自由と民主主義
戦前の日本の軍隊は、赤紙一枚で兵隊として戦場にかり出し、軍人の命も中国人の命も極めて軽く扱った。日本人兵を縛っていた軍人勅諭には「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」と書かれていた。鴻毛は鴻(おおとり、ガン、ガチョウ)の羽毛のこと。義は大義などの意味はあるが、軍人だから忠義のことだろう。「忠義は山嶽(山岳)よりも重く、死はガチョウの羽毛よりも軽い」、つまり上官の命令には絶対的に服従し、命を惜しむな、ということになる。アメリカ軍が、軍人の命を大事にしたのと比べると、日本軍人の命の扱いは非常に軽かった。
自爆テロを現在の日本は批判的に見ているが、手榴弾を両手に掲げ、戦車に突撃させた特攻の作戦などを見ると、死はガチョウの羽毛よりも軽いとした軍人勅諭が、作戦にも貫かれたと言わなければならない。自爆テロと違いはない。北朝鮮の国と似ていると言わざるを得ない。
中国は長い間人間を金銭で売買することが横行していた国だった。こういう国の中で誕生した中国共産党は、当然社会の影響を受ける。中華民国は、1912年に成立したが、日本による侵略の中で国土は荒廃した。中華民国は、日本帝国主義の侵略を打ち破って勝利したが、その後中華民国を支えていた国民党と中国共産党とは内戦状態になり、中国共産党は、この戦争に打ち勝って、鉄砲の力によって1949年、革命を成し遂げた。中国共産党にも、非常に命を軽んじる傾向があった。文化大革命の時にも、天安門事件の時にもこの傾向は明白に現れた。いとも簡単に粛正だと言って銃殺刑に処す国というのは、野蛮としかいいようがない。それは、中国の社会の到達点の反映でもあったのだと思う。
発達した資本主義国であったドイツに台頭したナチスは、ワイマール憲法を踏みにじって、全権委任法を発令し、ヒットラーに権力を集中した。その結果、資本主義国でありながら独裁国家という形態を取るようになった。国民を徹底的に弾圧する政権は、ユダヤ人の迫害という恐怖政策を採用するようになる。ユダヤ人であることが、許されなかった時代というのは、狂気の時代だった。
アメリカは、第2次世界大戦の時に、日系日本人の一世と二世を強制収容所に隔離した。軍による監視体制の下での収容所は、移動の自由さえ与えなかった。日本人はジャップと言って差別され、レストランもホテルも立ち入り禁止、ジャップには商品も販売しないという傾向が非常に強く存在した。
自由と民主主義は、平和で豊かな時代の中で次第に培われる。資本主義=自由と民主主義ということには単純にならない。資本主義であっても、国家が独裁化して、国民を弾圧した例は多い。国民主権と基本的人権を守るということ、言い替えれば、国民主権と国民の政治的市民的自由を保障することは、資本主義の下で国民の運動によって勝ち取ってきたものに他ならない。
アメリカの歴史が、そのことをよく物語っている。自由の国アメリカは1970年代の半ばまでインディアンを国民としてカウントしていなかった。黒人に対してはあからさまな差別は、長く存在してきた。人種差別は、完全になくなってはいないが、改善はされてきている。これは、アメリカの中で長い長いたたかいによって勝ち取られてきたものだった。
現在の日本はどうだろうか。日本の自由と民主主義は、今もなお心もとない。在日朝鮮人や在日韓国人へのヘイトスピーチが目立つようになり、排斥運動が強まり、中国人や韓国人を敵視する傾向は、当然のこととして、国民にもその矛先を向ける。中国や韓国と仲良くしようというメッセージが、攻撃の対象になっているのをみると、国民弾圧と迫害の時代への逆行を感じる。国民の中にあるこういう傾向は、権力側が国民を分断し弾圧しやすい状況をつくる。外国人排斥の傾向は、容易に国民弾圧の仕組みに利用される。特定秘密保護法が制定・施行され国民弾圧の手筈が整えられつつある。政府を批判する人々が、暴力的な言葉でののしられ、萎縮させられる傾向は、言論弾圧の土壌づくりに一役買っている。
ヘイトスピーチは突出しているが、今の社会にまったく根が存在しないというものではないだろう。日本の職場には自由にものが言いにくい状況がある。政治の話は御法度という雰囲気の職場は多い。パワハラもモラルハラスメントも、セクハラも泣き寝入りしなければならない状態が当たり前のように存在していた。職場内で訴え出ることが、受けとめられるような状況は徐々に広がっているが、そういう状況を広げるために、努力した人がたくさん存在している。状況は、切り拓かれなければならない。こういう物言えない社会というものが根底にあって、その上にヘイトスピーチが存在している。日頃ものが言えない状況にあるから鬱憤晴らしのようにヘイトスピーチに走っている人もいる。
このような状況のもとで安全保障法案が審議されている。
飛躍して書いておこう。
自由と民主主義への弾圧と戦争。戦争を許すことは、日本の北朝鮮化への道につながる。戦争は、自由と民主主義を破壊する最大のテコになる。
ディスカッション
コメント一覧
特攻と自爆テロを同一視して扱うなど言語道断!!!!
特攻は敵軍事目標のみを標的とし目的対象が明確で国際法上合法。
正規軍が正当な武力をもって国際法上認められた敵軍事目標に攻撃するものです。
自己犠牲の極みともいえます。
自爆テロは非正規軍のテロリスト(民間人)が
無差別に国際法上巻き込んではならない民間人を巻き込む。
目標は軍事施設ではない。
次元が全く違う。
北朝鮮と似ている?
特攻出来るような自己犠牲をできる朝鮮人が今現在一人でもいますか?
特攻にいった若者達は日本が勝てるなんて思って
逝った方は一人もいないでしょう。
だけど、祖国、郷土、家族を守るため、
あるいは和平交渉の条件とか、戦後の日本の国際的地位
を守るんだって逝った方も多いです。
特攻を諸外国はいまだに恐れてるし
彼ら英霊は日本を守ってくれてるのです。
卑怯な自爆テロと同一視するとは本当に腹が立ちます。
東芝さんそれはないですよ。
お願いですから発言を訂正して下さい。
けんけんさん
横からすみません。
たしかに攻撃対象の点で異なりますよね。
自爆ということ、人道的な点や精神性という点については、特攻と自爆テロとは異なりますか。
特攻は、当時の思想や教育により、その行為が祖国、郷土、家族を守ると信じて犠牲となった方もいらっしゃると思いますし、諸外国は特攻を恐れるというのもわかります。
自爆テロは、何によって動かされると思いますか。国際社会はテロに屈してはならないとは思います。が、恐るるに足らないものですか。
自爆テロの中には、民衆を巻き込んでテロを行う場合と戦闘行為の延長として敵軍に対しおこなうものがあるようです。敵軍に対しておこなう自爆テロは、特攻作戦と同じですよね。
自爆テロと特攻作戦は、なかなか明確に区別できないというのが、ウキペディアにも書かれています。
あの戦争が中国や東南アジアに対する侵略戦争だったことは、中曽根元総理が認めた通りです。この侵略戦争の中でどうして特攻作戦が実行に移されたのかを考える必要があります。
根底には、軍人勅諭の「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」という精神にあると思います。天皇の軍隊としての日本軍は、「一旦緩急あれば義勇公に報じ」という教育勅語で教育され、軍人になれば、死は羽毛よりも軽いという精神で統一されていたということです。戦陣訓の「生きて虜囚のはずかしめを受けず」という精神によって、集団自決した例もたくさんありました。当時の国際法でも、捕虜は大切に扱う必要がありましたが、日本兵にはこういう国際法は伝えられていませんでした。
人命軽視の極端な特攻作戦が、日本の中でどうして生まれたのか、という問題は、国民主権のない国、基本的人権が保障されていなかった日本の民主主義の到達点の問題として捉える必要があると思います。
イスラム原理主義者の自爆テロでは、そのことで死ねば天国に行けるんだと
イスラム教の教えから洗脳していきますから動機は私利私欲です。
おまけに何の罪もない無抵抗の民間人を虐殺し、平和的な施設をも目標とする。
国際法上国内法上でも重罪なのです。それにかかわった人も同罪です。
敵軍に行おうがなんだろうが私利私欲によって動いてるのが自爆テロです。
では特攻はどうか
私利私欲で特攻に逝ったものが一人でもいたのか。
自分はどうなってもいい
日本国、郷土、家族、恋人、友人を守りたい・・・・。
公を守りたい。そう願って皆逝ったんです。
滅私以外の何物でもありません。
東芝さん・・・
知覧に行ってください。彼らの遺書を見て
特攻に行ったあなたがたは私利私欲の自爆テロと同じですねと言えますか?
個と公
真逆のものを同一と認識する。
誰でも編集できるウィキペディアなどを引用しながら・・・
情けないと言うしかありません。
日本人として本当に悲しいし恥ずかしいことです。
日本の軍隊は、天皇の軍隊でした。公的なものではありません。上官の命令は朕の命令と心得よということであり、武器には天皇家の紋章である菊がすべて付いていました。
「天皇陛下バンザイ」と言って死んだ人が何人いるかは知りませんが、教えとしてはそう教えていたのです。
北朝鮮の個人崇拝とどう違うのでしょうか。
イスラムの宗教的な教えが、けんけんさんのいうとおりだとすれば、現人神である天皇と、神話に基づく建国の話を信じ込ませていた教育とどれだけの差があるというのでしょうか。
日本は神の国だと思っていた人々はたくさんいました。あれだけ空襲を受けて壊滅的な状態にあったにもかかわらず、やがて神風が吹いて日本は戦争に勝つと思っていた日本人もたくさんいました。
死んだら靖国に祀られるというのも宗教的ですよね。
日本は、憲法を制定しながらも、枢密院、元老、御前会議、大本営など憲法に基づかない国家体制があり、法治国家としては、十分な形をなしていない状態にありました。
けんけんさん
よくわかりました。
特攻については、その実行者は私利私欲のためではなく、自分以外の何かのために逝ったのですね。
自爆テロについては、その実行者は自分が天国に行くという私利私欲のために逝くわけですね。
このことについては、とくに自爆テロについて情報の出処を教えていただければ幸いです。
では、特攻と自爆テロ、その実行者ではなく命令する立場の人たちについてはどうでしょうか。
また、もうひとつお聞きしていた、自爆テロは恐るるに足らないかについてはいかがですか。
歴史を遡って現代の尺度で物語る事に何の意味があるのでしょうか。
祖父が鎖国していた江戸時代で明治生まれの親に育てられた当時の日本人倫理観は
天皇を中心とした国家であり天皇を神と崇拝していましたが、
それを現在の倫理観や情報グローバルな時代と同等に扱って
論じた所で意味を成さないと思いますよ。
現在の恵まれた環境を捨てて敵国と「欲しがりません勝つまでは!」
な~んて日本人が何人いることやら。
安保法案も原発も全て飛躍させて悪戯に不安を煽っているだけじゃないですか?
そのために厳重なシビリアンコントロールは主義主張関係無く全ての国民が
望んでいるわけですから。
ワタナベさんへ。
追記です。あの第2次世界大戦のとき、カイロ宣言が発せられました。
カイロ宣言の抜粋です。
「三大同盟国は日本国の侵略を制止し且之を罰する為今次の戦争を為しつつあるものなり
右同盟国は自国の為に何等の利得をも欲求するものに非す
又領土拡張の何等の念をも有するものに非す
右同盟国の目的は日本国より千九百十四年の第一次世界戦争の開始以後に於て日本国か奪取し又は占領したる太平洋に於ける一切の島嶼を剥奪すること並に満洲、台湾及澎湖島の如き日本国か清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還することに在り
日本国は又暴力及貧慾に依り日本国の略取したる他の一切の地域より駆逐せらるへし
前記三大国は朝鮮の人民の奴隷状態に留意し軈て朝鮮を自由且独立のものたらしむるの決意を有す」
カイロ宣言は、日本が1914年の第一次世界大戦の開始以後、取得した外国の領地をすべて返還すること、1910年に韓国を併合したことについても、朝鮮の自由且独立に言及している。
あの当時の観点から見ても、日本の侵略戦争や韓国併合は、裁かれるべきものだったということです。
安倍さんたちは、戦前の日本にあこがれており、そのために特定秘密保護法を制定し、国民を監視する体制をつくりました。日本の戦争遂行勢力が考えているのは、戦前と似通っているということです。
ワタナベさんへ。
歴史を現在の尺度で論じているわけではありません。
自由と民主主義という観点で見た場合、当時の日本やアメリカ、中国にはどういう考え方で動いていたのかということを書いたということです。特攻隊がどういう状況下で生まれたのかということもその一つです。
もちろん、ぼくは21世紀に生きる人間ですから現在の視点で当時の日本を見ています。それは、歴史学的な方法としては、当たり前だと思います。
現在的な視点で過去を見るわけですが、事実をありのままに見る努力が大切なのは、言うまでもありません。そういう姿勢で書いたということです。