経済的な分析に進もう

雑感

経済的な話を書き始めて、勉強不足なのを痛感した。書き出すと、学んでいないことが見えてくる。
何となく分かったようにして、日々を過ごしている。
途中まで書きかけた文書を全部削除して、一から書き始める。

頭に浮かんだことを書いてみよう。
橋本の企業誘致。橋本市が全面的に土地を用意した訳ではないだろう。開発公社については、解散していると思われる。開発公社関係の用地の買い戻しなども行われていたのではないか。
では、一体、企業誘致を行った土地は、どこの誰が、どんな風にして用意したのか。そこにどのような形で企業誘致が行われ、実現したのか。つぎ込まれた資金の総額はいくらなのか。企業の進出によって用地代はどのような形で回収されたのか。塩漬け土地にならないための対策は、必至で企業誘致を図るところにある。このためにどのような努力がなされたのか。実現した企業による雇用、業績、経済波及効果。負けて上げた固定資産税等々。これらは、すべて和歌山県が真剣に数値も明らかにしているだろう。
このような視点が芽生え始めたのは、この前の飲み会だった。
友人の酔っ払いながらの発言が、企業誘致の経済効果という視点を与えてくれた。

橋本市の日本共産党は、橋本市の最大の経済政策である企業誘致とその効果を明らかにし、成果を見極めるとともに地域経済を本当に強くする道を探る必要がある。住宅リフォーム助成は大きな力になるが、経済宅策はこれで終わりにする訳にはいかない。

わが町、かつらぎ町でも同じことがいえる。産業構造の分析、農業の占める割合を明らかにして、何がどのような形で地域にインパクトを与えているのかを、事実にもとづいて丹念に明らかにする必要がある。介護関係と医療関係で働いている人の人数とその経済的な位置についても興味がある。
林業は、森林組合の事業規模を中心に見れば、その姿が分かると思われる。シルバー人材センターの役割についても補助金だけではなくて、シルバー人材センターの経済活動の規模、新しい分野にサービスを展開することによってどのような事業展開が行われるのか、といいう視点からも見ていく必要がある。
産業構造の分布は、町の分析の中にある。それを足がかりにして具体的事実に迫る努力が大事になる。

農業の規模については、農協に対する出荷額だけでかつらぎ町の農業を把握することはできない。農家の所得と農協の出荷額との相関関係も見る必要がある。物産販売の規模とその経済活動ということになると、独自の調査が必要になる。
客観的な指標とその実態。客観的な指標を把握していけば、どのような事実をつかむべきなのかも見えてくる。産業観光課が、何をどのように把握しなければならないのかというところにも踏み込んでいく必要がある。
物事は具体的なので、具体的な事実にいかに肉薄していくか。この肉薄のプロセスの中でこそ、抽象的な思考が大事になる。具体的な事実を分析するための抽象的思考ということだ。

飲み会の時に、「日本共産党にいて、疑問に感じたことはないか?」という問いかけがあった。
「ないよ」
「それやったら宗教やな」
「いや、違うよ」
というやり取りになったが、どういうことなのか、全く説明しなかった。
日本共産党の路線や政策に対して、信じている、信じていないということではない。大事なのは、党が明らかにしていることが、事実なのかどうかだ。もちろん、日本共産党の綱領路線の分析や歴史観には信頼をおいている。それは、若い時代から自分の頭で、自分なりに検証して、その路線の正確さに感動もして理解してきたからだ。
もちろん、この理論の基礎になっている科学的社会主義についても、自分なりに勉強してきた。
大切なのは「根本的にことに通じること」である。その上で、
「弁証法は、現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、その否定、必然的没落の理解を含み、どの生成した形態をも運動の流れのなかで、したがってまたその経過的な側面からとらえ、なにものによっても威圧されることなく、その本質上批判的であり革命的であるからである」(資本論第一巻あとがき)というような見方を行うところにある。
こういう姿勢で物事を捉えるという点では、日本共産党の路線も政策も、同じようにこういうものの見方で捉えるべき対象だということだ。自分なりの科学的に批判的に検証し、自分の頭で解釈するということを通じて理解していく努力をしている。
したがって、日本共産党が明らかにしている政策や理論に対し、もちろん未解明や不十分さを感じることはあるけれど、日本共産党が努力して明らかにしている方向に対する深い信頼と確信がある。

大事なのは、結論ではない。大事なのは、事実の本質を深く把握する方法にある。
ぼくは、ある時期から自分自身も日本共産党のように、自分の目と耳、頭で物事の全体像を見て、本質を見抜き、その物事の発展の方向を生き生き把握したいと思ってきた。物事を分析する力は、中央委員会にあるのだから、党中央の論理を学んで、それを語るというようなことでは、それこそ、宗教になってしまう。
自分のものの見方、考え方が唯物論的でかつ弁証法的になるように努力し、丹念に事実を把握して、物事の本質と物事の発展のプロセス、物事の発展方向を見極めたいと考えてきた。このような努力には時間がかかる。しかし、このようなものの見方、考え方には発見と感動がある。

議員になって幸せだったのは、調査と研究が、繰り返し求められるところにある。ものごとを丹念に把握していくと、そこには新しい発見があり、絶えずその物事の発展の歴史が見えてくる。発展の歴史が見えてくれば、現在の姿がわかり、未来の発展方向も見通せる。この力こそが、科学的社会主義の理論の力だと思ってきた。ぼくの一般質問や質疑は、こういうものの見方によって支えられている。

「いや違うよ。日本共産党の理論は、徹底的に物事に精通する努力をするところに基本がある。その中から発展の歴史と現在の姿、発展していく未来を予見する。このような見方に立って、たえず研究を重ねているところに日本共産党の神髄がある。今の社会は、人類の最終の到達した社会ではない。人類は、この危機を乗り越えたらもっと豊かに発展する可能性をもっている。社会を変える努力は、人類の価値のある努力の成果を力にする。世の中を変える運動が社会を前に進める力になる。ここに面白さを感じている」
これが、その時に酔っ払った頭で考えていた答えだろう。酔っ払っていたので、この話をしたらどこに行くのか分からなかっただろうなあ。
まあ、こんな話をしても、硬すぎて真意が伝わらないと思うけれど。

日本共産党の大会決議案は、世界の情勢、日本の情勢、社会主義・共産主義社会への展望を明らかにしている。なかなか読みごたえのあるものになっている。中国に対しては、自由と民主主義がない問題を指摘し、社会主義に発展できるかどうかについて、問題点を指摘している。日本社会における社会主義は、資本主義の中で培われた価値ある成果の上に立って、自由と民主主義がより一層発展する社会になることが明らかにされている。

社会主義に到達する過程はかなり長い。生産手段が社会化されたとしても、人間が生産の現場や管理を行い販売を行うすべての段階で、民主主義的な職場を実現し、文字どおり働く人が主人公になるような組織の形を実現するのには、かなりの時間がかかると観ている。社会主義社会になって、労働時間が短縮されて、自由が拡大し、人間がその持てる能力を多面的に発展させられる条件が整い、人間としての豊かな発展が保障される中で、組織を運営するマネジメントがより一層民主的に発展するようになると思われる。

日本共産党の組織でさえ、人間関係のもつれや軋轢がある。人間関係によって組織運営に支障が出るケースもある。現在の資本主義的な人間関係の中で、日々発生している組織の中での人間の有り様は、なかなか複雑で問題点が多い。組織が、構成員の思いを汲み上げ、一人ひとりが大事にされて、たえず人間的な成長が保障されるような、そんな人間関係が実現している組織は、あまり例がない。
民主的な組織運営と人間の自由が保障される社会は、やがて実現されると思われるが、それは、資本主義的な搾取が経済的な基盤に存在しなくなり、自由と民主主義が保障され、豊かな人間的発展が保障された中で徐々に実現するものなのかも知れない。

でも、かなり遠い将来、人間はこういうところに到達するという見方を日本共産党はしているということだ。夢物語ではなく。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明