率直さと潔さ
議会改革のことを考えて、今後発展させなければならない未開拓の分野は、住民の声を議会が受け止めるための、さまざまな取り組みだろう。この分野はまだ真っ白いキャンバスがあるだけという状況に近い。各団体との懇談会は、その出発であって、このことをもって住民の声を聞いているということにはならない。住民の多様な存在のことを考えると、議会と住民の関係の結び方は、多種多様なものになると思われる。
個別テーマによる懇談やタウンミーティング的なもの、地域に入って行って地域の課題を中心としたもの、さまざまな団体との個別テーマに基づくもの、職業別、業界別のものなどいろいろな形があっていいだろう。議会モニターとの関係も、議会の仕組みの基本が理解されていないまま、傍聴されていることもあるので、きちんと議会の仕組みを伝えた中での懇談というものも考えていくべきだと思われる。
この分野のことを現時点では条例化し難いものがある。経験が積み重なっていないので規定できないということだと思っている。走りながら考えるのもいいが、自分達のしてきたことをある時点で、きちんと振り返って、考察を深めるということをしないと、複眼的な思考は培われないと思われる。
このものの見方・考え方は、PDCAサイクルでは収まらないだろう。PDCAサイクルというのは、極めて近視眼的なものの見方・考え方ではないだろうか。このサイクルが見ているのは、その事業の実行と成果だけだろう。そうではなく研究者が行っているようにテーマに基づくリサーチと分析という形でなければ、物事の本質には迫れない。そういう点では、行政は過去を踏まえて考察を深めるのは苦手だと思われる。
話を少しずらして書いてみよう。
役場も政府も、公式見解だけを聞いていると、肝心な本質にかかわる認識が、極めて曖昧なのが大きな問題だろう。
山際大臣の辞任という最近の事例で言えば、この方がどうして辞任したのかという問題は、統一協会抜きには考えられないだろう。しかし、政府の見解だけをまとめると統一協会問題で辞任したとはなっていない。肝心なことは語らないで辞任しているということになる。
役場の公式見解は、ここまでひどくないが、問題が大きければ大きいほど、その本質から離れていく。
野半の里の経営が破綻したときに役場が補助金を出して、野半の里の事業を支援し補助金を出していたということがあった。企業支援で地域おこしということで、人件費の支援だった。経営破綻を起こし、多くの人を騙す形で資金を集めていたが、最後の方は、町との連係で事業を展開していたことが問題になった。しかし、町の公式見解は、補助金の支出という点では問題がなかったというものだった。花園地域にあるグリーンパークに人を集め、ここを拠点に事業を広げることを語り、出資を募っていたという事実を直視せず、経営破綻の責任を町は全く追求せず、契約をただ解除しただけだった。
補助金支出は、結局詐欺的行為を働いて資金を集めていた事業を支えることになったが、こんな問題は、役場の資料としては何も残っていない。
日本というのは、どうもこいういうことを積み重ねている。都合の悪い問題が発生すると、事実を直視しない傾向が噴出する。これは組織としての自己保身なのだろうか。なぜそういうことになったのか、という本質に関わる点について、率直な見解を表明する組織にならないと、国民主権というものは実現しない。
率直さ。潔さ。これを認める組織でありたい。その上に立って住民との関係を議会が結ぶということが、大事だろう。たとえば、事件が起こった時こそ、役場が語らない真実を議会が語ることによって、二元代表制の役割を果たすということがあっていい。少なくともアメリカは、日本よりも率直性のある国だと思う。国家機密だった資料を、年限が過ぎれば全部開示するというシステムにも、これは現れている。









ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません