バーベキュー

雑感

朝からホームセンターに行って、新しいバーベキューコンロを買ってきた。炭に火をつけるときに使っているのは、ガスボンベにバーナーをつける、いわゆるトーチバーナーという道具。これが一番火をつけやすい。わが家とNさんの家族と合わせ合計7人でバーベキューを行った。いろいろな話をしていると12時から4時頃までのんびりした感じになった。もう夜ご飯は入らないと言っていたが、ほんとに夜は何も食べなかった。

朝日新聞の5月3日の「天声人語」を読んだ。憲法記念日の「天声人語」は、手塚治虫の『ジャングル大帝』に触れて書かれていた。
「戦争の暗い予感が広がる。防衛費は急増し、専守防衛の原則は揺らぎ、さらには、戦闘機の輸出まで可能になるという。政治家からは「闘う覚悟」を問う発言さえ聞こえる」(「天声人語」、2024年5月3日)。
この「天声人語」には、書いた人の主観がない。
「戦闘機の輸出まで可能になるという」———これでは、戦闘機の輸出が、不確かな噂話のようにさえ聞こえる。戦闘機輸出は紛れもない事実。何が「可能になるという」だ。こんな感覚でいいのか。
「防衛費は急増し、専守防衛の原則は揺らぎ」という書き方は、あたかも防衛費の伸びは自然現象であるかのような書き方だ。「専守防衛の原則は揺らぎ」———揺らいでいるのではない。政府が専守防衛をかなぐり捨て、戦闘機輸出まで行うという事態を引き起こし憲法を踏みにじっているのだ。それに対して、書き手がどう感じているのかを書かない。これでは傍観者になってしまう。
「天声人語」の締めくくりは、手塚治虫が「もう二度と戦争なんか起こすまい、もう二度と、武器なんか持つまい、子孫の代までこの体験を伝えよう」と書いたことを紹介し、「希代の漫画家は、そう描き残している」という言葉で終わっている。どうして、「この言葉をかみしめたい」とか、「この言葉は今も生き、警鐘を鳴らしている」、「この言葉を生きる糧にしたい」というように書かないのか。いや、書けないのか。
「天声人語」の書き手にとって、日本が計画している戦争は人ごとなのか。
「それでもまだ、戦争に対して懸念を表明しているようにも読めるのでいいのではないか」という人もいるだろう。
しかし、こんな書き方では戦争は止まらない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明