自虐史観考2
「自虐史観」という言葉は、藤岡信勝氏が名付けの親のようだ。これは、社会科教育学を専門とする人が言い出したものだ。
そもそも自虐史観というのは、できるだけ客観的に事実を探究しなければならない歴史学に、主観的な「自虐」という言葉をかぶせたものだ。
歴史的にどういう事実があったのか、ということがすべてであって、自虐的云々というのは、歴史学にとっては何の関係もない。悲惨な歴史があるのであれば、それを直視する必要がある。
ところが、日本による侵略戦争だったことを主張すると自虐史観だという反論が返ってくる。
こういう論理の展開の仕方が、そもそもおかしい。歴史的事実として、日本が朝鮮と台湾を植民地にし、満州事変を出発にして満州国という傀儡政権を樹立した歴史は、全く動かない。その後1937年から中国全土で戦争を行い、その延長線上で太平洋戦争を行っている。その過程で日本軍が侵攻していった領土は、東南アジアに大きく広がっている。日本が領土を拡大していった国々は、日本に対して軍事侵攻することはなかった。日本軍は、大量にそれぞれの現地に軍隊を派遣し、戦闘行為を行った。
アジア諸国に対し日本が侵略戦争を展開したのは動かしがたい事実として存在する。日本が軍隊を駐留させて戦争を展開したことに対し、戦場となった国々は、日本に対し軍事的駐留を求めた事実がどれだけあったのか。
不勉強なので誰か教えていただきたい。大東亜共栄圏というものが、歴史の事実であるならば、日本に対し要請があってしかるべきだろう。戦場となった国々が、日本に対して駐留を要請したという文書があれば見せて欲しい。
日本に対し日本軍を進駐してほしいという要請がなくても、大東亜会議と大東亜共同宣言があるではないか。という反論をしたい人もいるだろう。
大東亜会議と大東亜共同宣言とは何だったのか、簡単に触れておこう。
1943年に東條英機首相のもとで、11月5日〜6日の2日間、日本は東京において大東亜会議を開き、大東亜共同宣言に調印している。参加したのはビルマ、満州国、中華民国、日本、タイ王国、フィリピン、インドだった。
結ばれた共同宣言は以下のとおり(カタカナをひらがなに改めた)。
抑〻世界各國が各其の所を得相倚り相扶けて萬邦共榮の樂を偕にするは世界平和確立の根本要義なり
然るに米英は自國の繁榮の爲には他國家他民族を抑壓し特に大東亞に對しては飽くなき侵略搾取を行ひ大東亞隷屬化の野望を逞うし遂には大東亞の安定を根柢より覆さんとせり大東亞戰爭の原因茲に存す
大東亞各國は相提携して大東亞戰爭を完遂し大東亞を米英の桎梏より解放して其の自存自衞を全うし左の綱領に基き大東亞を建設し以て世界平和の確立に寄與せんことを期す
一、大東亞各國は協同して大東亞の安定を確保し道義に基く共存共榮の秩序を建設す
一、大東亞各國は相互に自主獨立を尊重し互助敦睦の實を擧げ大東亞の親和を確立す
一、大東亞各國は相互に其の傳統を尊重し各民族の創造性を伸暢し大東亞の文化を昂揚す
一、大東亞各國は互惠の下緊密に提携し其の經濟發展を圖り大東亞の繁榮を增進す
一、大東亞各國は萬邦との交誼を篤うし人種的差別を撤廢し普く文化を交流し進んで資源を開放し以て世界の進運に貢獻す
この宣言が事実に基づいたものであるならば、日本に勝ったアメリカは、どうしてイギリスとともに「ビルマ、満州国、中華民国、日本、タイ王国、フィリピン、インド」を植民地にしなかったのだろうか。この問いにはぜひ答えていただきたい。
この大東亜会議と大東亜共同宣言は、日本にこれらの国々が従わされ、結ばされたものであり、これ自身が日本の侵略を物語る証拠になるのではないだろうか。ぼくはそう考える。理由は以下のとおり。
日本による戦争が終わることによって、戦闘行為がなくなり平和が実現した。大東亜共栄圏の確立の運動は、共同宣言が書いているとおりまさに戦争だった。この戦争は、米英による侵略戦争に対する日本による反撃だった。共同宣言が指摘どおり米英が侵略戦争を展開していたのであれば、日本が敗北したら、「飽くなき侵略搾取を行ひ大東亞隷屬化の野望を逞うし遂には大東亞の安定を根柢より覆さん」としていた米英は、侵略を強めるはずだ。
しかし、そんな事態にはならなかった。大日本帝国の敗北によって戦争が終わり平和がやってきた。この事実は、戦争を仕掛けていたのは日本であって、米英ではなかったということを示している。大東亜共栄圏は平和を実現するためのものだったというのであれば、この歴史の事実をどう説明するのだろう。
歴史の事実を直視して指摘すると、それは自虐史観だというのは、極めておかしい。主観的願望をもって強く侵略戦争を否定し「自虐史観」だと言っても、歴史の事実は変わらない。侵略は侵略。侵略が正反対のアジアの解放にはならない。日本政府の欺瞞は、1945年の日本帝国主義の敗北時の歴史的事実によって明らかになっている。
>そもそも自虐史観というのは、できるだけ客観的に事実を探究しなければならない歴史学に、主観的な「自虐」という言葉をかぶせたものだ
そうですよ。
言葉の理解が違うのではないですか?
『自虐史観』は、主観に対して自虐と捉える『主観』です。
よって『コレが自虐史観だ!』は存在しません。
私が、東芝さんに対し『自虐史観』というのは、結果に至る原因や要因を
一切無視し、結果だけにフォーカスする史観は『フェアー』では無いと思うからです。
裁判であっても検察、弁護の双方の言い分と結果に至る原因を勘案し
判断されるように。
アメリカの原爆投下は今でも正当化されていますよね。
戦争国際法にある非戦闘員を殺戮したジェノサイドにも関わらず。
アメリカは『戦争を早く終わらせることが両国の被害を最小限にする』という
トンデモな理由でも正当化されています。
私は、第2次世界戦争での日本軍を美化するつもりは毛頭ありません。
しかし、日本自体が侵略植民地化される危険性があったことなどの
ロシア戦争以降の防衛の背景を一切語らない東芝さんは『フェアー』では無いと思います。
ワタナベさんの批判は、全く当たりません。
日露戦争に対してロシアとの関係で論じていますが、戦場になった中国東北部や朝鮮についての考え方が全くありません。たまたま戦場になっただけとでもいうのでしょうか。戦争によって併合された朝鮮の民族が日本からどんな目にあったのか、このことを見る必要があると思いますが。
ぼくの書いたことに対して、一切言及がなく反論するのは、フェアじゃないと思います。大東亜会議と大東亜共同宣言の存在は、日本の侵略戦争を浮き彫りにする点です。この点は、物事の本質を射抜く扇の要になっているのではないでしょうか。この点は、すべての面をおさえています。
自虐史がどうというより、東芝さんの歴史は点でしか見ていない。松本清張じゃないけど歴史というのは点が線となって流れた記録です。東芝さんには、その線がないのよ。単なる過去の戦争を強調した批判で、とても歴史といえるレベルでない。
虐殺の件ですが、農民一揆の首謀者が殺されるのは、世界史的に見て虐殺ではありません。世界史的な虐殺というのは、農民一揆参加者すべてを殺したうえにその地域すべての人を殺す。・・・そういうのを虐殺というのです。日本史には・・・中世にたしかにその虐殺をやった人がいます。がそれぐらいで。それ以外は虐殺はありません。南京大虐殺は中国の政治的な作り話です。当然、中国自身も作り話ということ知っています。信じているのは、日本共産党だけです。
トリノさんの批判は全く当たりません。日本共産党員でない歴史の専門家が、南京虐殺の本を書いています。今でも買うことのできる本がAmazonにあります。
トリノさんにもワタナベさんに書いたことを繰り返し書いておきます。
「ぼくの書いたことに対して、一切言及がなく反論するのは、フェアじゃないと思います。大東亜会議と大東亜共同宣言の存在は、日本の侵略戦争を浮き彫りにする点です。この点は、物事の本質を射抜く扇の要になっているのではないでしょうか。この点は、すべての面をおさえています」
歴史を語るときは、一般的な認識で語らないと話がかみ合わない。おまけに事実でない(南京大虐殺)なんていう項目を加えられると、政治でなく思想論になります。日本の中世までの歴史なら日本だけの歴史で十分ですが、日本の近代史を語るときは、当然グローバル社会の始まりであり、世界史に関する認識も必要です。
つまり日本の近代史は、明治維新後の日本の歩みと世界史の歩みを同時に認識して語らないと・・・それも教科書に書いている一般的なものに沿ったようにです。
東芝さんの歴史は、歴史ではなく思想です。戦争の思想ですよ。
トリノさんの批判は、全く当たりません。少なくともぼくは具体的に書いていますが、トリノさんは具体的事実を提示せず抽象的に書いているだけです。
トリノさん
すみません、コメントを読んでいて抱いた素朴な疑問ですが、日本の中世までの歴史なら日本だけの歴史で十分とはどういう意味でしょうか。教えてください。
歴史というのは、過去の事実をもとに勝手な理由をつけて自己満足する学問です。自然科学のような真理追求するものではありません。・・・つまり歴史の解釈にはいろいろありますが、真理は分からないものです。・・・という前置きをして、
日本が、世界の影響を本格的に受け始めたのは明治維新後からです。ヨーロッパからはじまる大航海時代、ルネッサンス、産業革命を経て、人間が地球を素早く移動できるようになったのが、19世紀以降になります。ペリーが日本に来ることができたのも、蒸気機関が開発されたからであり、帆船ではアメリカからアジアへは非常に難しかった。江戸時代の鎖国政策の間に世界は目覚ましい発展を遂げていて、開国したときすでにグローバル社会が始まろうとしていたのです。
日本の中世、江戸時代まではそのグローバル社会ではなく、世界の動きと日本はほとんど連動していません。戦国時代にキリスト教が侵入しようとしましたが、日本の特異性のために入れなかった。また鎌倉時代には元寇で中国の侵略がありましたが、神風(台風)で助かった。つまり、日本史の中世までは、日本独自の歴史で世界史とはほとんど連動していません。
が、明治維新後は違います。アメリカ・ヨーロッパ諸国・アジアを含めた各国の思惑が交叉して世界史と日本史がリンクして動くようになっいます。よく調べてみたらどうですか?第一次世界大戦に日本がどう関係したか?日露戦争と世界の動きはどうだったか?明治政府代表で大久保利通が清国に交渉に行ったとき世界がどう対応したか?
世界史を知らずに日本の近代史は語れないですよ。
トリノさんの歴史は、自己満足の学問なのですね。なんでもありですか。
江戸時代を中世とする考え方も初めてみました。ふつう近世に区分すると思うのですが、個人の自由ですか。だとすれば、トリノさんのなかで近世はいつですか。
キリスト教が「浸入」しようとしたが日本の特異性のために入れなかったとありますが、はっきり言ってわからないところだらけです。とりあえず、結論の部分である入れなかったという点について、政府が暫定リストに掲載している長崎の教会群とキリスト教関連遺産を、トリノさんは評価しないのですか。信長がキリスト教を保護したのは義務教育でも習いますが、秀吉と家康だけ評価するのでしょうか。その後の隠れキリシタンは。トリノさんのいう日本とは。特異性……
元寇の際侵略されなかったから世界と連動していないというのは、論自体が矛盾してませんか。列島外から元寇という脅威があったこと自体、世界史的なことだと思いませんか。実際、当然連動していて、幕府は組織改編し軍勢を整えたし、いくつも戦いがあった。神風……ほんとうに台風ですか。
さらに、奈良・平安時代の遣使と宮都造営、仏教宗派の伝来、神仏習合、美術の発達……飛鳥時代の仏教公伝と豪族の争い、寺院の各地への普及……古墳時代の渡来系技術による物質文化、朝鮮半島における前方後円墳の分布……弥生時代の水稲耕作その他渡来系物質文化の複合的伝来……とみていくと、世界との連動は、中世どころか古代、原始にまで遡ります。列島、とくに本州島が世界との連動性が低くなったのは平安時代の遣唐使廃止後と江戸時代くらいだと思うのですが、いかがですか。
ちなみに、あくまで時系列で比べてですよね。
日本は島国だから、大陸と比べて地理的に連動性が低いのはわかります。それを、ある時代の以前と以後とで簡単に線引きするのは世界史をなめていませんか。
東芝さんの歴史的論理は、いつも思想的抽象性を持っているので、反論となるそういう内容になります。
南京虐殺の件については、「歴史の専門家が、南京虐殺の本」を書いただけでは事実といえません。必要なのは、虐殺の証拠です。当時南京市の人口は約20万人です。何人虐殺されたのですか?その動かぬ証拠がありますか?1万人虐殺するとそれはすごい数です。原爆のようなすごい爆弾でも1個で8万人程度です。必ず巨大な埋葬地があるはずでありそれがなければ、事実でありません。たとえばUFOに関する写真や目撃情報がたくさんあります。で・・・UFOはありますか?それを否定する証拠を示すことは非常に難しい。あるいという嘘の情報はたくさんありますが、ないという証拠になると宇宙全体を調べなければいけない。不可能です。ネッシーは?あるという本はたくさんありますよ。死後の世界は?それもたくさんあります。が否定するのは無理です。死んで確かめることができないから・・・笑。同じように南京大虐殺がないという証拠はありません。UFOとおなじなのです。中国全土を調べる必要があるので・・・。つまり、南京大虐殺があるというなら、その動かぬ証拠が必要です。それがなければUFOと同じです。目撃情報や写真ではダメです。虐殺された死体がでないとだめですよ。常識的なレベルの話です。
つまり、東芝さんの歴史は、史実に認められていない内容を織り交ぜた思想にしかすぎません。
トリノさんの批判は、全く当たりません。
歴史学も社会科学の1つであり、専門家はたくさんいます。圧倒的多数の専門家が、よって立っている研究姿勢をトリノさんは踏まえて、批判しているわけではありません。「過去の事実をもとに勝手な理由をつけて自己満足する学問」という歴史学に対するトリノさんの認識は、歴史学者の批判に耐えられるものではありません。
物事を批判するためには、少なくとも専門家の書いたものを、最小限度で言えば、1冊読んで(百科事典の南京虐殺の項だけでもいいと思います)批判すべきだと思います。南京虐殺があったのかどうかでいえば、日本の歴史家の圧倒的多数は、虐殺があったという判断をしています。批判するのであれば、これらの書物を読んでから行うべきでしょう。そういうものを読まないで、自分の考え方を展開しても、説得力はありません。
ぼくの見解は、少なくとも日本の歴史学の成果の上に立って書いているものです。
外務省ホームページに「日中歴史共同研究」のページがあります。この研究は、「2005年4月の日中外相会談において、町村外務大臣(当時)より日中歴史共同研究を提案、翌5月の日中外相会談において、詳細は事務当局間で議論していくことで一致。」「2006年10月の安倍総理大臣(当時)訪中の際、日中首脳会談において、日中有識者による歴史共同研究を年内に立ち上げることで一致。同年11月、APEC閣僚会議の際の日中外相会談において、歴史共同研究の実施枠組みについて合意」して始まったものです。
南京虐殺について、報告書は次のように書いています。外務省の文書です。長くなりますが引用します。
「中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しか し、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発 生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判にお ける判決では 20 万人以上(松井司令官に対する判決文では 10 万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判 軍事法廷では 30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究 では 20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている24。このように犠牲者数 に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計 など資料に対する検証の相違が存在している25。
日本軍による暴行は、外国のメディアによって報道されるとともに、南京国際安全区委員会の日 本大使館に対する抗議を通して外務省にもたらされ26、さらに陸軍中央部にも伝えられていた。そ の結果、38 年 1 月 4 日には、閑院宮参謀総長名で、松井司令官宛に「軍紀・風紀ノ振作ニ関シテ 切ニ要望ス」との異例の要望が発せられたのであった27。
虐殺などが生起した原因について、宣戦布告がなされず「事変」にとどまっていたため、日本側 に、俘虜(捕虜)の取扱いに関する指針や占領後の住民保護を含む軍政計画が欠けており、また軍 紀を取り締まる憲兵の数が少なかった点、食糧や物資補給を無視して南京攻略を敢行した結果、略 奪行為が生起し、それが軍紀弛緩をもたらし不法行為を誘発した点などが指摘されている28。戦後、 極東国際軍事裁判で松井司令官が、南京戦犯軍事法廷で谷寿夫第 6 師団長が、それぞれ責任を問わ れ、死刑に処せられた。一方、犠牲が拡大した副次的要因としては、中国軍の南京防衛作戦の誤り と、それにともなう指揮統制の放棄・民衆保護対策の欠如があった29。南京国際安全区委員長のジ ョン・ラーベは、唐司令官は「無分別にも、兵士はおろか一般市民も犠牲にするのではないか」と 懸念し、中国国民の生命を省みない国民政府・軍首脳の無責任さを批判していた30。」
トリノさんは、少なくとも、この政府お墨付きの見解を踏まえて書いてください。
立場の違いがあったとしても、研究の到達点を踏まえて意見を述べてください。
繰り返しますが、トリノさんの批判は、全く当たりません。
東芝さん、UFO研究のを信じろと言われても反論できないのと同じで・・・なぁ~。南京虐殺が無かったと合理的に反論できない。はい。UFOや死後の世界、ネッシーを信じている人を間違いだと説得できないのと同じです。
何度も書きますが、物的証拠を無ければ話にならない。UFOと同じです。
トリノさん、南京虐殺については、安倍政権の下で行われた日中歴史共同研究の内容を紹介しました。この共同研究は、UFO研究と同じですか。あまりにも乱暴ではありませんか。安倍政権でさえ、南京虐殺は否定できないことをこの共同研究は述べています。
南京虐殺はあったことを、ぼくは日中両政府の共同研究を踏まえて書きました。
否定したいのであれば、この共同研究に対するきちんとした反論をお書きください。
そうでないと、トリノさんの批判は、全く当たりません。と重ねて言わなければなりません。
物的証拠がないと書いていますが、両政府は、物的証拠を踏まえ、この文書を書いていると思います。両政府が責任を持って発表したこの文書は、外務省のホームページに載っています。この文書を否定するのは、難しいと思いますが、いかがでしょうか。
>ワタナベさんの批判は、全く当たりません。
日露戦争に対してロシアとの関係で論じていますが、戦場になった中国東北部や朝鮮についての考え方が全くありません。たまたま戦場になっただけとでもいうのでしょうか。戦争によって併合された朝鮮の民族が日本からどんな目にあったのか、このことを見る必要があると思いますが。
東芝さんの理論は、全て混ぜ込んで自分の言いたい事に結んでいます。
何度も書きますが、
1.日露戦争に至った理由
日本が開戦しなければならなかった状況
2.その戦争で被害を受けた国々に対しての思惑
これらは分けて考えられるべき事です。
この論理で言えば私は、
1.ロシアと戦わねばならない窮鼠猫を噛む状態であった
2.決戦を朝鮮、中国で行う事で本土決戦を避けた
3.この結果として朝鮮、中国へは自衛のためとはいえ迷惑をかけた
以上のように思います。
しかし、東芝さんの
>戦争によって併合された朝鮮の民族が日本からどんな目にあったのか、このことを見る必要があると思いますが。
この時点で東芝さんが過去から書いている
『中国、朝鮮の侵略、植民地化が『目的であった』との内容と矛盾してるじゃないですか?
なんか、論点が時により変化するのは・・・・理解に苦しみます。
Q.東芝さんの問い
>ぼくはそう考える。理由は以下のとおり。
日本による戦争が終わることによって、戦闘行為がなくなり平和が実現した。大東亜共栄圏の確立の運動は、共同宣言が書いているとおりまさに戦争だった。この戦争は、米英による侵略戦争に対する日本による反撃だった。共同宣言が指摘どおり米英が侵略戦争を展開していたのであれば、日本が敗北したら、「飽くなき侵略搾取を行ひ大東亞隷屬化の野望を逞うし遂には大東亞の安定を根柢より覆さん」としていた米英は、侵略を強めるはずだ。
A.米英の方が侵略戦争だったとは誰も言っていませんが・・・・
>しかし、そんな事態にはならなかった。大日本帝国の敗北によって戦争が終わり平和がやってきた。この事実は、戦争を仕掛けていたのは日本であって、米英ではなかったということを示している。大東亜共栄圏は平和を実現するためのものだったというのであれば、この歴史の事実をどう説明するのだろう。
本件の主旨は、『日本が侵略戦争を目的として先の大戦を行った事』に対してですが
>この戦争は、米英による侵略戦争に対する日本による反撃だった。
A.その通りですね。正当防衛ですね。
>日本が敗北したら、「飽くなき侵略搾取を行ひ大東亞隷屬化の野望を逞うし遂には大東亞の安定を根柢より覆さん」としていた米英は、侵略を強めるはずだ。
>この事実は、戦争を仕掛けていたのは日本であって、米英ではなかったということを示している。
以上の結論が、『日本が侵略戦争を目的として先の大戦を行った事』の何を証明しているのですか?
文章を読んでも『戦争を仕掛けていたのは日本であって、米英ではなかったということを示している。』とは書いていますが『侵略戦争を目的とした』の回答にはなっていません。
更に追加すると『始めなければいけなかった理由』などの背景には触れられていませんが
石油の輸出禁止やハルノートの存在などの経緯は無視なのでしょうか。
>ぼくの書いたことに対して、一切言及がなく反論するのは、フェアじゃないと思います。
と書かれていましたのでそれに対して言及しました。
論点がアチラコチラに散らばって的を得ていないと思います。
端的に申し上げると東芝さんの史観が私の史観より『自虐的』と思うのは
『先に手を出したのは誰なのか?』だけではなく『なぜ手を出さねばならなかったのか?』を
併せて考え語らないと物事の本質は分からないと思います。
ワタナベさん。大東亜共栄圏をつくるための「大東亜共同宣言」は、当時の大日本帝国が戦争の理由を説明した文書です。この文書は、米英による侵略戦争への反撃(自衛のための戦争)、これを戦争遂行の理由にしていました。ここには、石油の輸出禁止などの理由は書かれていません。
大東亜共栄圏を守る戦いは、米英の侵略に対する反撃だという嘘によって塗り固められていました。自存・自衛というのは嘘だったということです。
日本の侵略戦争の動機は、日韓併合から満州事変へ、満州国の設立と満州事変から始まる15年戦争という戦争に次ぐ戦争の中で浮き彫りになるものだと思います。日独伊三国軍事同盟を結んだときに、ヨーロッパとアジアの再分割について、3国で交わした文書が残っています。日本はインドを含むアジアを占領下におくことが、この文書で確認されています。領土の拡大と世界の再分割のために、太平洋戦争を仕掛けた。これが歴史の事実ではないでしょうか。
ハル・ノートについて一言。日本がハル・ノート受け取ったのは、1941年11月27日、しかし真珠湾攻撃のために日本海軍機動部隊が出撃したのは前日の11月26日でした。ハル・ノートが太平洋戦争の引き金になったわけではありません。日本は、1937年の中国に対する全面戦争の時期から、次の戦争のために国会で特別会計を組み、戦費を積み立てていました。日中戦争の時期から日本は次の戦争への準備をしていたということです。
ナカミチさん、あなたの日本史に対する書き込みは、要所を押さえたもので、やっと日本史にたいするまともな論議ができそうです。
確かに日本は外国文化に影響を受け発展した歴史があります。しかしそれは日本が影響を受けただけで、世界と連動して進んだ訳ではありません。日本史的には、世界から影響がありますが、世界からみると本当に微々たるもので、世界に全く影響を与えるようなことはありませんでした。江戸時代までね。日本が世界に知られるのが、マルコポーロのジパングからですが、それも眉唾物で世界で注目した人はごくわずかです。戦国時代にキリスト教が日本に来ましたが、それによって日本が世界に知られるようになったわけではなく、とても世界史連動はしていません。まあ~ガラパゴスのようなものです。ついでに言うなら、アメリカは新大陸後に世界史に連動、南米はインカなどの文明がありましたが、スペインが上陸して滅亡して、植民地になって世界史に連動。オセアニアは、イギリスの植民地になって世界に連動。それまでアボリジニが居ますが、ガラパゴスなので世界に連動していません。
日本は江戸時代まではガラパゴスで、明治維新後世界と連動。という意味で使いました。
歴史は自己満足の学問ですよ。たとえば日本史で有名な「本能寺の変」明智光秀がなぜ謀反をしたか?・・小説家とか歴史家がいろいろ説を出しますが、本当のところは分からないでしょう?そりゃ~分からないですよ。本人に聞かなければ・・・笑。
太平洋戦争もそうですよ。いろいろな要因が重なり合ってあのような戦争になったのです。勝手な理由をつけたがる人たちがいますが、先人がよかれと思ってしたことであって同じ日本人として非難するのはよくないことですよ。あの戦争は確かに日本史上重要な事件ですが、それを教訓に発展させるように進むべきだと思います。
トリノさん
まず、前回の質問にお答え頂ければと思います。トリノさんの近世はいつですか。
あと、トリノさんの世界史といいますか世界がわかりません。次のような箇所です。
>世界に全く影響を与えるようなことはありませんでした。
では古墳時代、朝鮮半島における前方後円墳の分布は?
世界から受けた影響を認められるのですね。連動と何が違うのでしょうか。
>明治維新後世界史と連動。
ここまでおっしゃるのなら、明治維新後の具体的な連動を挙げていただき、明治維新前の世界から受けた影響と何が違うのか明確に説明できますか。
最も気になるのは、歴史という土俵において、歴史家と小説家を同列に扱っている点です。
職業としての歴史家は、歴史を研究するときに小説家のようなやり方はしないし、本人にきかなければわからないようなことは研究対象にもしませんよ。史料あるいは資料を批判的に積み重ねて、史実に近づこうとする。職業人としての誇りと社会貢献しようという使命感をもってやる。自然科学者となんら変わりません。
トリノさんは歴史と自然科学を対照的に捉えて、歴史のほうを自己満足と表現されていますが、自然科学の研究者が歴史の研究者と共同研究するのは何故だと思いますか。単なる暇つぶしですか。
なかみちさん、僕は歴史家でないので中世も近世とくに区別しません。重要なのは歴史の順番であって中世でも近世でも、どうでもいいと考えています。つまり大雑把なのですよ。
明治維新後、日本は日清戦争・日露戦争と世界に影響を与えてます。また科学の世界でも北里柴三郎はノーベル賞級の発見をしている。日本が世界史上に登場しはじめました。江戸時代までは、世界史に日本はほとんど出てきていない。それだけです。明治維新後は世界史と日本史を同時に理解する必要がありますが、それ以前は日本史だけで十分です。正確には日本の見方だけで十分。維新後は日本の見方と世界の見方、両方が必要です。
自然科学は真理追究の学問です。歴史学はそうではありません。単なる人間の歴史です。勘違いの無いように、歴史学が無用とは言っていませんので・・・笑。
歴史家と小説家は同じようなものというか、歴史家の定義は?別に資格があるわけじゃないので、歴史を調べて研究すれば誰でも歴史家です。大学で研究している人ばかりが歴史家ではありません。小説家は歴史を調べて小説を書きますので、立派な歴史家ですよ。自然科学と違い、歴史の解釈に正解はありません。真理が存在するかもしれないけど、分からないので・・・笑。
トリノさん、
歴史について、語らない方がいいと思います。
トリノさん
>中世でも近世でも、どうでもいい
どうでもいい、あるいはわからない、知らないのであれば、「中世」「近代」という言葉を使わないでください。伝わりませんから。自分の知っている言葉で表現したほうが良いですよ。
>明治維新後、日本は日清戦争・日露戦争と世界に影響を与えてます。(中略)江戸時代までは、世界史に日本はほとんど出てきていない。
日清・日露戦争と北里柴三郎の功績を例示いただきありがとうございます。しかし、それがなぜ、日本が世界史に登場し始めたことになるのか、全然伝わりません。
弥生時代の卑弥呼が中国の歴史書に出てくることを知らないのですか。前回質問に答えてくださっていませんが、古墳時代の朝鮮半島における前方後円墳の分布はどう説明しますか。飛鳥時代の白村江の戦いは。時代降って、トリノさんの文章にある江戸時代でも、朱印船貿易や、山田長政は評価しないのですか。
>自然科学は真理追求の学問です。(以下略)
何故に前回質問を無視して同じ主張をされるのか。最早、盲信的なものを感じますが、もう一度だけお聞きします。その自然科学者が、歴史学者と共同研究をするのは何故だと思いますか。
>「大東亜共同宣言」は、米英による【侵略戦争への反撃】これを戦争遂行の理由にしていました。
これは、【侵略戦争への反撃】 事実ですよね。(書いてあるんだもん)
これに対し
>>領土の拡大と世界の再分割のために、太平洋戦争を仕掛けた。これが歴史の事実ではないでしょうか。
これは、東芝さんの想像というか主観ですよね。
この主観を以って植民地化が目的の戦争を日本が行ったと言うのであれば、私から見れば
自虐的な(想像)史観をお持ちであるのだな~と思います。
>ハル・ノートについて一言。日本がハル・ノート受け取ったのは、1941年11月27日、しかし真珠湾攻撃のために日本海軍機動部隊が出撃したのは前日の11月26日でした。ハル・ノートが太平洋戦争の引き金になったわけではありません。
最終最後まで和平交渉をしていましたが、ハルノートが事実上の最後通告と受け取った訳です。
その最悪の事態も想定して真珠湾に機動部隊が先行していました。ハルノートの内容が違えば
真珠湾の攻撃も無かったはずです。(私の主観ですが最終最後まで御前会議で開戦については議論された)
山本五十六元帥が言った米英との開戦について『半年は戦える』との言葉は有名ですね。
軍部も当初から米英と戦争をして勝てるとは思っておらず、序盤で善戦できれば和平交渉に持ち込むつもり
だったんだと思います。
ワタナベさん、歴史の解釈なんて都合いいようになんとでもなるので、いくら論議してもお互い納得しないと思いますよ・・・笑。宗教・法律。歴史・文学・芸術・・・この手の内容は正解がない。真理追求のジャンルじゃなく、お互いの主張をするものです。
戦争に負けたというのは事実なのと、アメリカと仲良くしなければいけないという教訓を残したのは確かです。まあ~これから100年ぐらいはたとえ戦争になってもアメリカを味方につけておく必要があり、決して怒らせてはいけないということです。ロシアとは仲良くしたらダメよ・・・クソみたいな国なので・・笑。中国とは、ご近所なのでそれなりに、つかず離れずいい距離を保って付き合うのがいいかと思います。
トリノさん。
神様のようなことを書いています。歴史学者の方々が、実際に存在しているにもかかわらず、トリノさんの独断と偏見で否定しています。トリノさんが否定するかどうかで、科学性が決定します。歴史学を否定するということは、経済学も否定するのかと思えば、経済学は否定の対象に入っていません。
歴史も経済学も同じように社会を扱うのに、歴史学は科学ではなく経済学は科学だという態度を取っているということでしょうか。
東芝さん、宗教・法律。歴史・文学・芸術は真理追求をする学問ではないと言っただけで、無用な学問だとっているわけではありません。
じゃあ聞きますが、歴史学の真理とは何ですか?具体的な事例一つでいいですよ。歴史学が追究している真理とは?
なかみちさんの質問ですね?
>自然科学者が、歴史学者と共同研究
僕は万能な人気ではありません。その共同研究を具体的に示していただかないと答えようがない。
それ
質問に答える前に一言。
宗教と法律、歴史、文学、芸術を同一レベルで論じるのは乱暴です。
これを同一に論じる学説はありますか。
自然科学と同じように、人文系の科学や学問にも専門家によって諸説ありますが、人類の蓄積というものがあります。トリノさんの感覚だけで一刀両断に論じるやり方にはついていけません。
ぼく自身、これらのことについて、それぞれ一家言を持っているわけではありません。トリノさんの論じ方を読んでいても、それぞれの分野に対し専門家の研究を踏まえて論じていることを確認できないので、一家言を持ち得ていないぼくとトリノさんの議論は、全く不毛だと思います。
「歴史学の真理とは何ですか?具体的な事例一つでいいですよ。歴史学が追究している真理とは?」というトリノさんの問いかけには十分答えられません。おそらく問題の立て方がずれていると思います。
歴史学は、勝手に歴史を好きに論じるというものではありません。史実にこだわって、時代の本質に実証的に迫っていくのが歴史学だと思います。ぼくの浅い認識であえて書かせていただければ、人間社会の根底には経済活動があり、この経済活動に制約を受けながら人間の文化や思想や芸術が形成されるということです。人類の歴史は、大まかに言って原始共同体という非常に長期にわたる期間を経て、奴隷制、封建制、資本主義へと発展してきました。
ここには、なんらかの法則性があると思っています。
この歴史の中で、奴隷制や封建制は淘汰され、人類は基本的人権の尊重と国民主権を認める方向に進んできました。戦争についても戦争=無法の方向に進んできたと思います。
あえて言うならば、なぜ、様々な歴史の違いが国によってありながら、それぞれの国は波乱に富んだ異なる道筋をたどりながら、一定の共通認識や価値観に到達してきたのか、というところに真理があると思っています。国際社会は、世界経済と世界市場を形成し、各国の様々な違いを踏まえつつも、共通のルールに従って交易を行っています。こういうことがなぜ実現したのかを明らかにするところに歴史学の使命もあると思います。
歴史的に形成されてきたそれぞれの社会には、その社会を形成してきた経済の仕組みがあります。歴史学においても、その時代の経済がどうなっていたのかを踏まえながら論じる必要があります。日本社会が江戸時代から明治に入るときは、日本社会にとっては、大きな変革の時期でした。それは、封建制の時代から資本主義への移行というものだったと思っています。しかし、形成された明治政府というものは、討幕側の勢力も封建領主だったので、封建的な社会の母斑を色濃く残すものとなりました。
しかし、日本の歴史で初めて、統一国家が形成され、国境の関所は廃止され、国民には移動の自由と職業選択の自由が与えられました。小国によって独立し、その独立した藩の連合体として藩の上に君臨していた江戸幕府というものは、明治のような形の統一国家を作る力がなかったのだと思っています。
中央政府と都道府県、市町村という明治移行の社会体制は、小国の連合体というものを根本的に作り替えました。この改革を支えた根底には、急速に発展する経済力があったということです。封建時代から資本主義に移行する過程で、生産力が飛躍的に発展しました。この経済力が、統一国家を支える最大の力になったということだと思います。
歴史に対する見方という点では、ぼくはこういう見方をしています。江戸幕府を開いた徳川家康が、どのような経済政策を行い、それが社会にどのような影響を与えたのか、そういう観点からの話は、具体的には教えてもらったことがありません。しかし、本当のところは、こういうことが非常に大事だと思っています。歴史に名を残している大名が、こういう態度を取ったから歴史はこう動いた、というのは、非常に表面的な歴史であって、時代の真実には迫れていないと思います。
なかみちさん、まだ質問ありましたね。回答します。
>日本が世界史に登場し始めたことになるのか、全然伝わりません。
弥生時代の卑弥呼が中国の歴史書に出てくることを知らないのですか。前回質問に答えてくださっていませんが、古墳時代の朝鮮半島における前方後円墳の分布はどう説明しますか。飛鳥時代の白村江の戦いは。時代降って、トリノさんの文章にある江戸時代でも、朱印船貿易や、山田長政は評価しないのですか
卑弥呼の件、当然知っていますよ。中国の歴史書の件も教科書に出てきますから・・・笑。また魏志倭人伝でしたっけ?日本を倭国と記載していることとか・・・昔習ったけど、あくまで記憶なので間違っているかも・・・笑。この件は日本史から見れば大事件ですが、中国からみれば屁みたいなものです。つまり日本は世界に影響を受けましたが、中国からみればないに等しい事例です。世界と日本は共に影響し合う連動ではありません。日本だけ影響があった事例です。つまり日本史だけで十分。
前方後円墳は、日本から朝鮮に伝来ではなく朝鮮から日本に伝来でしょう?同じです。日本が世界に伝えていない。伝来ですので、日本史だけで十分。
白村江の戦い・山田長政は確かに・・・わずかですが世界史に影響??世界史から見れば鼻くそレベルであり世界史に影響なんかほとんどない。
世界史と日本史影響し合い動き始めるのは明治維新後です。
日清戦争、世界に日本アリと衝撃を与えました。日露戦争になると日英同盟を理由に、ロシアバルチック艦隊がスエズ運河を通過できず、日本に到着するのが遅れ、日本海海戦であの有名な東郷ターンがあった。ロシアの極東戦略に影響を与え、ヨーロッパ諸国のアジアの植民地政策にも影響を与えている。科学の分野では、北里柴三郎・鈴木梅太郎などの科学者が世界の科学発展に貢献している。
連動というのは日本だけが世界の影響を受けるという意味じゃなく、世界とともに影響し合いながら動く・・という意味で使ったんだけど・・・はて?おかしかったかな??
トリノさん
>卑弥呼の件、(中略)中国からみれば屁みたいなものです。
何故屁とかないに等しいなどと表現できるのか到底理解できません。ないに等しいなら、歴史書しかも正史にふつう書きますか。本当に、そう思われているのですか。
>前方後円墳は、日本から朝鮮に伝来ではなく朝鮮から日本に伝来
びっくりしました。本気ですか。朝鮮半島の前方後円墳は古墳時代中期以降ですよ。朝鮮から日本に伝来は物理的に無理です。タイムマシンでもあったと仰るのですか。いいえ失礼、、トリノさんはこのことを知らないわけですよね。
>白村江の戦い・山田長政は(中略)世界史からみれば鼻くそレベル
白村江の戦いで唐・新羅が倭国・百済に勝利したことにより、朝鮮半島情勢は大きく変わった、と評価されていますが、トリノさんにとっては鼻くそなのですね。倭国が百済について敗戦した結果、新羅による半島統一のに結びついたことが。これってアジア太平洋戦争の敗戦も鼻くそと言うのと同じように思えるのですが。
山田長政、江戸時代のはじめごろのタイ日本人町頭領ですが、維新よりも前に、世界に日本人町が形成されていることもその頭領も鼻くそですか。
そんなわけありませんよね。知っていたら、鼻くそなんて表現、できませんものね。
>わずか
秀吉の朝鮮出兵とかほかにもありますよ。
>世界史と日本史影響し合い動き始めるのは明治維新後(中略)貢献している
以上に挙げた、維新前にも世界に影響を与えている具体例とどこが違うのかわかりません。世界史的視点でみるべきなのは、どちらも同じではないでしょうか。維新前の世界に影響を与えた各史実が、どうして維新後のそれと比べて屁や鼻くそなのか、ほんとうに説明できますか。あなた、史実を知らないだけでしょう?
>連動というのは、(中略)おかしかったかな?
基本的な時代区分もわからないのに中世とか近代という言葉を使い、近世を中世と呼んでしまうようなこと。世界とともに影響し合いながら動く近世以前の歴史を知らないのにも関わらず、近代以降日本が世界と連動し始めたので近世までは日本史で十分という主張を妄信的に繰り返すこと。おかしすぎです(爆)
あ、ちなみに、共同研究は、地震学、植物学、動物学などなどいろんな自然科学とやってますよ〜
東芝さんへ
歴史学の真理が分からないのなら、「歴史学者は何をしているのですか?」でもいいですよ。「法律学者は何をしているの?」でもいいですよ。
何度も書きますが、「宗教・法律。歴史・文学・芸術は真理追求をする学問ではない」と言いましたが、
無用な学問だとは書いていません。言い方を変えれば、歴史学者の仕事は真理追求ではなく別の仕事があるということです。文学・芸術も同じです。真理追求ではなく別の仕事があるということです。
しかし、歴史学者の仕事・・・簡単に書けば何ですか?文学は?芸術は?法律は?宗教は?世の中に必要だと思いますが、その内容は真理追求という性質の学問ではないということですよ。
はて?・・・東芝さんは歴史学者は何をしていると思っているの?僕は一文で歴史学者の仕事を説明しますが・・はて????
人類の歴史にはゆるやかな法則性があると思います。歴史学は、しかし、この法則性を明らかにする学問ではないと思います。人間の社会は、極めて複雑に動いています。現代を読み解くのは、極めてむつかしいと思います。しかし、経済活動が社会の土台であり、その上に、イデオロギーや宗教、文学、芸術、文化などが成り立ち、相互に作用しあうという史的唯物論の命題は、時代を読み解く上で極めて重要な示唆を与えてくれると思います。人間の歴史の変遷をしめす過去は、複雑な要因が絡み合ったなかで確定した歴史なので、どうしてそういう方向に歴史が動いたのかということを実証的に追求する中に歴史学の意義があると思います。
歴史を含め物事には、発展のプロセスがあります。事物の変遷の歴史を明らかにすることによって、それぞれの事物がどう変化してきたのかを知ることができます。変化の原因や結果、結果を出発とした(原因になる)変化等の事物の変遷のプロセスを知ることを通じて、法則が貫かれていることが見える場合があると思います。事物の発展の歴史を知ると言うことは、その事物の変化や運動を見るということに重なります。それを見ることによって、現存している事物がどう発展していくかを見通せる場合もあります。
歴史は、最初から複雑性の学問だと思います。歴史学は、経済や社会、政治、文化、宗教等々によって成り立っている人間の社会を時系列の中で探究していくものですから、因果関係の比較的単純な物理学のような研究方法をとることはできません。物理学と比較して真理探究の学問だとか、学問でないとかを論じる訳にはいかないのは、扱っている研究対象のありかたによるということでしょう。
歴史の中に法則性を発見することが、歴史学の最終目標にはならないと思います。法則的な発展方向が垣間見えたとしても、歴史研究はそこで終わらず、徹底的に支持とを追求していく中で、人類社会の持つ複雑な側面を多面的に明らかにし、現在と人類の未来に役立てるところに歴史学の意義があると思います。
議員の活動において、さまざまな事物を追求しますが、その時に欠かせないのは、その事物の歴史的変遷を調べることです。歴史を調べることによって、その事物がどう変化してきたかをリアルに見る事ができます。このことを通じて、現在の姿を把握し、その事物がどう発展するのかを見定めることもできます。
歴史的な視点をもってこそ、現存する事物の現在の姿を深く把握することができるということです。議員活動にも役立つのが歴史による変化だと思っています。
日本で歴史学が成立したのは、50年ほどの歴史しかないと指摘している歴史学者もいます。その理由は、総合的な学問にならざるを得ない歴史学だというところにあるとともに、民主的な国家でなかった戦前は、天皇制による支配によって、歴史を自由に研究することが国家権力によって許されなかったという事情もあります。
ナカミチさん
提示いただいた江戸時代以降の内容は、なかみちさんの通りだと思います。まあうろ覚えで書いたので内容的には多々間違いがあるかと・・はい。が・・・世界史的には鼻くそレベルの内容です。アジアの他国への影響は極微程度で世界史からは無視できるレベルと考えます。インドと中国がやはり中心であり、その国に影響を与えていないと極微の世界です。
明治維新後に日本は本格的に世界史に登場ということです。
トリノさん
江戸時代以前の史実を知らない。知らないのに、誤った内容を書き並べて鼻くそだとけなす。
指摘を受けて誤りを認める。誤りを認めたのに、なお鼻くそと書く。
何故ですか。
日本が世界に影響を与えた時期はいつか?
私も日清日露戦争後だと思います。
それまでも他国との連動はありましたが、ここでいうべき点は総論としてどうなのかということでしょう?
世界における日本の立ち位置は、ペリー来航時も『捕鯨船の給油地』が主目的だった程度です。
(だったと記憶していますが・・・)
アジア諸国は植民地化されても植民地を作れるほどの国力のある国は無かったのが
日清日露戦争で日本が両国に勝ったという事実は欧米諸国に大きな衝撃を与えました。
日本と世界の連動は、各論は様々な事がありましたが総論としては日清日露戦争以降だと思います。
トリノさんの歴史家についての意見と東芝さん、なかみちさんの意見は噛み合ってないですよねw
例えば、邪馬台国がどこにあったか?という問題でも近畿説や九州説など『立派な歴史家』の方々が
自論を展開されていますが、確定的な証拠がないので、今だに分かっていませんよね?
分かっていない=自論(推論)でしか無い訳です。
当然、これらの推論の積み重ねが重要である事はもちろんですが・・・・。
南京大虐殺の有無に関しても著名な歴史家がそれぞれ研究した結果
『あった!』『無かった!』と言っていますよね?
その歴史家の意見に各人が『そうだ!』と言っているだけに過ぎません。
そういう意味ではトリノさんが言っている『歴史に関しては各人が主張』しているので
決定的な証拠が無い限り皆が納得する結論は生まれないでしょうね。
世界史は古代は4大文明で中世から近世までは欧州が中心でだったと、高校で習った世界史の記憶です。アジアでは近世までは、インドと中国が主役で日本は付け足しのようなものです。
また、なかみちさんの朝鮮半島に日本の前方後円墳が影響したという内容がありましたが、当時の交通のレベルと地理的位置を考慮して、常識的に推測すれば中国→朝鮮→日本というルートが妥当かと、まあその件にはあまり詳しくないので妥協しましたが、朝鮮は中国とつながっていますので何かと伝わる速度は速い。また中国から日本への距離に比べて、朝鮮から日本は近いのでねぇ~当時の先進国、中国に近い朝鮮の方が、日本より文化が進んでいたと考えるのが妥当と思います。
ワタナベさん
>私も日清日露戦争後だと思います。
私もと仰いますが、トリノさんは維新後としていますので、画期が違いますね。
日清・日露戦争を、あくまで近代国家として、一大画期とするというのであれば、わかりますよ。
>総論としてどうなのか
もちろん、総論としてどうなのか、です。
総論。維新後に世界に影響、その前は鼻くそかないに等しいートリノさんのこの主張について、どうしてそんなことがいえるのか。根拠の有無を確かめるため、トリノさんの難解な文章をひとつずつ理解する必要がありました。そこで重要だったのが、次の点です。
・時代区分
・世界、世界史の意味
・比較対象の理解や認識(ここでは維新前までの史実をちゃんと知っているかどうか)
第1点目については、その人の歴史観が端的にわかることがあるので、重要です。トリノさんは江戸時代を中世、明治維新後を近代としていたので、近世はどこにいったのだろうと思ってきいたところ、単に言葉の意味を知らずに使っていたことが判明しました。
第2点目については、世界というのはどこを指すのか。全世界?なわけないですよね。世界史に登場するというのはどういう意味なのか。全くわからないのでききましたが、未だに釈然としません。列島と他地域との連動は維新前にもあるし……日本が維新後に世界史に登場なら、他の国や地域はいつから?よくわかりませんねえ、やっぱり。
第3点目については、トリノさんが比較対象を理解されておらず、間違って認識されていたことが判明しました。AはBに比べてこうだ、というのにBのことを知りませんって、おかしくないですか。
>歴史家についての意見
トリノさんは自然科学との対照で仰っています。しかも、職業人として歴史を研究することと小説を書くときに歴史を調べることを混同されているようです。
ちなみにワタナベさんも、そうなのですか。よろしければ、お答えいただけますか。
東芝さんへ
歴史学者は何をしているのか?と聞いているのですよ。その内容では意味不明です。何度読んでも意味不明です。
歴史学者とは、歴史の事柄を評価するのが仕事なのですよ。例えば「徳川家康江戸幕府を開く」その事柄に対して、家康の戦国時代からの幕府を開くまでの内容を詳しく調べ、家康死後の江戸幕府からその「江戸幕府」に対する評価というか論評をするのが歴史家の仕事です。ただ、評価の内容が問題で、僕にような素人の評価と歴史家では、歴史家は日本国誕生から現在いたる基本的な歴史を正確に勉強しているので、その江戸幕府に関する論評は当然レベルの高いものになります。
芸術は、「音楽なり美術でいかに自分の思考を表現するかという学問」です。僕は芸術性がないのでよくわからないですが・・・はい。
文学は、芸術と同じように「文章で表現したり、文章を解釈したりする学問」。当然基礎的な国語力が必要でそれを勉強しないといけない。
法律は、クソみたいな学者が多い学問ですが、まあ法律読むという学問。
歴史に戻りますが、僕とワタナベさんが、東芝さんの戦争に対する歴史的評価は間違っていますよと主張しているのです。日本古来からの歴史を知っているのですか?戦争ばかりの内容ですが、それだけが歴史ではないですよと・・・日露戦争の時の世界史を知っているのですか?当時は世界とリンクして日本が動いており、東芝さんの評価は単純すぎますよとささやいているのです。
歴史学とは?・・吉田茂が日米安保条約に単独でサインしたとき、「これでよかったかどうか分からないが、後世の歴史家の判断にまかせよう」と言ってサンフランシスコから戻ってきたと・・・
歴史学とは「歴史の事柄を評価する学問」です。真理追求の学問ではありません。