一般質問の在り方を考える

雑感

質問の骨子を書いて午前中に議会にメール送信した。原稿は全文を渡さないようにした。こちらが原稿を渡し、その原稿に基づいて答弁書が返ってくるスタイルというのは、双方ともに深く広く考えるスタンスを奪ってしまう。
台本(質問書と答弁書)を読み込んで、双方がなるほどと思えるところまで稽古をして、一般質問に臨むようになれば、見ている住民にも、迫真の演技が伝わるだろう。ただ、大根役者の傾向を克服するのは至難の業だ。「稽古」という時間がない一般質問は、棒読みの「朗読会」にしかならない。

これを繰り返している中で、当局の方は「いつ原稿をいただけるんでしょうか」となり、この問いに対しては「こう答える」というような準備しかしなくなりつつある。答弁書さえあれば、調査・研究が十分できていなくても、答えることができるということになる。それは、国会における大臣答弁(官僚の書いた文書を読み上げる)と酷似している。毎晩、飲み歩いて、美味しいものを食べる中で、政治の方針を決めている自民党政治は、「実際の答弁は官僚任せ」という形で成り立っている。政治家が考えているのは、法律の具体的な中身ではなく、政治的な動きだけということになる。

戦前回帰という大きな流れは、大日本帝国憲法への憧れによって成り立っている。たかだか150年前にできた、でっち上げに近い明治の天皇を中心とした家族制度。国民は天皇政府に従う民草で、1銭5厘の赤紙によって招集されたら、侵略戦争に命を捧げることが求められた時代。これを理想とする大きな流れに従って、日本国憲法とは相容れない法律をどんどん作らせて、国会に押しつけ、ほとんど審議もしないでそれを与党と維新の多数で成立させていくという仕組みが出来上がっている。

戦争準備の法案が何種類も国会に出されても、その危険性を報道しないマスメディアは、戦前のメディアが犯した誤りに手を染めている。家族が国家の単位という回帰主義は、国会のたびに法案化され、次第に国民生活を蝕んでいる。
共同親権に関わる民法改正もそう。親権は先進国のいくつかでは、親の権利ではなく親の義務を規定しており、子どもの権利条約に基づいて、子どもの権利を守るという視点に貫かれている。共同親権というのと共同で親双方が義務を果たし、子どもの権利を保障するというのとは似て非なるもの。共同親権によってさらに不幸になる子どもが増えることが懸念される。

今国会には、緊急事態の時には国が地方自治体に指示を行う法案が上程されている。地方自治体の根本的な権限を破壊し、自治体を国に従わせる法案が出されていても、自治体の長の反応は薄い。知らない長が多数いるのか、それともこの法案を知っていても、何も感じないのか。黙っているのが得策だと考えているのか。思いはどの辺にあるのだろうか。

能登半島地震の国の態度を見ていると、災害対策基本法が決めている国家としての責務・責任を果たしていない姿が見えてくる。救援物資に対してお金を出しているのは国。避難者がまだまだたくさんいるのに物資の供給を打ち切り始めている。仮設住宅に入ると物資の供給がなくなるという措置もとられている。今読んでいる本の中には、自治体職員が書いた災害の研究書があり、この本には、自治体職員は災害対策基本法をよく読んで、これを災害時にどのようにして生かすかが基本だと書いてある(こういう視点を教えてもらった意味は大きい。これを知らないまま、災害時にどうするかを語るのは間違っていると思う)。災害時に国が果たす役割は極めて大きく、災害対策の基本を左右するということだろう。
このような災害対策基本法があるのに、国が、市町村や都道府県に対し指示ができるようになると、いったい災害時の国の責任はどうなるだろうか。
責務が明記されている今でさえ、国がその役割を果たしていない(日本共産党の国会議員のみなさんが現地に入り、国に改善を求めると事態が変化する根拠も、災害対策基本法どおりに国が動いていないところにある。この点が大きい)のに、このような態度を取っている国が、市町村に対して指示を与えるとなると、関係性が根本的に変わってしまう。戦争への参加を準備する中で、都道府県、市町村に対して指示ができる法案が審議されているのは恐ろしい。

こういう時代の中で、自治体の長も職員も議員も、日本という国の状況を視野に入れて、自分の頭で物事を考えて、政策の決定をしていかないと、時代の流れに飲み込まれてしまう。議員の質問原稿を求め、それに対して答えを考える形に意識の焦点が集まっていくと、幅広く深い政策論議から離れてしまう。こういう傾向と国の動きに無頓着な傾向には親和性があると思う。
明石の市長だった泉さんが、市長を辞めた後、テレビに出て国政に対して歯に衣着せぬ発言を続けているのは、地方自治体とは何かを見る上で大事な視点を投げかけている。自治体の長だったからこそ、国に意見を言わなければならないという点は極めて大切だ。

一般質問の在り方を考える時期にきている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明