「悲劇」を「喜劇」に転化させる力

雑感

日本国憲法の精神である恒久平和と国民主権、基本的人権は、もう一度試練にさらされている。人類の到達点が、日本において実現したという側面が日本国憲法にはある。この到達点は、5000万人の人間の死をもたらした第2次世界大戦、原爆が2度も投下されたことによって、もたらされたものだった。

国民は戦後のさまざまなたたかいの中で、日本国憲法の価値を体現してきた。高い到達点を示した憲法の原則を、戦後のたたかいによって、国民は骨身に染み込ませてきた。この国民の運動がいま、戦前、権力を握り、戦後一時期失脚し、その後復活した勢力の末裔たちと対峙している。戦前回帰は新自由主義という資本主義の権化のような勢力と結びついている。戦前回帰が復活したら、戦前以上に恐ろしい国が誕生するし、その兆候はすでに生まれている。

日本国憲法は74年の歴史をもつが、古くはなっていない。むしろまだ憲法どおりの国づくりは始まっていない。始まらなかったのは政府が、憲法どおりの国づくりを拒み続けているからだ。歴史の抵抗勢力が政権を握ってきたことが一番大きな原因だ。

憲法に基づく国づくりが始まれば、日本は経済的にも社会的にも政治的にも文化的にも生まれ変わる。新しい国は、国民主権を貫く国であり、基本的人権を物質的にも保障する国である。恒久平和主義による憲法9条を中心理念に置いた外交によって、日本は国際的に重要な役割を果たすように生まれ変わる。
このせめぎ合いは、第2次世界大戦時代の問題が未解決なままになっていることによって生まれている。歴史は、決着をつけなければならない問題を、いつか歴史的なたたかいの日程に上らせる。王政復古のような歴史の後退はあり得るが、それが一時期成功したとしても、国民主権と基本的人権、恒久平和という人類が到達した原則は、必ず国民の手で復活する。

歴史を逆行させる企みは繰り返される。一度目は悲劇として。二度目は喜劇として。悲劇が喜劇に転化するかどうかは、国民の運動にかかっている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明