笠田の郷

出来事

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議会広報の編集委員として、笠田の駅にある「ステーション笠田の郷」を取材させていただいた。
町は、JR笠田駅の駅舎の大部分を、JRから無償譲渡してもらって、観光案内所を設置した。したがって、建物の一部は町の財産となっている。元々その部分は、駅の事務室で、国鉄時代には7人ほど駅員が常駐していた。赤旗の日曜版も長い間、笠田駅に届いていた時代がある。新聞のコンポをぼくは毎週受け取りに行っていた。
今、その部屋は、駅に背を向けて作られている。駅に降りて改札口を出た人とホームにまだ入っていない人の待合室という形だ。冷暖房完備で水道施設のある部屋になっている。笠田の駅は、コミニュティバスのターミナルにもなっているので、駅に着いた人が、バスが出るまでの間、この待合室で待っている。この施設は、観光案内所として自治区に委託され、運営は自治区内の人々30人によって構成されている「笠田の郷の会」が責任を負っている。年間の委託料はわずか10万円。この予算で施設が維持管理されている。活動は、この30人の方々のボランティアによって支えられている。

笠田駅の前には町道があり、この道は、西の駅前通りと東の駅前通りをコの字型につないでいる。駅に降りる人を迎える車は、東側の駅前通りと西側の駅前通りの両方から駅に来る。そうやって来た車は、東から来た車は西へ、西から来た車は東へとぬけていく。
かつらぎ町の中で、一番乗客の多い駅なので、朝の2時間ほどJRを退職した人が、パートで駅員を務めている。
笠田の郷には、ある頃から自然な形で本が集まってきた。これらの本は、2つの本棚に並べられている。「ぽっぽや文庫」──ボランティアの方々は、この文庫にそういう名前を付けた。お持ち帰り自由、返却してもしなくてもいいという「ぽっぽや文庫」には、優しさが詰まっている。
駅の前に一軒だけ雑貨屋さんがあり、漫画本や週刊誌、新聞、パン、飲物などを販売している。店を切り盛りしているのは、ぼくの同級生のお母さんだ。ぼくは、中学校時代、このお店に500円札を握りしめて行き、毎週漫画の本を買っていた。買う本は、サンデーとマガジン、チャンピオンとジャンプだった。買う日はいつも週末の土曜日だった。ぼくの小遣いはこの4冊の漫画の本にほとんど消えていた。

取材のために車を近くに止めて、歩いて行った。午後の1時頃、空気は冷たかった。風はそんなに吹いていない。雨がようやく上がったところだった。2月と同じような気温だったらしい。透明なガラス張りのドアからは、笠田の郷の中が見えており、ぼくがドアを開けた時には、すでにF議員と取材相手のHさんが丸いテーブルを囲んで話をしていた。

取材をしていると、笠田駅に降り立った人とボランティアの方々との交流が見えてきた。駅というのは、色々な人が集まってくる場所であり、そこには人間的なドラマがある。人々は、色々な人生の荷物を背負って駅に降りる。その姿は一見軽やかに見える。どんな荷物を背負ってきたのかは見えない。見えるのは、実際にもっているリュックサックなどの荷物だろう。
ボランティアをしている人も、駅に降り立った人も、本当の荷物の重さを互いに見せることにはならないのだけれど、駅で交差する話に少しだけ人生がにじみ出る。話を聞きながら、ぼくは高倉健さん主演の映画「ぽっぽや」を思い出していた。

JRは東と西に伸びている。和歌山駅が起点。終点は奈良の天王寺。大阪に出るためには、紀伊山脈を北に見ながら東か西に行って、この山脈を回り込むように迂回して大阪に出る必要がある。山脈を越えるのは、車の走る道路しかない。東の結節点になる駅は橋本駅。西の起点は和歌山駅と和歌山市駅。通勤客と高校生のお客さんが中心を占めているのが和歌山線だ。
笠田の郷の待合室の壁には、子どもの書いた習字や絵手紙、地域の観光資源を映した写真などが飾られている。平成23年(2011年)から今まで、壁に落書きをするようないたずらは、まったくなかったらしい。笠田高校生は、ある時、椅子に敷く座布団を手編みしてそっと置いてくれた。座布団には、kaseda high schoolの文字があった。問い合わせると、家庭クラブの生徒が作ってくれたものだということが判明した。
時間とともに、いろいろなエピソードが生まれていく。
結晶のように鮮やかに。


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出来事

Posted by 東芝 弘明