科学的社会主義の論理で物事を分析する

雑感,出来事

トークライブの事前準備を2人で行っていると、思った以上に時間がかかってしまった。チラシを4つに折るのが手間だった。「印刷会社に折ってもらえないのか」と作業中の相方がぼやくので調べてみた。2つ折りにして届けてもらう場合、900円ぐらいの追加料金だった。労力よりも安い。今後は折ってもらうことも考えに入れよう。

話をしながら作業をしている最中に、科学的社会主義という理論を身につけて、物事を分析する力にしようという話をした。日本共産党中央委員会の委員長などが、新しい問題を解明したら、「今回の解明はここが新しい」という意見がよく出る。そのような捉え方は大事だが、それよりも強く思うのは、物事を新しく解明する力は、党中央委員会の「専売特許」ではなく、一人一人の党員が、自分の目の前の出来事を深く捉えて分析する上で、科学的社会主義の論理を「使える」ことが大事だということだ。

ぼくは、ある時期からそう考えてきた。もちろん、党中央委員会は、日本共産党の総合センターとして、膨大な情報を集めつつ分析しているので、ぼくたち個人よりもはるかに的確に、深く物事を判断できる機構をもっている。そういう組織的な仕組みの中で、新しい解明を党中央委員会の委員長が行うということになる。集団の成果の上に立って、委員長が語ることが圧倒的に多いと思っている。ぼくたちのような、一地域に住んでいる議員が把握している情報は、小さく浅いことが多い。
しかし、同時に党中央が把握しきれていない情報や事実にも直面している。この自分の関わっている分野で、科学的社会主義の理論を活用して、物事を分析したり総合したりする必要がある。ただ単に科学的社会主義の成果を学んで、「なるほど、そうか」と得心するだけではなくて、自分の頭で、目の前の出来事を分析し、総合するために科学的社会主義の理論は存在している。

この理論を自分の活動に生かすためには、経済学や哲学、マルクスやエンゲルスの古典などを学ぶ必要がある。しかし、この中で最も大切だと思うのは、科学的社会主義の哲学だろう。ものの見方、考え方の基礎、つまり科学的なものの見方を深く身につける努力をしないと、自分の目の前にある事実や情報に分け入って、分析し、総合し、発展の方向を見通すことはできない。

いったい何のために学んでいるのかといえば、自分の頭で物事を分析し総合するために学んでいるということに尽きる。こういう目で党中央の論理を学ぶと、それを自分の活動に生かすこともできる。

論理を発展させているのは、党中央だけではない。自分たちも論理の発展のために存在している。これが、自分の頭でものを考えて、答えを出すということだと思っている。
日本共産党員になったときに、科学的社会主義を学ぶことが、自分の生きる道だと思った。それはぼくが18歳のときだった。大学にはマルクス経済学を学びに行き、その途中で哲学の大事さを思い知った。ぼくが学んできたことは小さいし、学ぶ道ははるかに遠いが、自分が党員として学んだことを実践的に生かす道でぼくは生きている。それが面白い。


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Posted by 東芝 弘明