ジェンダー平等に対する男性の側からの独白

雑感

「○○は可愛くない。生意気」
男だけの飲み会になったときに、同級生の女性に対して同級生の男の友人が言った言葉。それを黙って聞いていて、違和感を強く感じたことがあった。しかし、「黙って聞いていた」ことに対して、違和感を持っている。「はて」と言い、「お言葉を返すようですが」と続ける必要があったという後悔が違和感の正体だ。

ジェンダー平等の必要性が語られているけれど、女性の発言の多さと比べると、男性の発言はそんなに多くない。女性の発言を聞きながら、男性はまだ自分の中の気持ちを言語化できていないのかも知れない。家庭の中のジェンダー平等は、考え方の領域だけでは改まらないことがある。どんなに仕事が忙しく、どんなに体が疲れていても、女性は家事のために心をさき、体を動かしてきた。その結果として、女性の側の家事の多さと男性の側の家事の少なさが存在する。

男性が家庭内でジェンダー平等を実現しようと思うのであれば、自分の責任で家事を当然のこととして担うという、変容を果たさなければならない。妻の家事を手伝うのではなく、家庭の一員として家事を担うこと。それは役割分担ではない。半分責任を負うなどという考え方で妻は動いてこなかったのではないか。「男が家事の半分を担うよ」と考えているのであれば、そこにもジェンダー不平等が潜んでいると思う。

家事が苦手、料理が得意でないというのは、自分の脳が家事や料理という分野の作業に対して、体と脳を動かすことに馴れていないということだろう。脳には可塑性がある。時間はかかるだろうが、自分に家事や料理を受け入れて能動的に努力を行えば、車の運転のように体と脳が動くようになる。硬直化した思考回路や体の動きが変化して行く。高齢化している人にとって、この努力は認知症予防にもなる。脳は何歳になっても発達する。

男性が、自分のことを深く見つめて、ジェンダー平等を自分のこととして考え始め、発言をしないといけない。女性の発言を聞いて「考えさせられた。改めたい」と思うのは良い。でもそれだけでは、まだ自分のこととしてジェンダー平等を捉えているとはいいがたいのではないだろうか。そんなことを考える。

ジェンダー平等について、男性の側からの告白、独白を聞きたい。おそらくそのような告白や独白には、ジェンダー感満載の発言の域を出ないだろう。それを責めるのではなくて、それらの発言が、自分のこととしてジェンダー平等を捉える学びにつながるものとして対話を深めれば、かなり意味のあることにつながる。男性の側からの発言が求められている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明