アナウンサーを3時間

雑感,出来事

絵2

夕方5時から8時までの3時間、候補者カーのアナウンサーをさせていただくことになった。
ものすごく久しぶりに、本格的にアナウンサーをした。終わってから歌を歌うと、いつも以上に声が伸びる感じになった。3時間の中で高本市議が7回街頭演説を行ったので、そんなにしんどいとは感じなかった。喉が壊れることはない。
実はというほどのものではない。が、23歳で党の専従になってから、30歳の夏に議員に立候補するまでの7年間、アナウンサーがぼくの仕事の一部だった。
男性のアナウンサーで、色々な選挙区にかり出されていたのは、珍しいかも知れない。

「だんだんうまくなってきたね」
23歳の時に、可愛い女性にこういう感想をもらって、その気になった。
あれから何年が過ぎたのだろうか。もう32年がたったことになる。

1983年もいっせい地方選挙から始まった。この年は、歴史上初めての政党名で投票する参議院比例代表選挙が夏に控えていた年だった。日本共産党は、参議院選挙を攻勢的にたたかうことを見すえて、いっせい地方選挙の都道府県議選挙に全区立候補するという方針を掲げ、それを貫いた。
橋本市では、サラリーマンだった古倉さんに白羽の矢が当たり、選挙の直前、プレハブの市委員会の2階で写真を撮り、立候補させるということになった。当時古倉さんの年齢は40歳だったと記憶している。この選挙が古倉さんの議員の道への第一歩となった。ぼくは、県議選挙ではじめてアナウンサーをすることとなった。
その年の橋本市議選挙は、3議席に挑戦した結果、1議席に後退するという事態になり、夏の参議院選挙、秋の知事選挙、12月に突然解散した衆議院選挙という形で選挙が重なっていった。

ぼくは、党の専従になって手書きのビラやニュースを作るようになり、それはやがてパソコンによるビラの作成へと繋がっていった。パソコンを使い始めたのは27歳。何冊もノートに現代詩を書いていた時間が、すべてパソコンに置きかわっていった。30歳の時に議員になってからは、アナウンサー業は廃業状態になり、替わって果たすようになったのは、応援弁士や候補者としての演説だった。
ビラの作成は、議員になってからは民報と読者ニュースの作成を軸に行うようになり、政策についての蓄積ができると、各地域の選挙ビラを作るようになっていった。少しでも綺麗なビラを作りたい、という思いが、Macとの出会いにつながり、今に至っている。

Macに乗り換えたのはパソコン歴11年目の38歳だった。岩出町の選挙が終わった次の日の朝、交通事故に会い入院期間中に乗り換えを決意した。実際に購入したのは、1年後だった。ブログを書き始めたのは、議員になって15年目の正月明け、今から10年前のことだった。インターネットが当たり前のように使えるようになった時期がいつの頃だったのか、記憶が曖昧だが、ブログという形が世に普及して一定の時間が経っていた中でのスタートだった。

アナウンス、ビラ、政策の蓄積、演説、原稿を書く力、ビラ作成力、これらはみんな議員になって、必要にかられて身についてきたスキルだろう。そういう面からも議員という仕事は、自分の潜在的な力を引き出してくれたのかも知れない。
若い時代、吸収力が柔軟なので、伸びる力は大きいのかも知れないが、人間というものは、いくつになっても伸び続けることのできるものだと思う。伸びるために必要なものは、「そのものごとが好きだ」ということだろう。好きな上で必要な能力は、差異を見抜く力だと思われる。変化を大切にし、変化を捉える力も差異を見抜く力の中には含まれる。

学習は、若い時代だけのものではない。年齢を重ねる中での学習は、経験値が深いだけに差異を捉える深さが大きくなる。若い時代には感じ取ることの出来なかった変化を、年齢の積み重ねと努力が、学びをより深いものにする。
世間には、学生時代までが勉強だと思っている人もいるだろう。それは、大きな間違い。たかだか大学時代の4年間などの学びは、浅いものにならざるを得ない。大学時代が幸せなのは、自分が立てた問題意識に沿って、自由にそのテーマを探究する時間をもっているということだろう。
学生までの20数年間よりも、それから先の人生の方がはるかに長い。社会人になってからの学習こそ、本物の学習の時間になる。そういうとらえ方をしつつ、学びを人生の中に組み込んだ人々は、人生を豊かに生きる力を身につけていく。

遅くはない。学ぶことに対する基礎的な力がなくてもいい。独学の仕方が分からない人は、お金を払って講座に参加するのがいい。学問のスタートにおいて、人から人に受け継がれていく学び、つまり授業の形式にこそ、学びの出発点がある。講座に参加しながら、次第に独学で学ぶ力を身につけていけば、学ぶスタイルは、自分の中に培われる。30代でも40代でも50代でも、人間は豊かに成長する。
それ以上の年代のことは分からない。理由は簡単。自分が55歳だからだ。

少なくとも、学ぶという点では、50代は十分学んで吸収できる力はある。記憶力?、それは重要な能力の1つだけれど、学びを支えている力は、記憶力ではない。インプットされる情報を自分のものにして、物事を考え、研究している対象に対し、新しい側面を発見することだ。差異を見抜く力だと言っていい。
クイズに答えられる知識を豊かに持っていることが、頭の良さのバロメーターではない。
大学受験のスキルは、情報のインプットと情報のアウトプット。インプットとアウトプットはほぼイコールで結ばれる。
インプットとアウトプットがイコールであるような学びでは、新しいものは何も生まれない。
学問は、問いを学ぶと書く。問題意識をうち立てて、それを探究していくときに必要なのは学ぶということだ。長い年月、学び続けていると学びの歴史も経験値の1つの構成部分になる。こういう学びは、経験値が蓄積されるにしたがって豊かになる。一を知って十を知るがごとくに。


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Posted by 東芝 弘明