思いは伝わらなかった

雑感

一般質問が終了した。質問の中でぼくは、女性の生理問題の大変さを医学的な観点から取り上げて、生理用品を小中学校の女子トイレに常備することを提案した。それこそ、トイレットペーパーと同じように生理用品を女子トイレに置いてほしいという提案だった。そうすることによって、若い世代の40%以上が生理痛に苦しんでいる状態を少しでも改善できるという提案だった。

教育界に求めたのは、生理に対する医学的で科学的な認識を深めること、これに対して抜本的な取り組みを強化することだった。この取り組みの強化のなかで、条件整備の一つに女子トイレに整理用品をという提案を行った。しかし、教育長は、生理用品の常備問題を教育の指導の一つとして捉えて、保健室に置くことにこだわる答弁を行った。

教育に求められているのは、生理に対する医学的で科学的な知識をしっかり伝えること、それにもとづいて女性の人権を守ることであって、水際のように生理用品を使って子どもを指導することではないだろう。これがぼくの観点だった。

生理の貧困も取り上げたが、こちらの方は、貧困状態に陥っている子どもたちの思いを教育者がどう捉えて対応するのかということだった。豊かな物があふれる社会の中で、持っているのが当たり前の世界で、生理用品さえ持たせてもらえない女の子の気持ちに寄り添うことが求められているという思いが強くあった。日本の学校ほど、日本社会の中で同調圧力に支配されている世界はそうないと思われる。靴下、服装、髪型、(果ては下着の色まで規制して——かつらぎ町にはないと思うが)などを統一しようとする傾向や、下駄箱の中の靴が数センチ開いておかれていたら写真を撮って、生徒を呼び出して、靴をそろえましょうと指導する文化、周りの人との違いを極端に意識する子どもたちの中で、生理用品を買ってもらえない女の子の気持ちを考えてほしいというものだった。自らの意思で生理用品を買ってもらえないことを告白するかのように、保健室に行き、生理用品を「忘れた」かのようにとりくつろって、ないことをもうし出させるようなことをしてほしくなかった。

しかし、申し出とそのことに対する対応が、教育的だという考え方を崩すことはできなかった。みんなが持っている文化の中、自分だけが持っていない状況が、いかに惨めで情けないか、そのことを隠したくなる気持ちを受け止めてもらえない学校が、いかに苦しい場所か。貧困問題では、そういうことを理解してほしかったが、この気持ちは伝わらなかった。

おそらくは、ぼくの質問の展開に課題があったのだろう。


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雑感

Posted by 東芝 弘明