徴用工問題を考える

雑感

徴用工問題について、明治大学教授の山田朗さんに対するインタビューが「赤旗日刊紙」(11月29日付)に掲載された。歴史学者が歴史的な経緯を踏まえて語る話はよく分かる。日本が植民地時代にしたことについては、深い反省のもとで対応すべきことだと思う。徴用工は、戦時中、国家総動員法が発令されて以後は、強権をもって労働力として連れてこられた歴史がある。しかし、それ以前の「募集」段階でも動員が人数で求められ、それに従って日本に連れてこられ、半ば奴隷のような状態で働かされた人々がいた。
とくに単純労働に従事した人々の扱いがひどかったということを山田教授は指摘している。

1910年の韓国併合以後、日本は韓国を植民地にしてきた。この植民地の時代に徴用工が発生した。この歴史にようやく光が当てられ、日本の企業のもとで絵強制労働に従事した人々が裁判を起こし、慰謝料の請求がなされ、日本企業が韓国の法廷で裁かれることとなった。
日本共産党の志位委員長は、判決がニュースになったときに、 2018年11月1日の記者会見で次のように語っている。

「私は、率直に言って、(徴用工問題の)日本政府や日本メディアの対応を見ると、国と国との請求権の問題と、個人としての請求権の問題がごちゃごちゃになっていると思います。国家の請求権と個人の請求権をいっしょくたにして、「すべて1965年の日韓請求権協定で解決ずみだ」「個人の請求権もない」という調子で、問答無用の議論になっている。国と国との請求権の問題と、個人の請求権の問題をきちんと分けて考えないと、この問題の冷静な解決方法が見えてこないのです。」

個人の請求権は消滅していないというのは、日本政府が明らかにしてきたことだったし、個人と企業との関係については、1965年の日韓請求権協定の対象外であることも明らかだ。

志位委員長は国と国との請求権の問題については、次のように述べている。

――共産党として、日韓請求権協定で国と国との請求権がなくなっているという立場にたっているのですか。
志位 国と国においても請求権の問題は解決していないという判断を下したのが韓国の最高裁判決です。
韓国の最高裁判決は二重にできていて、まず個人としての請求権は消滅していないというのが一つある。同時に、国としての請求権も請求権協定の適用対象に含まれないと判定を下しました。これは2012年の韓国最高裁の判決と同じですが、その立場を表明したわけです。
その論理は、原告が求めているのは未払い賃金などではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な行為――強制動員に対する慰謝料であり、請求権協定の交渉過程で日本は植民地支配を不法なものだとは認めてこなかった、こういう状況では強制動員の慰謝料請求権が請求権協定で放棄した対象に含まれるとみなすことはできないという論理なのです。私は、この論理は検討されるべき論理だと考えています。

1965年の日韓請求権協定が一体何を取り決めたのか。このときに議論された問題は何だったのかということを鮮明にして、今回の物事を見ていけば、徴用工の問題はよく分かると思われる。この問題を考える前提として、徴用工とは何だったのかを知るために、今日の山田朗教授の話は参考になる。

ちょっと細かいので読みづらいかも知れないが、読んでもらえたら幸いだ。


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雑感

Posted by 東芝 弘明