日本の学校給食が世界一である理由

雑感

お昼まで決算審査特別委員会の準備。午後事務所で会議。夕方自宅に帰って引き続き決算の準備。仕事が終わらない。文字を速く読めるようになりたい。つくづくそう思う。今日は夕方6時台にご飯を食べた。準備をしていると眠たくなったので少し寝て、8時に起き、作業に集中した。どれだけ文書を読むかに準備の基本がある。読んだあとで決算書とにらめっこっする。

分からないことが多いので、ネットでも調べる。インターネットは辞書代わりになる。給食の無償化の資料を見ていると池上彰さんの解説を思い出した。日本の給食は世界一という紹介があったので、ネットで各国の給食を見比べた。写真で見ると、外国の中には日本の給食よりもいいなと思うものがあったが、日本との最大の違いは、日本が食教育を行っていることだった。
先人の努力が偲ばれる。学校給食を教育の一環として、学校給食法を策定した人の卓見が、今に生きている。これで給食法の精神のまま、自校調理方式を全国津々浦々で実施していたら、日本はダントツで、理念も内容も世界一の学校給食だっただろうなと思う。

先人たちの努力の一つは、教育基本法に教育の目的を人格の完成を目指すとしたことにある。この根本目標が、学校の活動は、すべて教育活動と深くつながっており、すべての活動が人格の完成を目指す目的に沿ったものという理念を形成したのだ。この理念が中心にあったからこそ、学校給食も教育の一環として確立した。
私たちは授業で勉強を教えているのであって、他のことは自分の仕事ではないというような言い方をする人もあるが、日本の教育基本法は、人間を丸ごととらえることを求めてきた。学校の勉強だけが教育ではないという言い方が昔からあったが、この言い方を支えてきたのは、教育基本法だった。

しかし、この考え方は、同時に教師に過度な負担も求めてきた。人格の完成を目指して教えるためには、金八先生のように汗水垂らして地域を走り回り、時間外でも子どもに深く関わっていくようなことも実際に生まれてきた。
人格の完成を目指すために学校は、豊かな職種と豊かな人材を必要とする。図書館には司書がいて、事務を管理する事務長や子どもの健康を守る養護教員の体制があり、スクールカウンセラーやスクールソーシャルシワーカーが常駐し、音楽の専門家や美術の専門家、体育の専門家の先生などがいて、さらにスクールバスや給食を支える人々がいて、校長先生が管理する部門と、学校全体で働く人を管理する部門があり、互いが協力し合って、子どもの人格の完成を目指す。こういう形へと変化しなければならない。もちろん、子どもの日常を支援するために、地域における連携とネットワークも必要になる。
中学校でクラブ活動を地域に移行する場合も、その活動が教育の一環として位置づけられるよう、文部科学省は必要な手立てを講じる必要がある。
学校は、子どもの最善の利益を保障する総合的な機関として発展させられるべき存在だろう。こういう中で教員の働き方改革は、実現できる。

自民党的な政治のコンテンツはもうすでに終わっている。日本国憲法の理念を敵視した政治は歴史を逆行させるものだったと言わなければならない。日本国憲法を否定する戦前への回帰は、美しい国なんかにはならない。
土建国家中心(これには世界一のインフラ整備という「よい面」がある反面、自然破壊による自然からの復讐という側面もある)、大企業中心の政治、アメリカいいなりの政治から転換を図って、教育と福祉、社会保障を中心とした政治への転換が求められる。それは、日本国憲法が国民共通の理念として生かされる日本になる。土建は、必要な事業を行いつつ自然との調和を求めるように生まれ変わる。リニア新幹線は必要がないものとして、葬り去られる。原発はトイレのないマンションゆえに、引導を渡される。再生可能エネルギーによるエネルギーの自給、食料の時給への本格的な努力。日本国民は、こういう未来を求めてもいい。戦後、日本国憲法はこういう未来を描いて誕生した。これを21世紀に実現する。ここに希望がある。このプロセスの中で学校というものも、豊かに生まれ変わる。


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雑感

Posted by 東芝 弘明