森羅万象を担当している

雑感

安倍さんが、答弁で「私は総理大臣ですから、森羅万象すべて担当しておりますので」と発言した。国語力という点でいろいろな失敗を重ねている方だ。「云々」をうんぬんと読めずに胸を張って「でんでん」と発言したときにはぶったまげたし、社会的知識という点で「私は立法府の長ですから」と言ったときもぶったまげた。行政府の長と立法府の長を混同したのは、意図的だとしたら恐ろしいことでもあった。

「森羅万象すべてを担当している」という発言は、国語力のなさと万能感の現れという捉え方がなされている。「宇宙間に存在する数限りない一切のものごと」(広辞苑)を司るのは不可能だし、自然科学では、解明できていないことの方が多いので、そもそも森羅万象を司るなんていうのは、自然科学的には不可能なことを述べているということになる。森羅万象を担当することができないのは自明のこと。論を待たない。
だから普通はこんな風に森羅万象を担当するなんて言葉は出てきようがない。
内閣総理大臣が森羅万象を担当するということになると、神ではないかということになる。安倍さんは、今まで何度か森羅万象という言葉を使ってきたから、どうもこの言葉が好きなようだ。今までの使い方も今回の使い方も、森羅万象を担当しているが、全部を把握することはできないというようなニュアンスになっている。言い分け的な使用方法なのだが、建前として内閣総理大臣は、森羅万象を担当しているのだという認識をもっているのは、どうも間違いなさそうだ。

親しい人が注意すればいい。「あの言い方は恥ずかしいですよ」と。もし、明らかに間違った言葉の使用方法に対して、誰も指摘しなくなっているのであれば、ワンマン性が際だっている証拠の一つなので、いち早く退陣なさるほうがいい。

批判してもらいやすい、指摘してもらいやすい人間関係をどう作るのか。これはリーダーに問われている資質の一つだろう。こういう形が壊れていくとその組織は危ういと言わなければならない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明