「共産」は共同で生産するという意味です

雑感

日本共産党は、資本主義社会が人類の到達した最後の社会体制ではなく、人類は次の新しい時代を切り開き、資本主義のもっている矛盾を克服して発展する。資本主義の発展としての新しい社会は、自由と民主主義、個人の尊厳の尊重を基礎においた社会になり、生産においても、いろいろな組織においても、そこで働く人々が生産や組織の主人公になる。

日本共産党が展望している資本主義の発展としての次の社会は、社会主義・共産主義と呼ばれる。共産という言葉は、共同で生産するという意味であり、共同して生産する中で、働く者が主人公になる社会である。こういう社会を実現するためには、国民の手に生産手段を移して、生産手段の社会化を実現する必要があり、この生産手段の社会化が、新しい社会を生み出す出発になる。

資本主義社会の持っている問題点や矛盾は、生産手段の社会化によって、克服できる展望が開かれる。働く人々の労働時間は、抜本的に短縮され、自分の人生の中で自由に生きる時間が拡大される。人間は、拡大する自由時間の中で、もっている能力を多方面に伸ばし、自分の人生を自由に生きることができるようになる。人間の持っている可能性が多方面に発展させられた社会の中で、人間は、自分の人生の主人公になる。

生産手段の社会化というのは、工場や土地や機械が、働く人々による共同管理へと移行することを意味するが、社会変革として行われる生産手段の社会化は、主要な産業の部分に留まる。それ以外の産業では、資本主義社会と同じように、会社が運営でき、個人の商売を自由に営むことができる。日本の資本主義の発展の中で形成されてきた、大きな企業の系列の中で単価が切り下げられたり、不当な要求が出され下請けとしていじめられたり、個人経営が成り立たなくなって、大手のチェーンに組み込まれなければならないような、力の弱い者に不利益になるような関係は次第に廃止され、企業の大小に関わらず対等平等の関係が原則になるような構造に変えられていく。

生産手段の社会化による管理と運営を通じて、労働者が文字どおり主人公となる組織の形態や仕組みを作り上げるためには、かなり長い期間が必要になる。個人の尊厳が尊重され、個人の意思が生産のなかに生かされ、労働者が文字どおり主人公になることができる組織形態というのは、ピラミッド型の組織ではないだろう。人類は、資本主義社会の中で形成された組織形態を、試行錯誤を通じて改変するだろう。どれぐらい長い時間がかかるかは、予想できないが、生産手段の社会化にふさわしい生産関係を、人類は豊かに生み出していくだろう。

人間による自由な時間の拡大は、人間の成長を保障する。労働時間の短縮が人間の多面的な発展を保障する土台となる。

人類史上、まだ地球上に社会主義・共産主義の社会は生まれていない。ソ連は社会主義を目指そうとしたが、他国にソ連流の社会体制を押しつけることを繰り返した中で、国外に対しては覇権主義、国内に対しては自由と民主主義を破壊する国になり崩壊した。ソ連は、社会主義への道に足を踏み出さないまま崩壊せざるを得なかったものである。中国やベトナム、キューバなど社会主義を名乗っている国は存在するが、それらの国は、社会主義を目指している国であって、社会主義に到達した国ではない。

発達した資本主義における自由と民主主義の実現と発展の先にこそ、社会主義・共産主義がある。資本主義のもっている搾取による根本的な歪みを克服するためには、社会主義・共産主義への道に進む必要がある。しかし、それは資本主義を破壊して社会主義をつくるというものではなく、資本主義によって発展してきたさまざまな仕組みを、さらに豊かに発展させるという意味をもつ。マルクスは、資本主義を徹底的に研究して、資本主義社会の仕組みとその法則を誰よりも深く把握しようとした。マルクスによる資本主義研究の基本姿勢は、社会主義に道を踏み出した社会においても有効に機能する。

資本主義と社会主義は、相いれない存在として対立しているのではない。資本主義の発展としての社会主義・共産主義は、市場経済を通じて社会主義・共産主義に移行するというものであり、そういう意味では、資本主義の価値ある成果を全部引き継いでさらに発展させるものが、社会主義・共産主義になる。この新しい社会の生みの親は資本主義に他ならない。資本主義は、この社会のもつ問題点と矛盾ゆえに社会主義・共産主義に移行せざるを得ない。資本主義から社会主義への移行は、かなりの時間が必要になる将来の問題である。


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雑感

Posted by 東芝 弘明