道を究める

雑感

会議でどんなテーマでも意見が出て、話が進展するという確信を持つためには、じっくり待つ時間が必要になる。しかし、それができる会議とできない会議がある。議会だよりの編集委員会や議会運営委員会では、じっくり待つことができるのに、共産党の会議の場合は、じっくり待つことができないことが多い。
違いは何だろうか。議員を相手にした場合、委員長のぼくが語ることはないと思っているので、最初から意見が出るのを待つ姿勢で会議に臨んでいる。しかし、共産党の会議になると、進行役なのにしゃべってしまう傾向に陥る。これが良くない。と思っている。

議会の委員会における委員長は、自分で発言する場合は、進行役から降りて、進行役を副委員長と交代し、自分の発言席に戻って、発言を求めた上で発言するということになる。ここまで厳密に進行役と発言とを区別している。これと近い形を日本共産党の会議でも守る必要があると思っている。それができるようになるのか。というのが一つの試練だと感じている。

ハウ・ツー本をかなり読んできた。ハウ・ツー本は読むだけでは終わらない。それでは意味がない。ハウ・ツー本は実際に書かれていることを実行に移さなければ、身につかない。従って何度も読む必要がある。行きつ戻りつしながら、自分の実践を変える努力をして初めて学んだことになる。
これを普通にできるのはレッスンだ。レッスンを受けるためには指導者が必要であり、指導者がいるからこそ、実践が身につく。これを自分だけの努力で成し遂げるためには、繰り返し本に立ち返りながら自分の実践を、自分で検証しつつ、取り組みを改善する必要がある。これは根気のいる仕事になる。
それでも、個人の独自の努力だけではうまくいかないことの方が多い。ただ、内容によっては、レッスンを受けることのできないものもある。そういう点では、学校という人間集団はありがたいと思う。学校の教室にいる集団を生かせば、面白いことを実現できる。

たとえば、5人の集団に5つのテーマを与え、5つのテーマに沿った講座を先生が行った後に、今度は、学んだ側の人間が5テーマの中から一つを選んで講師になり、この5人を相手に講座を順番に実行していけば、講師の養成はできるだろうと思う。5人の集団を利用して学ぶことと教えることを交代で実行すれば、いろいろなことが見えてくる。多くの発見と気づきがそこにはあるだろう。

最初は、5分ぐらいのことでいい。馴れてきたら10分に伸ばすのもいいだろう。自分で話す内容を組み立て、自分で語るようになれば、学びは能動的なものに変化する。これを実現するためには、ゆったりした時間が必要になる。3か月、半年、1年というようなスパンで、このような学びを組織すれば、子どもたちに大きな変化が起こると思われる。

レッスンを受けてみたいという気持ちはあるが、トークのレッスン教室みたいなものはないので、独学で本を読みながら試行錯誤したいと思っている。
会議の改善の方は、毎日の会議が実践の場だと思っている。これは一つ一つの会議について、反省をしつつ考えることが大切だと思っている。道を究めるために歩いて行きたい。


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雑感

Posted by 東芝 弘明