですから「宿命」を変える事というのは死ぬ事しかない訳です。つまり自殺です。自殺なんかしたく無いですよね。また自殺されても困る。したがって人間は生きている内は生き抜かなければならない。そして死にたくなくてもいつか死ぬ時が来る。ハイデガー的に言えば人間はそれを甘受しなければならない、と言う事です。然し、ハイデガーの時代と違って今は医療が発達し過ぎて普通ならとっくに死んでいて不思議ではないのになかなか簡単に死なない、という厄介な現象がある。尊厳死の問題ですね。俺も親の死を看取った訳ですが、生と死の境界線が曖昧なんだなという思いをしました。俺も医者に当人が苦しまない様に積極的な延命治療はしないで欲しいという事は伝えた訳ですが後悔はしておりません。これで良かったと思っております。
東芝さんは10代の頃に共産党に入党したという事ですが、そこら辺をもっと詳しく聞きたいですね。何故なら、その事が東芝さんの青春時代の原点の様な気がするからです。そしてその事は充分東芝弘明という人物がどうやって形作られたのかという興味深いテーマだと思うのです。之は充分純文学的作品にもなりますよ。東芝さんには純文学を書く能力があるのだから才能を眠らせる訳にはいかないと俺は思う訳です。
さて、「人は何のために生きるのか」というテーマがどう学校教育とは何か? に結び付くのか楽しみにしております。