演説は説明ではなく訴えだ

雑感

11時10分頃、ドアを開けた。店内にはお客さんが数組、座っていた。お水が出てきたので、メニューからトンカツ定食を注文した。出てきたトンカツ定食を食べ始めたのは11時21分だった。途中で宮井さんから電話が入った。
「何時に来る」
「11時40分ごろ」
30分まであと5分だった。30分過ぎには出ないとと考えた。
急いで車を走らせ、宮井宅に着いたのは35分だった。

12時から比例の候補車カーに乗ることになっている。合流場所に着いたのは11時45分だった。まだ15分の余裕があった。14時までの2時間は、九度山町内を運行することになっていた。
九度山町議の伊丹議員は、赤いTシャツとジーンズ姿だった。ラフな格好だ。彼は、演説原稿をラミネート・パウチに入れて雨に濡れても大丈夫という準備をしていた。さすが。用意周到だ。
4か所で彼の演説を聞きながら横でプラスターを持った。畳3分の2ぐらいの大きさのプラスターでも、ぼくの車の後部座席に横置きで十分入った。思ったよりも収納できる。

演説を聞いていると、文章のセンテンスが長かった。演説原稿は、話し言葉で語ることを意識して書く必要がある。長いセンテンスは、意識を集中しないと理解できない。

不破哲三さんは、かつて、演説というのは説明ではなく訴えだと言ったことがある。ぼくはこのことを意識して話を組み立てている。訴えと説明とはどう違うのか。それは、できる限り説明はしないということだと思っている。

例えば年金問題。選挙の間際に年金だけでは生活費が2000万円足らないことが明らかになり、しかも41歳の人の場合は、さらに1600万円年金が減らされるので3600万円不足することが明らかになった。しかもこれは、国民の平均値の話だった。年金額が月額19万円以下の人はもっと不足する。年金が減るのはマクロ経済スライドという仕組みが原因だ。

この問題をぼくは次のように訴えた。

「参議院選挙が始まる直前、年金だけでは2000万円不足し、さらに現在41歳の方は、3600万円も生活費が足らないことが国会で明らかになりました。年金が減るのはマクロ経済スライドという仕組みによります。今後、基礎年金はどんどん減らされ、安倍さんによると年間7兆円、年金が削られることがはっきりしました。
日本共産党は、減らない年金を実現するためにマクロ経済スライドを廃止し、新たな財源を確保しようと提案しています。」

これ以降、3つの財源確保を訴えて、減らない年金を実現するために、野党共闘の議席と日本共産党の議席を伸ばしてほしいと訴えた。

説明文というのは面白くない。それは、取扱説明書を読めばよく分かる。どんな人が読んでも、必ず手順が理解できるように、かなり細かく書かれている。それでも分かりにくい。だいたい最初の方のページに商品の立体図があり、どこにどのようなボタンやスイッチが配置されているかが書かれている。それを前提として、他のページでは、このボタンを押して、こうして、ああしてということが書かれている。操作の手順をきちんと踏まえて文章を読まないと操作はできない。説明というものの性質が、取扱説明書にはよく現れている。

街頭演説は、時間が限られている。だいたいは10分以内。テーマを3つもしゃべるのはなかなか難しい。音声だけで理解してもらうということなので、できるだけ短いセンテンスで、「訴える」必要がある。

「訴える」というのはどういうことだろう。ちょっと書いてみたい。

「おかあさん、ケガした。痛い。血出てきた。自転車で転けた」

説明をするとこうなる。

「さっき、家の前の坂でね。自転車に乗っていて、前ブレーキを掛けたらタイヤが滑って、こけたんよ。それでね膝をすりむいて、血が出てきた。痛いよ」

下のような説明だと、お母さんからケガしたこと、もっと早く言いなさいと言われそうだ。

今日のブログの文章でいえば、

12時から比例の候補車カーに乗るので、11時10分からご飯を食べた。なんとか30分には食べ終わったので、宮井議員の家に行って彼を乗せて、宣伝カーの合流場所に行った。集合時間の15分前に着くことができた。

こういう書き方をすれば説明調になる。

冒頭の文章は、状況描写を入れているので、説明よりも長くなっている。説明文というのは、全部結果が分かった上で、説明をしようとするので、文章が全部予定調和的になって、面白みがなくなる。リアルタイムで事態が進行しているように書けば、先のことは分からないので、さあ、次はどうなるという感じになる。冒頭の文章では、「12時から比例の候補車カーに乗ることになっている」という文章は、7行目に出てくる。説明文との違いだ。

「訴え」は、描写と少し似ている。話の組み立ての中で状況を立体的に理解してもらい、訴えたい内容が伝わればいい。訴えたいことがあり、それを伝えたいというのが、演説であり、説明的にならないように注意することが大切になる。

こういうことを心がけて、訴えを行った。演説回数は7回だった。


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雑感

Posted by 東芝 弘明