天皇の戦争責任と第2次世界大戦 2005年9月25日(日)

雑感

雑誌「経済」10月号に小田実さんと上田耕一郎さんの対談が掲載されている。「戦争と戦後60年 憲法9条を守るために」という表題がついている。
この2人の話が興味深い。
ポツダム宣言ができたのが7月26日、終戦は8月15日、この20日の間に何が起こったのか。この対談から少しスケッチしてみたい。
ポツダム宣言案の第12項には、最初、日本の国体護持が入っていたという。
それは次のような内容だった。
平和思考の政府が樹立されれば、占領軍は撤退する。侵略的な軍国主義の台頭を許さない決意で平和の政策が実施されるのであれば、「現在の皇室の下で立憲君主制というのもありうる」。
この案文に反対したのはバーンズ国務長官だった。
このような案文を作ったら、日本は直ちにポツダム宣言を受け入れてしまう、そうなったら日本に原爆を投下できなくなる。──これが彼の反対の理由だった。この経過は、「原爆投下決断の内幕ー悲劇のヒロシマ・ナガサキ」という本に書かれているという。
バーンズが進言したとおり、ポツダム宣言から12項は削除され、8月6日に広島に、8月9日に長崎に原爆が投下された。
アメリカは、ソ連に対して国力を見せつけたかったらしい。日本への原爆投下は、第2次世界大戦の終わりを告げるものだったが、同時に始まりつつあった冷戦の最初の巨大で無惨な一撃だった。
8月11日、アメリカのニューヨークタイムズは、「もう戦争は終わった」ということでアメリカ市民が喜ぶ姿を写真にとっている。翌12日、同新聞は、ヒロヒトを残すことを決めたと書いている。これは、日本が必死に求めていた国体護持を、アメリカが受け入れていたことを示すものだった。
しかし、日本政府は、ポツダム宣言を受諾せず、ぐずぐずしていたので、13日、ニューヨークタイムズは、もう一度攻撃を再開すると大見出しの記事を書き、今日の12時までに降伏しないと「ものすごい攻撃をやるぞ」という米政府の態度を伝えている。
アメリカ政府の宣言通り、8月14日、大阪を中心にものすごい爆撃がおこなわれ、その結果日本は降伏を決めた。
日本政府、もっと鮮明にいえば、天皇と天皇の側近は、天皇の体制をいかに残すのか(=国体護持、聞こえはいいが命乞いだ)ということに全精神を集中しているときに、広島と長崎に原爆が落とされ、14日に大空襲がおこなわれたということである。
作家の大岡昇平氏は、「俘虜記」で次のように書いている。この認識は、大岡氏が捕虜(=俘虜)になり、親しくなったアメリカ兵と日本はなぜ降伏しないのかを議論したときのものだ。
「天皇制の経済的基礎とか、人間天皇の笑顔とかいう高遠な問題は私にはわからないが、俘虜の生物学的感情から推せば、8月11日から14日まで4日間に、無意味に死んだ人たちの霊にかけても、天皇の存在は有害である」
アメリカによる原爆投下、無差別爆撃は、当時の国際法をも踏みにじる行為だった。しかし、この問題に対する責任は一切追及されなかった。
アメリカは、第2次世界大戦の時に、全体としては連合国の側につきファシズムに対抗する立場に立ったが、アメリカ中心の世界支配という野望をもった国だった。日独伊3国軍事同盟が、世界の分割を勝手に決めて世界に対して侵略戦争を展開したことと比較はできないが、アメリカは、世界に対して同じような野望をもった国だったといえる。
アメリカの野望は、日本に対する無差別爆撃、原爆投下に色濃くにじみ出ている。これらの行為は、免罪されるべきではない。
戦争には様々な側面がある。戦争の実相に迫り、多角的に考えることで戦争の本質が見えてくる。
戦前における天皇の存在は大きく、絶対的な権力を持っていた。天皇は、単なる飾りや帽子ではなく、実際の政治を動かす力を持っていたのだ。
天皇の軍隊は、玉音放送によって戦いを放棄した。日本の引き起こした戦争は、1945年8月15日の正午、ラジオ放送によって明確に終わりを告げた。

「大気は八月の真昼の炎暑に燃え、耕地も山も無限の熱気につつまれている。が、村じゅうは、物音一つしなかった。寂(せき)として声なし。全身に、ひろ子はそれを感じた。八月十五日の正午から午後一時まで、日本じゅうが、森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な頁を音なくめくったのであった」(宮本百合子「播州平野」)

戦争終結に至る一連の事実は、天皇の責任を雄弁に物語っているのではなかろうか。


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雑感

Posted by 東芝 弘明