クリエイティブな会議とは?

雑感

Charleston, SC, Meeting Street by hdes.copeland

会議には、大きく分けると3つの種類がある。
1 一堂に集まってもらって方針や意志を伝達し、考え方を統一するための会議。
2 経験や考え方を出し合って、情報を交換したり、経験交流を行ってお互いに学ぶための会議。
3 一緒になって考え方を深め、新しい方向を出すクリエイティブな会議。

この3つの会議は、1つの会議の中で組み合わせて行われることも多い。
3つの会議の中で最もレベルの高い会議は、3番目の会議だろう。
1の方針伝達と3のクリエイティブな会議を一緒に行う場合、会議の主催者は、方針を伝達し意思統一を図る部分とクリエイティブな結果を生み出す部分については、明確な区別を行って会議を進める必要がある。
3のクリエイティブな会議が一番面白い。
しかし、会議の運営としては一番難しい。

最も大事なのは、相手の脳みそを借りて物事を考えるということだ。どうすればこういうことが実現できるのだろうか。
まず、重要なのは会議のメンバーが、自由にフランクに意見交換ができるような関係をつくるということだ。どうすれば、こういう雰囲気の会議が実現できるのだろうか。
日本人は、会議が始まるとものをしゃべらなくなり、休憩になると意見交換を始める傾向がある。多人数の会議になると、人前で発言できなくなる人も多い。自由にフランクに意見交換ができる関係をつくるためには、一定の時間が必要だ。
そのためには、テーマになっている事柄について、意見をいいたくなるように、イメージが豊かに立ち上ってくるような意見交換が重要になる。発言した人の意見が尊重され、出された意見を否定することは避けなければならない。発言に触発されて更に発言が重なるようなことが続いていくと、次第に一つの物事を一緒に考えるという雰囲気が醸成されていく。
ここまでもっていくためには、1日ではできないかも知れない。

スタジオ・ジブリの鈴木敏夫さんは、裃(かみしも)を着てジブリにやってくる様々な会社の人々と一緒に会議をするときに、かなり時間をかけて会社の裃(かみしも)を取り外すためのディスカッションにかなりの時間をさくそうだ。建前の話ばかりが前に出てくる間は、どんな話をしても本当の知恵というものは出てこない。

鈴木敏夫さんのような真似はなかなかできないけれど、会議の中の発言で発言する方々の意見が尊重され、意見に触発されて、意見が重なっていくような状況ができれば、自分の頭と相手の頭が入り交じっていくような状況が生まれてくる。
このような状況になるということは、人間関係が実に率直でフランクなものになるということだ。こういう関係が生み出されると休憩時間も熱心に会話が行われるし、会議を再開しても活発な意見交換が行われるようになる。

自由に意見が交換されるようになると、会議への新しい方針提案に対しても、率直な意見が出されるようになる。主催する側は、Aという方針を提案して、意見交換をしてもらっても結論はAのまま変わらないというような、かたくなな姿勢をとることは許されない。こういう態度は、最悪の態度だといわなければならない。
提案するAという方針は、あくまでもたたき台にしかすぎない。それはどんなに精査して完璧だというような方針提起であっても、それを押し通すなどというのは論外になる。もし、そういう態度を貫くと、その会議は、単なる方針伝達の会議になる。会議の性格が変わってしまう。
会議参加者の脳みそを借りて、一緒に物事を考える会議というのは、Aという提案がBという形になることを前提として会議を進めるということに他ならない。Aという方針提起に固執するということは、結局意見をもらうが、意見を聞かないに等しい。
主催者は、Aという提案に対する議論によってBが生まれることを目指さなければならない。Aという提案が却下されてBになってもかまわないという姿勢で会議に臨むことが大事になる。主催者側にこういう柔軟さがなければ、知恵を出し合う会議は実現しない。
A案が議論を通じてBになるということは、会議参加者の側からいえば、参加者の意見が採用されることを意味する。会議での発言が、取り入れられて全体に行かされるということは、会議参加者に発言者が認められることになるし、その意見が事態を動かすことになる。参加者が会議の主人公になるということだ。こういうことが実現することによって、会議参加者は、意欲を高めていく。主催者が原案Aに固執して修正を認めないという態度をとると、参加者の会議に出席する意味は半減する。会議の中で発言を否定されると、参加者の中で否定された事になり萎縮することになる。時と場合によっては、発言を否定されることはあるだろうけれど、こんなことが繰り返されていくと、会議は面白くなくなっていく。

主催者の側が、会議参加者の意見を積極的に受け入れるのは、テクニックではない。心底、みんなの脳みそを借りてクリエイティブなものを生み出して行くという考え方をもっていないと、そういうことはできない。参加者の発言に主催者が感動し、もしくは自分の見解を修正し、なるほどと思わなければ、A案をBへと発展させる事はできない。
もしくは、提案者のA案に対し、B案が出され提案者の原案が却下される場合がある。提案者が、自分の案の方がいいと思っていても、参加者がこっちの方がいいというケースもある。
その場合、提案者は無条件でBに賛成しなければならない。民主的な会議の運営なしに、クリエイティブな会議は生まれない。一致した方針を会議参加者で確認し、いっしょに新しい方針で動いてこそ、集団の経験と認識が発展する。

こういう会議が成立している会議は少ない。
議会で行われている公式会議は、こういう会議にはなっていないが、議会と当局という関係は、若干対等平等ではない。首長と議員は対等平等だが、議員と当局の職員は、議員の発言を尊重するという関係のもとで会議が行われる。本心は別にして、議会による議員の指摘を重んじるという関係性があるので、議員による指摘が当局の方針の変更を実現していく。
それは、厳しい指摘を受けて押し込められながら飲み込んでいくというような会議になる。
このようなことを重ねていると、当局側は議会に対して神経質になる。
しかし、首長が議会と対立関係にあると、議員の意見を尊重しながらも、議員の意見は受け入れないという形になってくる。こんな力ずくの会議を和らげるためには、議員が積極的で具体的な提案が必要になる。議員が、よく研究をして新しい制度を具体的に実現可能な方向性をもって提案を行い、当局が面白い、やりがいがあるというような受け止めが生まれてくると、新しい制度導入に意欲が出てくる。積極的で具体的な提案には、そういう力がある。

議会改革の中で、議員が政策立案を行えるようになるためには、議員による相互討論と政策研究が必要になる。議員による新しい条例の提案や予算の修正案が現実のものになるためには、議員の中で誰かが具体的な提案の作業を行う必要がある。文書の起案も含めて提案を行わないと、条例案の提案も予算の修正も実現しない。
当然、こういうことを実現するためには、議会事務局によるサポートが重要になる。

この方向に向かう努力は、議会の中で3のクリエイティブな会議を実現することにもなる。
行政当局の会議には、1の方針伝達会議が多い。ほとんどがこれかも知れない。こういう会議ではない会議、議案があって質疑があって、採決がある会議の場合でも、原案無修正というケースがほとんどだ。
国際会議では、原案の提案があり、各国の発言があり、その後、各国から選び出した担当者による採択文書の作業のための会議がある。こういうことを最初から会議の中に折り込むためには、最初から原案について修正する作業を行う会議というものを組織しておく必要がある。
地方議会には、集団で提案された議案を検討し、修正を加えるような時間をほとんど確保していない。会議の日程の中にそういう時間が折り込まれていない。国際会議のように修正を加えるために作業を行う会議を組み込まないと、議案の修正はなかなか実現できない。
そういう仕組みをどうやって組み込んでいくのかを、今後は考えていかなければならない。

議員が予算や議案の修正を柔軟に実現するようになれば、行政当局の姿勢は大きく変わる。首長が議案を提案すると、原案のまま可決することは当たり前、当然という関係が、首長の提案は議会によって変わるということになる。
これが実現すれば、議会は大きな役割を果たすように変化する。

議会の中でも3のクリエイティブな会議が実現できるように。
がんばらなければならない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明