会議の中でのオープンダイアローグ

雑感,出来事

本人のいないところで、その人の話をしないということを、外してはならない原則にしているオープンダイアローグの考え方は、普通の会議でも導入できると考える。本人のいないところで、その人の話をすると、本人には言えないような「非難」めいた発言や「人格否定」の発言などが出てくる。そういう意見が交換され、そこから出てきた「結論」は、歪んでいることが多いし、そのときに話し合ったことを、本人につぶさに伝えることができない。どうしてそのような結論になったのかという点をリアルに伝えられないので、伝えられた本人は、違和感を強く感じることもある。

精神的に病気を抱えている人に対して、発展してきたオープンダイアローグという治療方法は、人間を信頼するという深い考え方に依拠している。薬なしに統合失調症を大きく改善でき、社会復帰を実現しているこの方法は、普通の会議でも大いに役に立つと思われる。2つの会議で、オープンダイアローグと同じ形を導入してみた。対話が始まるように意識することが大事だと思われる。そのことによってどう変化するかはよく分からないが、対話を開くことが心を開くことにつながると思っている。

課題を抱えている人の話を聞こうという会議でオープンダイアローグを導入するのは、しやすいと思われる。議論の場にオープンダイアローグの考え方を踏まえて会議を行うことができるかどうか。これは工夫しなければならないだろう。

批判と自己批判によってお互いを高めるということと、オープンダイアローグとは共存できるかどうか。これはもっと研究しないと見えてこない。相手の批判を受け入れることのできるケースとは何なのか、事例に基づいて深く考える必要がある。認識の違いや認識の誤りに気がついて、自分の考えを改めるということが、批判と自己批判によって本当に実現できるのかどうか。この点も探究したい。対話とは何か、議論とはどう違うのか。議論と対話は共存できるのか。対話を重ねることが、考え方を変化させる大きな力になることを考えると、議論によって考え方が改まるということは少ないのではないかとも思っている。

対話とは何か。どうして対話によって考え方が改まっていくのか。ここを深く探究すれば、議論との違いが見えてくるのかも知れない。


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Posted by 東芝 弘明