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総合型クラブの全国大会

On 2012年5月19日, in 雑感, by 東芝 弘明

第6回全国スポーツクラブ会議に参加した。いまも車座で交流中です。


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空に吸われし十五の心

On 2012年5月19日, in 雑感, by 東芝 弘明

役場の玄関前の東寄りのところに車を停めた。畑の柿の葉が目に入ってきた。黄緑色の若葉が柔らかそうに見える。命が芽吹いている。5月は、命が競い合うようにあふれ出る。
役場の2階の北向きの廊下には明るい光が差し込んでいた。夏の光りを思わせるものだった。夏が季節の中に押し入ってきた。
春はある日突然夏に変わる。夏は一気に立ち上がる。
速きこと風のごとし。

風が街路樹の葉をざわめかせていた。風の流れが葉の動きによって目に見える。葉の先に見える青い空は淡い色をしている。

不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸われし
十五の心

この歌に歌われている空は、真っ青に澄みきった空だろう。真っ青な空を眺めていると、空の色が胸の中にしみ込んでくる。石川啄木はこの感じを「空に吸われし」と表現した。ぼくはそう信じている。

何も考えずに景色を見ていると、季節が胸の中にとけ込んでくる。
心を解放すると季節の動きが胸の中にしみ込んできて、動いている季節が見える。
柔らかそうな黄緑色の柿の葉は、季節の動きを感じさせてくれた。こういう体験をした日の記憶は、意識の中に長く留まる。
小さな幸せが黄緑色の葉の上で光っている。


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会議の改善、実践編

On 2012年5月17日, in 雑感, by 東芝 弘明

会議の改善に取り組みはじめている。
集まった人が頭を働かせ、充実感が味わえるとともに、みんなが納得して物事を決定するような会議にしたい。こういう欲張りなことを考えている。
実践する機会はたくさんある。
進行役を買って出ればいい。進行役は司会者ではないというところが面白い。

会議の活性化の成果は上がりはじめている。見違えるような会議ができたときは、参加した人の顔色が晴れやかになる。
うまくいっていない会議は、ものすごく悲惨だ。終わったときの顔色で会議の出来、不出来が分かる。参加する会議では、うまくいっていない会議の方が多い。

進行役をつとめた会議でも、この前は失敗した。
進行役を買って出ているぼくに対して質問が出た。
「大企業は敵だというようないい方をしているんじゃないの?」
この問いかけに、ぼくは答えるべきではなかったのに、気がついたら、日本における新自由主義とは一体何だったのかという説明をしていた。話はどんどん展開した。
これではいけない。会議は講演会ではないのだから。
(ちなみに日本共産党は、大企業を敵だとはいっていないし、思ってもいない。大企業は敵ではない。大企業が非人間的な側面をむき出しにするのは、資本蓄積のあくなき追求(=利潤の果てしなき追求)という性格による。巨大資本は、利潤の増大のためには悪魔とでも契約する。日本共産党は、こういう性格とたたかっている。このような大企業の傾向を是正するためには、日本社会に民主的なルールを確立する必要がある。社会制度として民主的な規制が必要だと考えている。日本共産党は、ルールある経済社会を実現すれば、大企業の利益も増大して、さらに発展するという立場に立っている)

いかにして、参加者みんなが頭を働かせて考えるか。
主催者兼進行役の場合、なかなかむつかしい。進行役に徹しているときは、進行役のぼくに問題が投げかけられても、冷静にみんなに議論を振り向けることができる。
提案しつつ同時に進行役を行うと、問いかけに答えてしまう。
これは大きな落とし穴だ。
「質問に対して自分で答えてはならない」
このことを肝に銘じることができるかどうか。
「東芝さんに答えてほしんやけど?」
「はい、まってました」──こう思ってはならない。
ラブコールにはすこぶる弱いのだけれど、この甘い誘惑によろめいてはならない。

今日あった会議では、「質問には答えない」ことを肝に銘じて会議に臨んだ。
昼下がりの眠たい時間。風が窓から入って、東の窓へ抜けていく。紙がめくれ上がろうとする。風は少し生暖かい。手作りのイチゴ大福が美味しかった。
「共産党が政権を取っても民主党と同じようになるんじゃないの?」
この質問には、答えないでみんなに意見を求めた。
「よしよし、上出来だ」、内心こうつぶやいた。
でも、長い発言が出てきた。話がテーマから離れていく。脱線する時間が長い。
真剣に耳を傾けていると、会議の時間が10分足らずとなった。
時間がなくなってきたので、決まらないことを脇に置いて、こちらから作業日を提案した。
みんなで作業する日が決まった。

失敗したのは、「あと5分で行動日を決めてほしいんですが、いかがですか」としなかったことだ。決めるのは会議の参加者。進行役ではないということを忘れていた。
この問いかけは基本中の基本。これを忘れるとは、まさに修行が足りない。


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トイレの水漏れ

On 2012年5月16日, in 雑感, by 東芝 弘明

自宅のトイレの水道のパイプのどこかから水漏れしているらしく、トイレ奥の8畳の入口にある戸の敷居に水がしみ出してきた。
これを発見したのが先週のことだった。
水道工事をいつも頼んでいるお店に電話を入れると、旦那さんがハコバンで駆けつけてくれた。
手洗いの下にある蛇口を止めたり、軒下に入って調べてくれた。
軒下は、ぼくのような小柄な人間でも、足を伸ばして、体を真っ直ぐにしないと入れない。廊下の真下に入るためには、四角い穴を通る必要がある。この穴に入るためには、腹ばいになる必要がある。旦那さんはぼくよりかなり背が高いので、這いながら入ると服が汚れたに違いない。
ぼくの事前確認では、基礎のコンクリートの一ブロックがじっとりと濡れていた。濡れている範囲は、襖戸一枚分だった。これでだいたい漏れている部分が特定できた。
相談した結果、「タイルを割って中を見てみよう」ということになった。
タイルを切り取ると、中からコンクリートブロックが見え、その中を水道の灰色いパイプが通っていた。
旦那さんが、懐中電灯を照らすと上の方からかすかに水がにじんできている感じがした。懐中電灯を当てるとコンクリートがキラキラ細かく光る。水が光りを弾く。妙に綺麗だ。
「水道のメーターを見ても動いていないんで、ほんのちょっと漏れてるだけやとおもうで」
光りを弾くコンクリートを見て旦那さんが説明する。
「なるほど」
心の中で相槌を打つ。
水道のパイプが下から上がって来ているので、下から立ち上がっている水道管をカットして、水を止めてみることにした。
「一週間、様子を見てよ。これで水が乾いてきたら上から漏れていたということやさかい」

「古いんでトイレのタイルと同じ大きさのタイルはないんよ。1センチほど小さくなる。同じ色のタイルもないかも知れない」
こんな風に言われている。築25年以上がたつとこういうことになるらしい。

一晩たったがまだ敷居はぬれたままだ。おそらくこれで水漏れは止まる。そう思いたい。懐中電灯で敷居を照らすことを何度も繰り返している。
わが家のトイレの神様は、どうも悲しいことがあったみたいだ。


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家庭の消費電力は全体の22%

On 2012年5月15日, in 雑感, by 東芝 弘明

昨日の電気の記事でかけている視点があった。
それは、部門別にみた日本の消費電力の割合だ。家庭の省エネでいえば、照明器具における省エネの効果はある。しかし、全体の割合からすれば、省エネの効果はかなり小さい。一方、オフィスや学校などでは、照明器具が占める消費電力はかなり大きい。LED化で効果が上がるのはオフィスや学校だ。
部門別の消費電力の割合を紹介しておきたい。

このグラフの出典は、おそらく政府のものだと思われる(出典が不明だった)。

これは、アイアス株式会社のサイトから引用させていただいたもの。出典は上記の標記のとおり。


家庭の照明の使用電力は、家庭の消費電力の16.1%程度しかない。照明をゼロにしても日本全体では3.5%程度の削減にしかならない。家庭のエアコンをゼロにしても5.5%の削減にしかならない。消費電力を抑えるためには、産業部門の省エネをおこなわなければ、節電効果は生まれないということだ。全体的な視野からみて、産業部門にLED電球や蛍光灯の普及をおこなうために補助制度をつくることが必要だろう。一気に促進するために補助率は70%というふうにすれば、LEDが爆発的に普及され、コストダウンが図られる。そうなれば家庭への普及も容易になるのではないだろうか。
関西電力は、昨年の夏も節電をもとめた。この要請に対し中小企業は非常に真面目に対応してきたようだ。勤めている方の話を聞くと涙ぐましい努力があった。このような努力に答えるためにもLEDへの切り替え促進は意味があるだろう。
昨日の記事の上に、このことを付け加えておきたい。


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LED電球普及に補助金を

On 2012年5月14日, in 雑感, by 東芝 弘明

エコカー減税が車の販売を伸ばしている。
このことに反対するつもりはないのだが、同じように税印を使うのであれば、LED電球に対して半額補助を行って、各家庭にLED電球を普及するようにすればいいのではないだろうか。LEDの電球の最大の問題は電球のコストだろう。Amazonで検索してみると電球では40ワット相当のもので980円からある。ただし高いものは1600円程度している。白熱電球をすべてLEDに変更することを推進し、半額補助を行えば、LED電球の普及は飛躍的に進むと思うがいかがだろうか。

ネットで検索してみると、シャープのページにLEDと白熱電球の比較があった。消費電力は、白熱電球を100とするとは13%から17%程度に落とすことができる。省エネ効果は、87%から83%もあることになる。
注意が必要なのは、蛍光灯との比較だ。蛍光灯の価格とLEDの価格及びLEDによる省エネ効果を比較すると蛍光灯をLEDに変える効果については、次のサイトを参考にした。
LED蛍光灯と従来蛍光灯の比較
このサイトから少しだけ引用させてもらおう。

使用したのは20Wサイズの蛍光灯です。

従来の蛍光灯・・・点灯時の電流は0.27A/100Vでの使用なので消費電力は27W
LED蛍光灯・・・点灯時の電流は0.08A/100Vでの使用なので消費電力は8W
LED蛍光灯と従来の蛍光灯との電力差は19Wとなります。
例えば、1日12時間点灯している共用部の廊下ならば、

19×12時間×365日=83220Wh=83kwh

1kwh当りの電気代を22円で計算すると

83kwh×22円=1826円

つまり、蛍光灯1本で年間1826円の節電が出来る計算となります。

省エネ効果は70.4%もあるが、価格が問題だろう。

シーリングライトを調べてみるとアイリス(6〜8畳)にいいものがあった。価格も11700円程度でNEC 蛍光灯シーリング リモコン付 (6~8畳用)6300円とくらべても、ものすごく高い印象はない。消費電力はアイリスが41w、NECが61wとなっている。消費電力の効果は32.8%になる。蛍光灯よりは消費電力効果は低いが、LEDは、10年間交換の必要がないので、数年間使えば元が取れる計算になる。電球に対する半額補助が実現すれば、価格は大きく下がるので、シーリングライトでも蛍光灯のものと差は縮まると思われる。

冒頭に半額補助の話を書いたのは、LEDへの半額補助を行って普及を進めれば、節電効果がかなり期待できるのではないかということだ。関西電力の電力不足を補ってしまう計算が成り立つかも知れない。
政府は、原発再稼働などという不埒で恐ろしいことに固執しないで、どうすれば原発なしで電力不足を克服できるのかを真剣に考えるべきだろう。

原発再稼働ありきではなく、原発ゼロを目標にすえて、日本の原発依存をどう克服するのかを真剣に追究すればいい。そうすれば道は開かれる。
各自治体でも、個人の家も含めてソーラー発電やガスによる発電などが行われている。すべての自治体の発電量を真面目に計算すれば、各自治体の電気エネルギーの自給率が出てくる。この数値を出せば、ソーラーパネルによる発電も具体的に見えてくる。原発依存からの脱却は、原発再稼働か、それとも計画停電かというような二者択一では決してない。工場による自家発電の促進という課題でも、きちんと政策化を進めれば新しい展望は見えてくる。

日本共産党の志位委員長は、5月13日、原発の再稼働について記者会見を行った。この記事についてはリンクを貼っておきたい。
「原発ゼロの日本」への政治決断で新しい展望を


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読書についてのコメントに触発されたので齊籐孝さんの『読書力』(岩波新書)と『話し上手 聞き上手』(ちくまプリマー新書)の2冊を読み返した。
『読書力』の1ページ目に「読書はしてもしなくてもいいものではなく、ぜひとも習慣化すべき『技』だと頑固に考えている」とあって、わが意を得たりと思った。
文庫本100冊、新書本50冊を齊籐さんはすすめている。巻末には文庫本100冊のお薦めリストも載せている。体験と読書との関係について書かれているカ所も気に入った。

自分の体験や経験を絶対の根拠としたがる傾向が、読書嫌いの人には時々見受けられる。こうした自己の体験至上主義は、狭い了見を生む。
 経験していないことでも私たちは力にすることができる。
 自分の中に微(わず)かにでも共通した経験があれば、想像力の力を借りて、より大きな経験世界へ自分を潜らせることができる。自分の狭い世界に閉じこもって意固地になったり、自分の不幸に心をすべて奪われたりする、そうした狭さを打ち砕く強さを読書は持っている。

人間が体験できること何てたかが知れている。人間には社会的にも歴史的にも制約がある。私たちのような戦後生まれは、第二次世界大戦を経験していないし原爆も経験していない。しかし、歴史から多くのことを学ばなければ、人間は同じような過ちを繰り返す可能性がある。歴史的な事柄から導き出せる教訓はたくさんあるが、体験していない現在の人間は、この大事な教訓をいとも簡単に歪めることもできる。
戦争を知らない世代だからこそ、私たちは読書を通じて人間の犠牲の上に立って生まれてきた価値ある教訓を学ばなければならない。体験至上主義でいえば、歴史から学べることはなくなってしまう。
「経験していないことでも私たちは力にすることができる。」──齊籐さんのこの言葉を歴史から何を学ぶかという問題にもきちんと置いておきたい。
12月の質問で、ぼくは町長に、「戦争を知らない世代である町長や私たちの世代だからこそ、歴史から何を学ぶかが問われている」と訴えた。
歴史の教訓を風化させてはならない。風化させないためには、読書が絶対的に必要だ。

体験至上主義の問題には、もう一つ付け加えておきたい。同じ体験をしても、その体験から何を汲み尽くすのか。ここに読書力が関わってくると思っている。同じ事件に遭遇した人でも感じ方は各人様々。どれだけ深く多くのことを経験から学べるかどうかは、それまでの蓄積に関わっている。読書をたくさんして、専門的な知識も身につけている人は、同じ体験からより多くのことを学ぶ。この差はものすごく大きい。これは、頭の善し悪しではない。体験が自分の蓄積と反応する。

読書力 (岩波新書)

話し上手 聞き上手 (ちくまプリマー新書)


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