歴史とは何か2
歴史が、小説に対する感想のようにさまざまな解釈がなされる理由について考えてみよう。南京大虐殺はなかった、従軍慰安婦は、単なる公娼制度であって、性奴隷と呼べるようなものではなかったなど、同じ南京大虐殺や従軍慰安婦という問題をとっても、解釈が180度違う場合が増えている。一方の勢力は、第2次世界大戦における日本の侵略戦争を認めているのに対し、一方の勢力は、日本の侵略戦争を真っ向から否定している。この対立が、南京大虐殺や従軍慰安婦をめぐっての意見対立になっている。
この2つの問題を取りあげたのは、この2つの問題が対決の焦点をなしているからでもある。言い方を変えれば、南京大虐殺と従軍慰安婦の問題を認めるのか、認めないのかが、日本の戦争に侵略性があったかどうかに直結するので、論争の焦点がここに集まっているとも言える。
ぼくは、第2次世界大戦における日本の戦争は、侵略戦争だったという立場に立っている。
一つの歴史的事件に対し、どうしてこのような意見の対立が起こるのだろう。
それは、小説に対する感想のように、意見が色々違うというようなものではなくて、現在の政治において、過去の戦争をどう評価するかが、現在と未来に深く関わっているから対立しているという側面が濃い。
安倍政権は、現在、集団的自衛権の行使を積極的に容認して、世界中のどこにでも武装した自衛隊を派遣して、色々な国(実際にはアメリカ)の軍隊の後方支援ができるようにしようとしている。このことを実現するために、中国や韓国や北朝鮮における第2次世界大戦についての日本に対する避難や反日的な運動を利用している。中国の脅威、韓国の許しがたい傾向、北朝鮮の脅威をあおり立てることが、日本も武装しないと侵略されるかも知れない、という意識を煽っている。
集団的自衛権の行使容認に踏み切ったときに、安倍首相は、邦人の救出という例を引き、中国に近い海をパネルで示して、日本の自衛隊が邦人救出のために活動するということを伝え、集団的自衛権行使の必要性を説明した。あたかも言外に中国や韓国との有事があるかのような印象を振りまいた。
日本人の中に排外的な感情を醸成するには、どうすればいいのだろうか。第2次世界大戦のときの日本の戦争が侵略でなかったというようなメッセージを送れば、中国や韓国からも非常に強い反日的な反発が出てくる。そういう反発が生まれると日本国内に中国憎し、韓国憎しという感情を醸成できる。
そうすれば、自衛隊を国防軍に格上げすることも、憲法改正も、集団的自衛権行使にも道が開ける。
そういう計算が成り立っている。だからこそ、南京大虐殺はなかった、従軍慰安婦は単なる当時各国が行っていた公娼制度に過ぎない、と言いたいのだ。さらにもっと大きな動きとしては、日本の第2次世界大戦における戦争を、当時の大日本帝国が言っているように、アジア解放の戦いだった、というようにしたい勢力がいる。安倍さんもこの中の一人だろう。これらの方々は、最近、東京裁判を否定し始めている。戦犯として処刑された人々の名誉回復まで唱え始めている。しかし、この動きは、戦後の原点であるポツダム宣言の受諾、サンフランシスコ平和条約の否定に直結する。
歴史的な問題に対する見解の相違は、現代の日本が取ろうとしている政策との関係で生まれている。日本が取ろうとしている政策は、アメリカの要求するものである。それは、日米安保条約に基づく自衛隊の海外での戦争への参加にほかならない。集団的自衛権行使容認は、アメリカの要請に応えたものだ。これを実現するために安倍政権は、中国や韓国の反日感情を最大限に利用しているということになる。
歴史に対する解釈の違いは、政治的な利害、その背景に土台として存在している経済的な利害によって引きおこされている。武器輸出解禁、自衛隊の海外派兵が実現することによって、確実に兵器を生産している企業が儲かる。アメリカによる戦争も、アメリカの経済的な利害を根底に持っている。日本がここに参加することによって、アメリカは軍事の分担を求めている。日本の側は、アメリカと行動をともにすることによって、アメリカの庇護の元で圏域を広げたいと考えている。こういう生臭い問題によって、歴史問題に対する対立が生まれている。
日本を戦争する国にするためには、国家機密法だけでなく国防保安法、軍機保護法などの仕組みがいると考えているかも知れない。さらに広く国民を弾圧し思想統制のできる治安維持法のような法律を作りたいと考えているのかも知れない。自民党が打ち出した憲法改正草案は、基本的人権に制限をかけるものになっており、緊急事態には戒厳令をひけるような仕組みを盛り込んでいる。
戦争をする国は、国民に自由を保障しない。アメリカは、大統領選挙に見られるように、国民の政治的な自由に規制をかけている。投票したければ、選挙人登録が必要であり、州によっては、登録の際民主党か共和党かいずれかの政党の支持を表明しなければならない仕組みまである。
アメリカの2大政党制は、人為的に保管されている。それ以外の政党が大統領候補を出すためには、州ごとに膨大な署名を集める必要がある。50州のすべてにおいて、大統領候補を出すための署名に成功した第3の政党は存在しない。自由の国アメリカは、戦争を続けてきた国であり、国民の政治的参加を著しく抑制してきた国だ。こういう仕組みをもっているからこそ、第2次世界大戦後もずっと戦争を継続し続けることが出来たと言っていいだろう。
織田信長が、戦国大名の終わりの側にあった大名なのか、それとも国家統一の新しい大名だったのかという論争がある。興味深い話なのだけれど、この問題は、国民を2分する問題にはならない。第2次世界大戦をどう評価するのか、という問題は、極めて現代的な意義をもつ日本の進路のかかった問題になっている。21世紀の未来を開くためには、決着のついていない第2次世界大戦の評価に対し決着を着ける必要がある。大戦等時、あの戦争を遂行した人々のほとんどは鬼籍に入っている。しかし、戦争を遂行した勢力の中には、日本の敗戦を忌々しく思い、挽回したいと願ってきた執念のようなものがあった。日本は、第2次世界大戦について、徹底的に歴史的な教訓を明らかにできないで今日まで来た国だ。当時の日本がよかったという勢力が、戦後復活して、自民党勢力の一翼や財界の一翼を担ってきた。これらの勢力の意思を受け継いだ2世、3世の方々が、靖国派という形で政治の表舞台に出てきている。
これに対し、あの戦争を日本の敗戦だと受けとめ、新しい国民主権の日本として戦後を歩み始めたことを、積極的に肯定的に受けとめてきた自民党の政治家や財界人もいた。自民党の中には、この2つの流れがあった。戦後の政治の発展は、戦後政治を肯定してきた勢力によって培われてきたという側面もある。
日本共産党は、大日本帝国の敗北によって、国民主権の日本が実現したことを、日本の政治と経済の大転換だったと把握し、憲法に国民主権を書き込ませた政党だった。恒久平和と民主主義、基本的人権の尊重によって、日本社会は生まれ変わった。広島・長崎への原爆投下を含むおびただしい犠牲が、戦後の劇的な変化を生み出した。世界は、50000万人を超える死者を生み出した第2次世界大戦から深い教訓を導き出した。この教訓が日本国憲法に深く反映させられた。戦争の犠牲者の願いは、恒久平和や国民主権、基本的人権の尊重に込められている。戦後の繁栄の礎になったという場合の「礎」というのは、日本国憲法の誕生にある。この憲法体制が生み出した国民の権利の保障が、戦後の復興と高度経済成長を生み出す一つの力になった。
戦争による戦後生まれ変わったこの日本を、21世紀に発展させることが問われている。日本共産党は、日本国憲法にもとづく国づくりが、はばまれてきた問題を重視し、日本を日本国憲法の生きる国として発展させるために全力を尽くしている。同時に、アメリカに主権を著しく侵害されてきた戦後の歴史については、総決算すべきところにきていると考えている。
戦後70年間、日本はアメリカに主権を侵害され続けてきた。アメリカの要求を受け入れて国づくりを行ってきた中で、農林水産業が破壊されてきた。軍事的には、アメリカの軍事戦略に深く組み込まれ、日本の自衛隊による海外参戦というところまで事態が進んでいる。
アメリカと対等平等の関係を生み出さないと、経済発展にも支障をきたすところまで矛盾が激化している。日米安保条約を廃棄して、アメリカと対等平等の平和友好条約を結ぶことこそが、日本国憲法の生きる日本をつくる道になり、日本の農林水産業や日本の商工業を持続的に発展させる新しい道になる。
不思議なことに、安倍さんを含め右翼的な潮流は、対米従属問題に対しては従順に従うという態度をとっている。右翼的な勢力が国家の独立を言えないというのは、論理的におかしい。というような変な問題が日本の右翼には存在している。日本の真の独立、アメリカとは対等平等に、という政策は、日本共産党が1960年代のはじめから今日まで一貫して掲げているものだ。日本共産党には、非常に深い愛国心がある。
ディスカッション
コメント一覧
歴史の話なのか、政治の話なのか・・・共産党の宣伝なのか・・・意味不明。
そもそも真理探究という学問の基本的態度を放棄した歴史論です。あれだけ歴史の真理を語りながら・・・これですか?
トリノさん、現実の世界で起こっている歴史の修正主義は、ぼくが書いたように、極めて政治的で汚いものです。純粋な理論的問題なんかではない。安倍さんに至っては、岸信介の名誉を回復することを軸にして、執念を燃やして憲法を改正する動きに出ているということです。そのために戦前の日本の戦争を正当化する必要性に駆られているということです。
こっから先は、国民を弾圧する仕組みを組み立てながら反動化をおしすすめるということです。このことを理解していないと、戦争への道に手を貸すことになります。
【アメリカと対等平等の関係を生み出さないと、経済発展にも支障をきたすところまで矛盾が激化している。日米安保条約を廃棄して、アメリカと対等平等の平和友好条約を結ぶことこそが、日本国憲法の生きる日本をつくる道になり、日本の農林水産業や日本の商工業を持続的に発展させる新しい道になる。】
↑↑↑東芝さんのすばらしい名言です↑↑↑
いかなる方法で上記のあなたの言う事が現実可能なのでしょうか?
いつごろ可能になるのでしょうか?
方法論も是非ともご教授頂きたいです。
歴史の軌跡は一つであり、史実を修正することはできない。なにか勘違いをしている。
それとこのトピックスの内容は非常に問題ある内容です。歴史の考え方はどうでもいいけど、歴史は事実でなければいけない。
従軍慰安婦については、この前テレビで韓国の歴史学者の報道を見ました。
セジョン大学 パク・ユハ教授という人の主張です。この人ねぇ~本当の学者です。歴史の史実を忠実に追いその結果が都合の悪い結果であっても、その事実に従う。・・・学問をする基本的態度です。
・・・いわゆる従軍慰安婦について、「日本軍に強制的に連行された」という受け止めが強い韓国の中で、「連れて行ったのは多くの場合中間業者だ」と指摘しています。
最後が、セジョン大学 パク・ユハ教授
「誤った認識があったとすれば、その部分はやはりある程度修正されるべきです。」
史実に間違いがある場合その認識を修正しなければいけない。
もう一つ、南京大虐殺ですが、もし本当に大虐殺10万人もの人を殺したのであれば、その証拠が必ずあります。原爆1発で10万にの死者ですので、すごい人数。必ず集団で埋葬した人骨があるはずです。
それが出てこないのよねぇ~・・・・史実の証拠です。おまけに10万人なのか30万人なのか・・・
例えば、中国における遺棄化学兵器問題で発見されたものは、事実なので日本政府は対応をしている。そりゃ~動かぬ証拠が出てくれば対応するのが常道です。
南京大虐殺・・・証言ではダメです。政治家は嘘つきなので信用できません。史実の証拠です。30万人?10万人?・・・・それが信用できない元凶。
東芝さんんも歴史学は真理を追究するのでしょう?何が真理なのよ・・・・
それと共産党の宣伝と政権批判はいつものことで・・・問題は・・
「日本共産党は、大日本帝国の敗北によって、国民主権の日本が実現したことを、日本の政治と経済の大転換だったと把握し、憲法に国民主権を書き込ませた政党だった。」
これ・・・なに?嘘書いたらダメ。
嘘の史実を書いた時点でアウトです。
なんか・・・無茶苦茶な内容です。
トリノさん、歴史は小説のようにいかようにも解釈できるのではなかったのですか。歴史的な事実など、トリノさんの論理でいえば、なかなか見極めることに出来ないもので、不可知論の立場に立っているのではないですか。ぼくがどのように歴史を描いたとしても、それは、歴史の評価にかかわるものだから、議論の対象にはならないのではないですか。
「歴史を調べてその感想を述べることです。文学と同じ正解がありません。また史実を追及するのは事実を追究するだけで、真理(歴史の原因)を追究することではありません。というかカオスの確率を進む歴史の理由は分からないものです。
本を読むんで感想をのべることができるように、歴史を調べて感想を述べることは誰でもできます。
東芝さんの歴史観は、歴史の一つの感想に過ぎません。万人いろいろな感想があるので・・・正解は分からない。それが歴史を読むことです。
歴史は文学と同じ。何が正しいということはない。ただ単に感想を述べるだけ」
これがトリノさんの表明した論理ですから、ぼくが歴史に対して何をどう書こうが、トリノさんは、それも歴史の一つの見方、として達観していただくのが筋ではないかと思います。ぼくが書いたことに対して、問題があるとかいうのは、論理に一貫性がありません。
ぼくの方は、歴史にはゆるがせに出来ない事実があり、真実がある。人間の歴史は紆余曲折を経ながらも進歩してきた、自由と民主主義が拡大する方向に歴史は向かってきたと思っています。したがって、江戸時代から、明治維新、明治、大正、昭和という歴史の流れの中で、社会体制がどう変わってきたのか、を丹念に見たいと思っています。明治維新から今日までの歴史を見ても、歴史は自由と民主主義を発展させる方向に動いてきたと思います。
こういう歴史観を持っているので、
天皇主権の国から国民主権の国への転換は、大日本帝国の敗北によって実現したというように見ています。
ポツダム宣言を受け入れた結果、この要求を実現する過程で国民主権が実現したということです。日本国憲法は、大日本帝国憲法を批判的に検討した結果生まれたものでもあります。日本は、第2次世界大戦以後、軍国主義かつ絶対主義的な政治体制から国民主権と基本的人権を守る国に転換しました。これは、いわば、日本歴史の常識です。
多くの人が、自由と民主主義が戦後発展したと思っているのではないでしょうか。基本的人権を保障していなかった戦前の社会体制は、今の時代から見れば、明らかに過去の時代のものではありませんか。
従軍慰安婦の問題は、くり返し明らかにされてきたように、強制連行があったのかなかったのか、に問題の焦点があるわけではありません。河野談話は、きちんとそのことを踏まえて書いています。業者が連れてきた事例もありますが、明らかに軍が関与していた例もあります。中曽根元首相と産経新聞の編集長の対談で従軍慰安婦を作ったことが語られていますが、作った側の日本軍の証言としては傾聴に値します。
いずれにしても軍の関与の下で、甘言等によって連れてこられ、性奴隷として慰安婦の仕事をさせられたということです。韓国との関係だけが問題であるかのように扱われていますが、日本軍が展開した至るところに従軍慰安婦の制度があったのであり、韓国の中でだけ起こっていた問題ではありません。
南方の戦線でも慰安婦問題はありました。日本軍が餓死するような状況のもとで、慰安婦もひどい目にあっています。オランダ人の慰安婦問題がときどき取りだたされますが、オランダ領では、オランダ人慰安婦問題が発生したということです。
日本国憲法に国民主権を書き込ませたのは、日本共産党の国会質問でした。質問によって「ここに主権が国民に存することを宣言し、」という文言が挿入されました。南京大虐殺については、北岡伸一さんが加わっている日中の共同研究が面白いと思います。最新の研究はこれでしょう。
従軍慰安婦の問題は朝日新聞、東芝さんのような
左翼が作り上げた虚構です
南京大虐殺も相当なねつ造が加えられてる虚構です
歴史は真実が伝えられるべきものではありませんか?
真実が明るみになればなるほど東芝さんは困るんでしょうが・・・・
ウソつくのだけはやめましょうよ
けんけんさん。
ひとつひとつの事例に対し、がんばって反論するのは大変でしょう。日本国民の戦争犠牲者は310万人、アジア諸国民の犠牲者は2000万人。日本が引きおこした戦争によって、アジアは多大な犠牲を強いられました。ネットで検索すれば、これらの数字はヒットします。
日本は、31年に満州事変をおこし、満州国をつくり、それを足場に中国に対して全面戦争をしかけ、さらに日本とドイツとイタリアの3国で軍事同盟を結んで、世界の分割を決め、第2次世界大戦へと突入していきました。第2次世界大戦は、この3国による世界に対する侵略戦争だったということです。
日本の戦争は侵略戦争ではなかった。では、ヨーロッパにおけるドイツの戦争は、一体何だったのでしょうか。ドイツの戦争を日本は支持していたし、同盟国だったということですよね。ドイツの戦争は侵略戦争だったけれど、日本の戦争は侵略戦争ではなかった。ではどうして、ドイツと日本は手を組んだんでしょうか。
けんけんさんの言い分で言えば、日本がポツダム宣言を受け入れたことも、サンフランシスコ平和条約もすべて受け入れられないことになります。この2つのことを否定して、日米安保条約だけを有効だとするのは、ものすごいご都合主義だと思います。
サンフランシスコ平和条約は、単独講和でした。日本の戦争に巻き込まれた国の多くが、この条約に調印していません。日本の再軍備に道がひらかれる条文が入っていたこと、アメリカ軍が平和条約を結んでも撤退しなかったところに大きな問題がありました。アメリカと日本は、サンフランシスコ平和条約で、日本の再軍備に道をひらきながら、日米安保条約を結んだということです。最初は国民に隠れて。
日本の戦後は、ポツダム宣言の受諾からはじまっています。このポツダム宣言を否定することは許されないと思います。それは全世界に対する挑戦です。歴史から何も学ばないことになります。なぜ日本はポツダム宣言を受け入れたのか。ポツダム宣言は日本に何を求めたのか。GHQは、ポツダム宣言を実行するために日本を全面占領下においたのですが、アメリカは何を実現し、何を実現しなかったのか。ここに戦後の原点があります。このことをきちんと理解しないと戦前も戦後も語れません。
「日本共産党は、大日本帝国の敗北によって、国民主権の日本が実現したことを、日本の政治と経済の大転換だったと把握し、憲法に国民主権を書き込ませた政党だった。」
これ・・・なに?嘘書いたらダメ。
これは相当恥ずかしいですよ
カオスの考えを説明したのが理解できなかったようですね。
「歴史を調べてその感想を述べることです。文学と同じ正解がありません。また史実を追及するのは事実を追究するだけで、真理(歴史の原因)を追究することではありません。というかカオスの確率を進む歴史の理由は分からないものです。本を読むんで感想をのべることができるように、歴史を調べて感想を述べることは誰でもできます。
東芝さんの歴史観は、歴史の一つの感想に過ぎません。万人いろいろな感想があるので・・・正解は分からない。それが歴史を読むことです。歴史は文学と同じ。何が正しいということはない。ただ単に感想を述べるだけ」
と確かに書きました。感想という表現は歴史学という学問を当然知っているものと思って、ユーモア的にそう書いただけです。正確には歴史学は史実を調べてその史実を評価する学問です。おわかりですか?正しい評価をするためには正しい史実を調べなければいけない。こんなことは学問の常識なので、あえて書かなかった。
その正しい史実をもとに各学者が評価しあって歴史を認識するのです。ただ、その史実の原因はカオスある世界では分からいものですよ。
具体的に言うと、ワールドカップ優勝はドイツです。これは史実なので一つしかありません。その優勝の理由は?と聞かれると、ドイツが優勝しているのが分かっているので勝手な理由を解説者がつけますが、本当の理由はカオスの揺らぎの結果で分からないものですよ。と述べたのです。
太平洋戦争敗戦も史実ですが、その原因は?敗戦が分かっているのであとからいろいろ責任をなするつける人たちがいるけど、いろいろな要因が重なり合った結果にすぎないということです。
「歴史は小説のようにいかようにも解釈できるのではなかったのですか」それは一つの小説(史実)を読んだときその評価が学者によって違うということです。違う小説(史実)を読んだら違うにきまってるでしょう?
東芝さんの場合、その歴史(史実)が間違っているのです。従軍慰安婦は韓国との問題です。言い訳のような理由で誤魔化さないでほしい。
セジョン大学 パク・ユハ教授は「日本軍に強制的に連行された」という受け止めが強い韓国の中で、「連れて行ったのは多くの場合中間業者だ」と史実を調べて表明しているのです。そのうえで、日本軍はその中間業者の存在を見て見ぬふりをした日本軍に対して道義的責任があるのではないか、と主張して両国の話し合いを進めるべきだと言っているのです。
南京大虐殺もどこまで本当かわからない・・・
で・・中国の政治家も韓国の政治家も、その史実は百も承知です。知っていながら史実と違う内容を主張しているのです。・・・どうしてか?それが国際政治の世界なのです。南京大虐殺が本当ならとっくにその証拠の埋葬地を公開して国際社会に公表しています。
東芝さんの南京大虐殺と従軍慰安婦については、政治の道具として使っているのでしょう?それはそれでいいですけど、そうなら本当に日本人か?とけんけんさんのように言いたくなる。また南京大虐殺と従軍慰安婦を相手国の主張とおり信じているなら、単なるバカです。
それと・・・日本国憲法に国民主権を書き込ませたのは、日本共産党の国会質問でした。質問によって「ここに主権が国民に存することを宣言し、」という文言が挿入されました。
その質問者は誰ですか?いつ質問したのですか?
もし質問が本当だとしても、それだけです。
「日本共産党は、大日本帝国の敗北によって、国民主権の日本が実現したことを、日本の政治と経済の大転換だったと把握し、憲法に国民主権を書き込ませた政党だった。」という表現は史実ではありません。嘘です。
史実は一つしかない。その解釈はいくつもあるが史実の原因は分からない。
批判されると、言い替えるということですか?
「正解は分からない。それが歴史を読むことです。歴史は文学と同じ。何が正しいということはない。ただ単に感想を述べるだけ」
という文章と
「史実は一つしかない。その解釈はいくつもあるが史実の原因は分からない。」
という文章は、明らかに整合性がありません。
「正確には歴史学は史実を調べてその史実を評価する学問です。」
「歴史学というのは、大学では単独の学部が存在せず文学部の一学科としてある学問です。文学部なので科学ではありません。歴史の事実を調べる学問で、真理を追究する学問ではない。学者によりいろいろ学説があるかもしれないけど、正しいかどうか調べようがありません。」
「『日本共産党は、大日本帝国の敗北によって、国民主権の日本が実現したことを、日本の政治と経済の大転換だったと把握し、憲法に国民主権を書き込ませた政党だった。』という表現は史実ではありません。嘘です。」
こういう文章を自家撞着というのではないでしょうか。「正しいかどうか調べようがない」、といいつつ、ぼくが書いたことに対して「史実ではなりません。嘘です。」と書く。
なかなか面白いですね。
従軍慰安婦の問題は、韓国との問題だけではありません。中国戦線でも従軍慰安婦はありました。韓国人の元慰安婦が、公表したことによって従軍慰安婦問題が明らかになっただけで、従軍慰安婦の存在は、日本軍の部隊のあるところに、かなりの規模であったという問題です。
憲法制定議会に提出された憲法改正案には、「国民の総意が至高なものであることを宣言し」というあいまいなものであり、国民主権が明記されていませんでした。1946年の日本国憲法制定の議会で、日本の政党の中で国民主権を主張したのは、日本共産党だけでした。日本共産党は、1946年6月28日、独自に日本国憲法草案を発表しています。7月25日には、国会に修正案を提案しています。日本共産党の代表として質問を行った野坂参三は、憲法9条に反対しつつ、国民主権を主張しました。
同じ頃、極東委員会(連合国を代表する対日政策の最高機関。11か国で構成されていた)から日本国憲法に国民主権を明記すべきだという要求が出されました。極東委員会は、アメリカが全面占領下に日本をおいていたなかでは、権限が限られていましたが、憲法問題については、この極東委員会に最終権限があるとされていました。極東委員会は、7月2日、「日本の新憲法における基本原則」を決定しています。この決定を受けて、国会で憲法改正案の修正協議がはじまり、1946年8月24日の衆議院本会議で「主権が国民に存する」(前文)と「主権の存する日本国民」(第1条)が明記された憲法が採択されました。日本共産党の提出した修正案どおりにはなりませんでしたが、国民主権を明記した唯一の日本共産党の修正案の主旨が憲法に反映したということです。
当時、日本共産党は、憲法9条に反対していました。自国を守る自衛権は放棄しないという考え方でした。この政治的な立場と政策は、おそらく、ぼくの記憶では、2000年まで堅持されていました。非同盟・中立・自衛というのが、日本共産党の公式な政策でした。ただし、この政策の下でも憲法9条を含む改正には反対していました。当時9条には限界があるけれど、日本の軍国主義的な復活を阻止する上で憲法9条は、その最大の歯止めになるという考え方でした。
完全に日本国憲法の全条項を守るという立場に立ったのは、2004年の綱領改定だったと思います。それに先立つ2000年には、憲法9条を未来も含めて完全に守るという立場に政策を転換(発展させた)しています。これは、非同盟・中立・自衛という政策からの発展でした。
国際情勢の変化、アジアにおける平和の流れを踏まえて、憲法9条による国づくりが可能になったというのが、政策を発展させた理由だったと思います。9条の基づく平和外交を主張したということです。このときに自衛隊の段階的解消を打ち出しました。
日本共産党の政策や見解は、時代とともに変化してきました。政策を転換したり発展させたりするときに、日本共産党はその理由を明らかにしながら、政策を変化させています。原発ゼロ(といってもすぐには廃炉に出来ませんが)という政策は、福島原発事故後打ち出されたものです。自然エネルギーへの転換を図りつつ、当面は火力発電を活用しながら転換を図るというものです。新しく政策を打ち出し、従来の政策を発展させるときには、さまざまな調査と研究を行います。
ネット上で見ると、日本共産党はかつてこう主張していたのに、今はこういう政策をとっているといって、批判しているものがありますが、これらの批判は、どうして変更したかという日本共産党の政策転換の理由をすっ飛ばして、食い違いを強調して批判しているものが多いですね。
人間の認識も、組織の認識もいつも全面的ではなりませんから、時代の制約は免れません。政党も個人も不十分さはたえずつきまといます。そういう限界点を自覚しながら、徹底して具体的事実の分析を踏まえて、政策を発展させて行くというのが、日本共産党の態度です。
このような柔軟性は、きわめて大切だと思っています。
もう一度質問します
【アメリカと対等平等の関係を生み出さないと、経済発展にも支障をきたすところまで矛盾が激化している。日米安保条約を廃棄して、アメリカと対等平等の平和友好条約を結ぶことこそが、日本国憲法の生きる日本をつくる道になり、日本の農林水産業や日本の商工業を持続的に発展させる新しい道になる。】
いかなる方法で上記のあなたの言う事が現実可能なのでしょうか?
けんけん・・・しばらく出てこないでほしい。話がややこしくなる。
この前からの歴史とカオスに関する記述は注意して書き込んでおり、考え方がぶれていないつもりです。
「歴史を調べてその感想を述べることです。文学と同じ正解がありません。また史実を追及するのは事実を追究するだけで、真理(歴史の原因)を追究することではありません。というかカオスの確率を進む歴史の理由は分からないものです。本を読むんで感想をのべることができるように、歴史を調べて感想を述べることは誰でもできます。」
詳しく書くと・・
「歴史の史実を調べその評価をすることですが、文学の本を読んでそれを評価するのと同じように、ひとそれぞれ違うもので正解がない。また歴史の本当の史実を追究してもその出来事の原因はいろいろな要因が絡み合ってできた事実なので、結局諸説存在することになって歴史上の出来事の原因を追求できません。だから歴史の評価をするだけなら、良い悪いは別にして誰でもできることです。」
史実がいくつもあるとは言っていない。歴史の原因・・・・諸説がいくつもあると言っただけです。
「正確には歴史学は史実を調べてその史実を評価する学問です。」
「歴史学というのは、大学では単独の学部が存在せず文学部の一学科としてある学問です。文学部なので科学ではありません。歴史の事実を調べる学問で、真理を追究する学問ではない。学者によりいろいろ学説があるかもしれないけど、正しいかどうか調べようがありません。」
これも同じです。科学は真理を探すことです。事実の影に隠れたその法則を探します。歴史にはそれがないと言っただけ。
「『日本共産党は、大日本帝国の敗北によって、国民主権の日本が実現したことを、日本の政治と経済の大転換だったと把握し、憲法に国民主権を書き込ませた政党だった。』という表現は史実ではありません。嘘です。」
嘘ですよ。
憲法制定議会に提出された憲法改正案には、「国民の総意が至高なものであることを宣言し」というあいまいなものであり、国民主権が明記されていませんでした。1946年の日本国憲法制定の議会で、日本の政党の中で国民主権を主張したのは、日本共産党だけでした。日本共産党は、1946年6月28日、独自に日本国憲法草案を発表しています。7月25日には、国会に修正案を提案しています。日本共産党の代表として質問を行った野坂参三は、憲法9条に反対しつつ、国民主権を主張しました。
同じ頃、極東委員会(連合国を代表する対日政策の最高機関。11か国で構成されていた)から日本国憲法に国民主権を明記すべきだという要求が出されました。極東委員会は、アメリカが全面占領下に日本をおいていたなかでは、権限が限られていましたが、憲法問題については、この極東委員会に最終権限があるとされていました。極東委員会は、7月2日、「日本の新憲法における基本原則」を決定しています。この決定を受けて、国会で憲法改正案の修正協議がはじまり、1946年8月24日の衆議院本会議で「主権が国民に存する」(前文)と「主権の存する日本国民」(第1条)が明記された憲法が採択されました。日本共産党の提出した修正案どおりにはなりませんでしたが、国民主権を明記した唯一の日本共産党の修正案の主旨が憲法に反映したということです。
だけでは、憲法に国民主権を書き込ませた政党だったことにはなりません。またこういう認識をしているのは共産党だけです。史実ではない・・・・と言いたいが、科学の世界の俗に言う「悪魔の証明」で完璧に否定することはできない。科学の世界の常識「証明されないもの・不十分なもの」は存在しない。STAP細胞でよく語られたことです。嘘です。
従軍慰安婦の問題は、韓国との問題だけではありません。中国戦線でも従軍慰安婦はありました。韓国人の元慰安婦が、公表したことによって従軍慰安婦問題が明らかになっただけで、従軍慰安婦の存在は、日本軍の部隊のあるところに、かなりの規模であったという問題です。
というのは、セジョン大学 パク・ユハ教授の説と違います。僕はパク・ユハ教授を信用します。本当の学者ですから・・・笑。
あとは・・・憲法9条ね・・・要するに日本共産党の事情が変わって憲法9条を守ることになったということですね。政党の方針には興味ありません。好きなように・・・・
具体的記述に対して、嘘ですの一言ですますだけでは、説得力がありません。日本共産党だけが国民主権を明記すべきだという修正案を提出し、国会質問をしたという歴史的な事実があります。
国会での野坂質問は次のようなものでした。このことだけ追記しておきます。
第90回帝国議会 衆議院本会議6月28日
「一体、主権が国民にあるのか、天皇にあるのか、これをここで誤魔化さずにはっきりと言ってもらいたい」
「憲法草案と英文との間に若干の相違がある、これは既に雑誌の上でもある人が指摘しておりますが、憲法前文の中に『国民の総意が至高なものである』、是は英文ではどうなっているかと言えば、”sovereignty of the people’s will”、つまり人民意志の主権、そういう風になっている」
GHQは、この国会質問に注目し、国民主権を誤魔化そうとしていた政府案の問題点に気がついて、動き、政府は誤魔化しきれなくなって、憲法に国民主権が明確に書き込まれていくという動きになったということです。野坂質問が、日本政府の誤魔化しを暴いたことが、事態を動かしたということです。
その事実がどうして「『日本共産党は、大日本帝国の敗北によって、国民主権の日本が実現したことを、日本の政治と経済の大転換だったと把握し、憲法に国民主権を書き込ませた政党だった。』となるのでしょうか?
英文の和訳が少し違うと指摘しただけです。結果論としては、「和訳の不備をGHQに告げ口して、修正させた。」
それだけです。
事実を正確に書かなければいけない。
それと・・・共産党の歴史を別に知りたくもないけど、ここで書いてもらうと・・・・に憲法の和訳に文句言ったり、9条反対したかと思うと、都合で9条を支持するようなる。・・・まあ~国の最高法規なんかそもそもどうでもいいのね・・・・笑。いいかげんな政党です。
日本共産党は、1922年に創立して以来、国民主権と侵略戦争反対を掲げて活動した政党です。戦前の日本は天皇に主権があり、国民には主権がありませんでした。国体を変革するものは死刑、もしくは無期懲役という治安維持法の規定によって、日本共産党は徹底的な弾圧を受けました。何が一番の問題だったのかというと、国民主権を掲げていた点にあります。国民主権の実現が、国体を変革するものだったからです。
大日本帝国の敗北によって、大日本帝国は、ポツダム宣言を受け入れました。ポツダム宣言は軍国主義の除去ということを日本に要求していましたから、国民主権に基づく日本をつくることが中心命題の一つとなりました。
戦前の国家体制は、戦争の敗北によって、転換を余儀なくされたということです。日本共産党が、政党の中ではただひとつ、国民主権を明確に掲げることが出来たのは、国民主権の実現が創立以来の目標だったからです。当時の日本政府は、GHQを誤魔化して憲法改正案を国会に出しましたが、35議席を得た日本共産党が、この改正案に対し、国民主権を明記する修正案を出した唯一の政党になったということです。この修正案を踏まえて野坂参三が国会質問を行ったことによって、改正案に国民主権が明記されていないことが明白になり、修正案の主旨が実現するようになったということです。
「和訳の不備をGHQに告げ口して、修正させた」などという事実は、ありません。
日本共産党が行ったのは、国会での修正案の提出と国会質問であり、この国会質問を通じて、国民主権の明記がなされたというのが、歴史の経過だったということです。
勝手に作文はなさらないようお願いいたします。
天皇主権から国民主権への転換は、歴史上の大転換でした。国民主権が実現し、これを基礎として基本的人権が国民の永久の権利として保障され、恒久平和が実現したのは、歴史の大転換だったということです。トリノさんも、けんけんさんも、戦後の人間ですから、国民主権と基本的人権の保障の下で、戦前の日本とは全く違う日本でこの恩恵を受けて生活しているということです。この歴史的変化がなければ、日本は北朝鮮に類似した国になっていたと思われます。
「北朝鮮って、昔の日本によく似てるよね」と年配の方に話を向けると、「ほんまや、よう似てるわ」という答えが返ってきます。
その北朝鮮は共産主義国で、戦後発生した共産主義国はほとんどが崩壊したというのが事実です。
それと・・・史実と違うことが、なんで次から次へと平気で出てくるの・・・
「戦前の国家体制は、戦争の敗北によって、転換を余儀なくされたということです。日本共産党が、政党の中ではただひとつ、国民主権を明確に掲げることが出来たのは、国民主権の実現が創立以来の目標だったからです。当時の日本政府は、GHQを誤魔化して憲法改正案を国会に出しましたが、35議席を得た日本共産党が、この改正案に対し、国民主権を明記する修正案を出した唯一の政党になったということです。この修正案を踏まえて野坂参三が国会質問を行ったことによって、改正案に国民主権が明記されていないことが明白になり、修正案の主旨が実現するようになったということです。」
共産党の国会質問で憲法案の指摘があり、
「GHQは、この国会質問に注目し、国民主権を誤魔化そうとしていた政府案の問題点に気がついて、動き、政府は誤魔化しきれなくなって、憲法に国民主権が明確に書き込まれていくという動きになったということです。野坂質問が、日本政府の誤魔化しを暴いたことが、事態を動かしたということです。」
内容が違います。おまけに議席数は5議席しか共産党はありませんでした。35議席ではありません。
5議席で修正案をの立案権があったのか?
なんか・・・無茶苦茶というかボロが出てきたというか・・
「一体、主権が国民にあるのか、天皇にあるのか、これをここで誤魔化さずにはっきりと言ってもらいたい」
「憲法草案と英文との間に若干の相違がある、これは既に雑誌の上でもある人が指摘しておりますが、憲法前文の中に『国民の総意が至高なものである』、是は英文ではどうなっているかと言えば、”sovereignty of the people’s will”、つまり人民意志の主権、そういう風になっている」
の質問は事実です。またその後憲法が修正されたのも事実です。
が・・・その質問内容の議事録だけでは、「日本共産党は、大日本帝国の敗北によって、国民主権の日本が実現したことを、日本の政治と経済の大転換だったと把握した」事実になりません。後付けのような内容です。
素直にその議事録を読めば、「主権が国民にあるのか、天皇にあるのかあいまいな日本語になっている。英文には「人民意志の主権」となっているので、正確に訳さなければいけない」
という質問内容です。
それを「憲法に国民主権を書き込ませた政党」と書かれると流石になぁ~・・・事実の解釈レベルというか空想的表現になる。
「憲法に国民主権を書き込ませた政党」・・・GHQと交渉して憲法草案を作成したような文章です。・・・内容は英文から和訳の不備を指摘した程度の史実です。
戦後の人間ですから、国民主権と基本的人権の保障の下で、戦前の日本とは全く違う日本でこの恩恵を受けて生活していますが・・・・どう考えても日本共産党の手柄ではありません。
戦後・・・日本共産党の何が役に立ったのよ?
トリノさんも・・・
しかし救いようのない言い方で言われますね・・・
でもトリノさんは極めて正論ですけど
東芝さんの冒頭の主張は
①今となってはアメリカに従属的すぎる日本は戦争に巻き込まれる。危うい状態なんだ。
②売国では決してない、愛国なんだ
という事ですよね
いかにも普遍的で正義で間違って無いと
思ってらっしゃるんでしょうが
単なるイデオロギーでしかない
イデオロギーの時代は終わったんです
現実的では無い
それと真実でない事が多すぎる
1947年の時点での日本共産党の衆議院の議席は5議席でした。35議席になったのは、1949年でした。これは訂正します。
憲法制定時の国会で、国民主権を主張した政党は日本共産党しかなかったのは、他の政党が戦前の帝国憲法に引きずられていたからです。天皇主権が「国体」の中心でしたから、国民主権という主張が出来なかったということです。このことのもつ意味の深さを把握してほしいですね。野坂の質問があって変化が起こったことに極めて重要な意味があったということです。単なる文言の修正ではありませんでした。
トリノさんは、歴史の経緯については、あまり興味がないようです。主権が国民にあるのか、天皇にあるのかというのは、日本の歴史にとって、決定的な意味の違いがありました。大日本帝国憲法から日本国憲法への転換というのは、日本の歴史を大きく変える歴史的な転換を意味しました。この問題を深くとらえられないところに、歴史を捉える弱さがあると思います。
大日本帝国の敗北によって、ようやく日本は、国民主権に転換できる条件が生まれたということです。日本の軍隊が無条件降伏し、大日本帝国がポツダム宣言を受け入れたことによってはじめて、日本に国民主権の原則が生まれる可能性ができたということです。
大日本帝国が、あの戦争に勝利していたら、天皇に主権があり、国民には主権のない国が続いたと思います。戦前は、国民の基本的人権は保証されていませんでした。国民は天皇の臣民(民草)であり、国民の権利は、法律の範囲で認められたものでしかありませんでした。
戦前の国家体制と戦後の国家体制は全く違いがあります。戦前には地方自治さえありませんでした。日本国憲法は、大日本帝国憲法に対する批判として誕生したものです。この憲法体制が出来たことによって、国民は主権者として、幸福を追求できる権利を得たということです。
戦前と戦後の違いを理解することが、現代を理解することにつながります。
トリノさんも、けんけんさんも、国民主権の国を否定しないでしょう。国民の基本的人権の保障を否定しないでしょう。国民が当たり前のこととして受けとめられているこの原則は、日本帝国主義の敗北と不可分に結びついているものだということです。
5議席が35議席の間違いは単純ミスで済むけど、「国民主権を明記する修正案を出した唯一の政党」というのも間違いだと単純ミスでは済まない。
第90回帝国議会 衆議院本会議6月28日
「一体、主権が国民にあるのか、天皇にあるのか、これをここで誤魔化さずにはっきりと言ってもらいたい」
「憲法草案と英文との間に若干の相違がある、これは既に雑誌の上でもある人が指摘しておりますが、憲法前文の中に『国民の総意が至高なものである』、是は英文ではどうなっているかと言えば、”sovereignty of the people’s will”、つまり人民意志の主権、そういう風になっている」
その議事録を詳細に読みました。
http://teikokugikai-i.ndl.go.jp/cgi-bin/TEIKOKU/swt_list.cgi?SESSION=12008&SAVED_RID=5&MODE=1&DTOTAL=407&DMY=12906
話が違うじゃないの・・・笑。
共産党の「天皇制打倒の「スローガン」」に関する質問で、天皇を公務員とするのかどうかというような質問もある。天皇制にかんする憲法の条文の文句じゃん。
なにが、「日本共産党は、大日本帝国の敗北によって、国民主権の日本が実現したことを、日本の政治と経済の大転換だった」なのよ。・・・・・
「私はもう一言此處で申上げたいことは、天皇制の問題に付て、共産黨は政治機構としての天皇制の廢止を主張して居る、併し皇室の問題に付ては別個に取扱ふ、之を今まで聲明して居ります、今度共産黨の出す憲法草案の條文に斯う云ふことを書いて居る、特權的身分制度としての皇室は當然廢止さるべきであるが、新しい人民共和政府が現實に出來、人民に眞の民主的教育が徹底された後、皇室の問題を人民投票に問うて決定する方針であることは、我が黨が豫てから聲明した通りである、斯う云ふ風に書いある
偖て此の憲法草案の結論として、私達の見解は、此の憲法草案は主權在民と云ふ形を取りながら、實はさうではなくて主權在君である、斯う云ふ風に解釋せざるを得ない、是は吉田首相とか或は其の他の大臣方が此處で申された演説の中からも明かである、又此の草案自體からも明かである、なぜさうか、結論的に申せば、第一に改正手續が民主的でない、第二に時期が尚早である、國内にまだ民主主義的な十分の條件が成熟して居ない此の時に、此のやうな憲法が提出されて居る、第三に憲法草案の第一章に國民を持つて來ずに天皇が出て居る、是が明かに主權在君を示すものだと理解せざるを得ない、第四に天皇は政治に關する權能を有しないと言ひながら、例へば總理大臣の任命權とか、國會の召集解散、總選擧の執行權、さう云ふものを持つて居る、是は明かに主權在君を示すものである、第五に天皇が榮譽權を持つて居る、榮譽を與へる權力を持つて居る、是は天皇を莊嚴なるものとして居る國家の態勢である、隨て是にも主權在君がある、六番に、國民の權利及び義務では公共の福祉の名に依つて幾多の權利が制限されて居る、是も非民主的な規定である、第七に國會では參議院の制度を置いて、新しい形の貴族院制度を設けようとして居る、是も非民主的なものである、第八に三權が分立して居る、さうして官僚制度を維持しようと云ふ風な魂膽も是に明かに見えて居る、人民は此のやうな民主主義の假裝の下で、非民主主義的な實體を隠さうとするやうな政府の意圖に反對する、我々共産黨は凡ゆる機會を利用して此の草案の非民主的性質を暴露して、又之を修正することに努力する、私達は此の草案に付て小委員會に於て飽くまで我々の正しいと信ずること、是が眞に日本の民主主義を確立すべき憲法であると云ふものにする爲に、我々は全力を盡す積りです、是で私の質問はお終ひです。」
野坂さんの最後の締めくくりです。
草案に文句があり、民主的な憲法でないので反対する。・・・そんな趣旨の質問ですよ。なにが・・「憲法に国民主権を書き込ませた政党」よ・・・・・呆れる。
ぼくも昭和21年6月28日の議事録を読みました。エディタは便利ですね。カタカナの原文を全部ひらがなに一括変換でき、読みやすくなります。
トリノさんが書いたように現憲法に対する反対の立場からの質問ですが、ただ単に反対しているのではなくて、民主主義が不徹底だという観点を貫いての反対です。天皇に主権があった大日本帝国憲法からの発展だという主張に対しても反対しています。天皇をどう扱うのか、という問題は、現在のような形になるかどうかという点では、曖昧な答弁や主張もあり、当時は極めてホットな問題でした。
国民主権が実現するのかどうかも、天皇との関係で論じる必要があった、というのが当時の状況だったと思います。
この6月28日の本会議のあと、委員会が重ねられ、8月24日に本会議で憲法制定の賛成・反対討論が行われています。野坂は反対討論の中で次のように述べています。
「更に共産党は、当憲法草案が発表された時、主権在民を明記することを主張しました、幸ひにして我々の要求は容れられ、前文に是が明記されました、是は此の憲法草案の一歩前進である、併しそれでは此の草案は果して主権在国民の思想を一貫したものであるかどうか、遺憾ながら実質はさうでない、ここに問題がある、主権在民の羊頭を掲げて、非民主的な狗肉、言換れば、主権在君の狗肉を売らんとするのが此の憲法であります、先程どなたか其処らで羊頭狗肉と言はれたが其の通りだと私は思ひます、是が当草案の本質である、是は一体どう云ふ意味であるかと言へば、第一に若し国民に主権があるならば、なぜ憲法の第一章に先づ国民に付ての規定を設けないのか、此の案草では第一章に国民が来るのではなくて、国民の中の一人に過ぎない天皇の規定が第一に来て居ります、金森国務大臣は之を説明して曰く、天皇は国民の統合の象徴だから‥‥‥(「其の通り」と呼ぶ者あり)併しどうして象徴を前にして実体を後にしなければならないのか、ここに問題がある、天皇の地位は国民の意思に由来すると憲法に明記してある、是は国民が実体であつて、天皇は単なる象徴に過ぎない、斯う書いてある、それならば実体である所の国民が先づ第一に規定さるべきである、日の丸の旗は我が国の象徴である、では第一章第一条に日の丸の旗を規定することを政府は賛成されるでありませうか、勿論賛成されない、世界の何処の憲法にも、象徴である国旗を劈頭に掲げるものはない、それではなぜ政府は此のやうなことをするのであるか、それは即ち天皇を神聖化し、天皇に特権的地位を与へ、天皇を国民の上に君臨させようとする政府の意図があるからであります」
日本共産党が要求した主権在民の規定が憲法前文に明記されたことを評価して「是は此の憲法草案の一歩前進である」と述べています。そのあと、不十分さについて述べて反対しています。「現憲法に国民主権を書き込ませた政党」という議論は、これで尽きていると思います。
現在の日本共産党の政策や見解と憲法制定当時日本共産党が取っているそれとは、違いがあります。帝国議会の中で天皇制がどうなるのかは、かなりホットな問題であり、不敬罪が存在するのかどうか、という議論さえ行われるような状況にありました。あの当時の状況のもとで天皇制の国家体制に反対し、国民主権を唱えてきた政党である日本共産党が、国民主権の徹底を求めて、天皇と国民主権の問題を徹底的に追及したのは、当然のことだったと思います。
本会議と委員会での審議を経て、日本共産党が提案していた国民主権の原則が現憲法に盛り込まれるようになったけれど、当時の日本共産党は、これだけでは不十分だという立場に立って憲法そのものには反対したということです。
それだけでは「現憲法に国民主権を書き込ませた政党」という事実ではない。GHQとか、修正案提出とか嘘があったので完璧な事実出ない以上ダメです。またこの草案に反対しているので「現憲法に国民主権を書き込ませた政党」とは思えない。
昭和21年6月28日の議事録全文読んだのでしょう?9条に関する反対もある。それも正しく公開しないといけない。
現在の共産党の主張と180°違う。
「現在の日本共産党の政策や見解と憲法制定当時日本共産党が取っているそれとは、違いがあります。」だけじゃあ~・・・笑。
まあ・・・相当いい加減な政党です。
以前に書いたことをきちんと読んでくれていないですね。
日本共産党は、2000年まで憲法9条を将来にわたって守るという政策を持っていませんでした。非同盟・中立、自衛という政策は、1961年に制定した綱領に基づく政策でした。自衛というのは、自衛のための組織をもつということで、ゆくゆくは憲法9条を改正するという立場でした。この自衛政策は、日本国憲法制定時から貫いてきた政策だったということです。これは、トリノさんとのやり取りの中でも、詳しく書きました。
この政策を変更し、9条を未来に渡って守る、9条の基づく国づくりをめざすという方向に政策を発展させたのが2000年だったということです。
全面占領下で日本国憲法を制定しようとしたときに、GHQや極東委員会が動くことは、いわば当たり前でした。ポツダム宣言を実施させるためにGHQが日本に駐留し、日本の主権に制限をかけていたのですから。
日本共産党が「1946年6月28日、独自に日本国憲法草案を発表しています。7月25日には、国会に修正案を提案」したのは事実です。
国会や地方議会では、議案に対し賛成や反対を表明し、討論を行いますが、賛成、反対という結果だけで物事がすべて決まるわけではなく、議論の過程の中で法案が修正されたりしながら、変化していきます。議論を通じて変化しながら動いていくのが政治です。結果がすべてという表面的な見方では、政治の流れを捉えることは出来ません。
日本共産党も他の政党も、今日の視点から見れば、過去に取った態度や政策には、時代的な制約や誤り、弱点が含まれたりします。歴史的に検討すると、過去の歴史上の制約がよく分かります。現在の視点だけで過去の政策を切って捨てるのは簡単ですが、それは「後出しジャンケン」だということでもあります。歴史を見るときには、歴史的な制約があることを確認しつつ、歴史がどう動いたかということが大事です。日本共産党は、さまざまな歴史的制約を持っていました。その中には、GHQを解放軍として評価するという傾向もありました。にもかかわらず、国民主権を主張し、憲法草案に対し修正案を提起して、国民主権の徹底を唱えたことによって、憲法に国民主権を明記させることが出来たのは、大きな功績だったと思います。他の政党が、国民主権を提起することが出来なかったことを考えると、この態度は歴史上、極めて重要な態度表明だったということです。
野坂の「更に共産党は、当憲法草案が発表された時、主権在民を明記することを主張しました、幸ひにして我々の要求は容れられ、前文に是が明記されました」という反対討論の一節は、当時の日本共産党の認識そのものだったと思いますが、国民主権が明記されたことの意味は、当時の日本共産党の認識を超えて、極めて重要な歴史的意義をもっていたということです。
東芝さんは常に良いように詭弁で自らを、共産党を正当化しますね
まさにこれがイデオロギーです
【国民主権を憲法に書き込ませたのは共産党である】
直接的に無いにしろ間接的には影響があったんだと言いたいんでしょ
もしかしたらそうかもしれませんね
本当におめでとうございます
日本という国は天皇あってのお国柄なんです
ご理解いただけないでしょうか?
東芝さんの思想を理解できない私は愚民なんでしょう
【アメリカと対等平等の関係を生み出さないと、経済発展にも支障をきたすところまで矛盾が激化している。日米安保条約を廃棄して、アメリカと対等平等の平和友好条約を結ぶことこそが、日本国憲法の生きる日本をつくる道になり、日本の農林水産業や日本の商工業を持続的に発展させる新しい道になる。】
いかなる方法で上記のあなたの言う事が現実可能なのでしょうか?
早く私の質問に答えてくださいよ
日本のアメリカへの従属を規定しているものは、日米安保条約です。この条約に基づいて、日本には米軍基地があります。日米安保条約を廃棄してアメリカ軍を撤退させ、安保条約に基づく経済的外交的従属関係を解消して、アメリカとは平和友好条約を結ぶということです。
日本共産党の方針転換に興味はありません。
東芝さんとの歴史認識に関する論戦なので、どうでもいいことです。
「全面占領下で日本国憲法を制定しようとしたときに、GHQや極東委員会が動くことは、いわば当たり前でした。ポツダム宣言を実施させるためにGHQが日本に駐留し、日本の主権に制限をかけていたのですから。
日本共産党が「1946年6月28日、独自に日本国憲法草案を発表しています。7月25日には、国会に修正案を提案」したのは事実です。」
修正案を提案したのを百歩譲って認めます。その上で、昭和21年6月28日の議事録から野坂さんは、
「・・・偖て最後の第六番目の問題、是は戰爭抛棄の問題です、此所には戰爭一般の抛棄と云ふことが書かれてありますが、戰爭には我々の考へでは二つの種類の戰爭がある、二つの性質の戰爭がある、一つは正しくない不正の戰爭である、是は日本の帝國主義者が滿洲事變以後起したあの戰爭、他國征服、侵略の戰爭である、是は正しくない、同時に侵略された國が自國を護る爲めの戰爭は、我々は正しい戰爭と言つて差支へないと思ふ、此の意味に於て過去の戰爭に於て中國或は英米其の他の聯合國、是は防衞的な戰爭である、是は正しい戰爭と云つて差支へないと思ふ、一體此の憲法草案に戰爭一般抛棄と云ふ形でなしに、我々は之を侵略戰爭の抛棄、斯うするのがもつと的確ではないか、此の問題に付て我々共産黨は斯う云ふ風に主張して居る、日本國は總ての平和愛好諸國と緊密に協力し、民主主義的國際平和機構に參加し、如何なる侵略戰爭をも支持せず、又之に參加しない、私は斯う云ふ風な條項がもつと的確ではないかと思ふ・・・・」
簡単に言うと、戦争には正しくない戦争と正しい戦争があり、その正しい戦争をするために武力放棄はするべきでない。と9条を批判している。
つまり国会にだした修正案には当然9条の修正も含まれている。
それも含めて評価するということですね?・・・・・・・・・・極端な良いとこどりは許されないですよ。修正案の・・・そんなものがあればの話ですが・・・笑。いかがですか?まさか修正案の「主権在民」だけを評価するなんて言わないですよねぇ~
その当時、日本共産党は、自衛権の行使は当然だという考えに立っていました。この考え方は、1961年の綱領確定の時にも引き継がれ、非同盟・中立・自衛という政策を持っていました。この政策は1994年(2000年までと書いたのは間違いでした)まで堅持されていました。もちろん、この政策は、堂々と主張されていました。
ウキペディアは、このことについて正確に記述されています。引用しておきます。
「歴史的にみると、1961年の綱領では自衛隊は「事実上アメリカ軍隊の掌握と指揮のもとにおかれており、日本独占資本の支配の武器であるとともに、アメリカの極東戦略の一翼としての役割をおわされている」とし、1961年から1994年までは「自衛隊の解散を要求する」と明記していた[14]。1980年代ごろまでは、対米従属の自衛隊は解消し、その後に改憲を視野に入れて自衛のための組織を持つという武装中立政策であり、非武装論や護憲論ではなかった[25][26]。
その後、日本共産党は1994年の第20回党大会で、現行の日本国憲法第9条(戦争の放棄、戦力の不保持)は将来にわたって継承・発展させるべきものであり、社会主義・共産主義の理想と合致したものであると表明した。さらに2000年の第22回大会で、同党の自衛隊政策を、(1)軍事同盟である日米安保条約の解消前はできるかぎり軍縮し、(2)日米安保条約解消後も国民が望めば存続し、(3)国民が国際情勢などから解消しても問題ないと判断すれば自衛隊をなくす、という「段階的解消論」に転換した。」
当時の日本共産党の取っていた政策と現在の日本共産党の政策とは、大きく違います。上記のように政策は変化してきたということです。
共産党の方針転換なんかどうでもいいのですよ。野坂さんの議事録から提出された幻の修正案とやらは、①天皇制廃止による主権在民。②その当時各地で生まれた共和国(社会主義国)への移行。③9条修正。
そういう内容だと推測されます。(まあ~あればの話ですが・・・笑)それを東芝さんは評価するのですね?と聞いているのです。
歴史はカオスの揺らぎによるある確率の軌跡にしか過ぎない。過去は簡単に文句言えるけど未来のことはわからない。が・・・歴史の事実は一つです。歴史学はその事実をどう評価するかという学問です。
東芝さんの場合、自分たちの主張を正当化させるために、歴史からつまみ食いのように事実を選び出している。
ならまだましで、今回の場合事実じゃないことを、さも事実として書き込むことがある。
昭和21年6月28日の議事録読まないで、「日本共産党は、大日本帝国の敗北によって、国民主権の日本が実現したことを、日本の政治と経済の大転換だったと把握し、憲法に国民主権を書き込ませた政党だった。」
と書いたでしょう?20年ぐらい前なら集会でこれを語ってもバレないけど、今は議事録が公開されているのですぐに調べられる。僕がわざわざ国立図書館のサイトまで行って調べたのは、どう見ても東芝さんの言い分がおかしいからです。
それと共産党が9条の方針を転換たのと同じように、内閣が9条の解釈を変えて集団的自衛権を認める。何とでも理由をつけて批判できるけど・・・同じですよ。日本共産党に批判する資格がない。
>当時の日本共産党の取っていた政策と現在の日本共産党の政策とは、大きく違います。上記のように政策は変化してきたということです。
そのまま、
当時の内閣の取っていた9条の解釈と現在の現在の解釈は、大きく違います。上記のように(理由は何でもいい)政策は変化してきたということです。
と主張して差し支えないね。・・・笑。
トリノさんは、一貫して物事を表面的に把握する傾向があるのですか。表面をなぞって矛盾しているとか、変えているとか言って批判するやり方は、変化の意味を全く理解しないもので、ネット上の右翼的な人々が書いている共産党批判と全く同じです。
当時の日本共産党がとっていた政策は、当時の歴史的経過の中で日本共産党が採用していたもので、その方針は基本的にかなり長期にわたって堅持されてきたということです。ぼくもこの方針のもとで党員になった一人です。(共和国=社会主義ではありません。日本共産党は、戦前も含め日本の変革のためには民主主義革命が必要だという態度を一貫して取っています)日本共産党は、党大会や綱領改定のときに、情勢を分析し方針を改めるときには、どうしてそれを変更したのかを明らかにして、方針を発展させてきました。なぜ、方針を変更したのかを書くと、そんなことはどうでもいい、と言って内容の吟味もせずに表面的な揚げ足取りのような議論を重ねるのは、極めて不誠実です。
当時正しいとしていたものに、根拠があり、しかし時代の変化の中で物事が変わっていくことはたくさんあります。日本共産党は、憲法9条を守ることを通じて日本の平和を守る条件が生まれていることを踏まえて、将来にわたって憲法9条を守るという政策を打ち出しました。
一度決めたら変わらないというような態度は、科学的ではありません。自然科学も、新しい法則が発見されたら不十分だった理論は、改変されるのは当たり前ですよね。状況を分析して、不十分さを認めたらためらわずに総括して、変更するということです。
戦前、日本共産党は、天皇制を打倒しなければ、国民主権の日本は実現しないという分析を行い、綱領にも天皇制打倒を掲げました。この分析は極めてまともでした。天皇は現人神で、神聖にして侵すべからず、という存在であり、天皇主権を脅かす国民主権の考え方を徹底して弾圧したんですから。
弾圧を受けた日本共産党員の中には、虐殺された方や獄中で亡くなった方も存在します。獄中にありながら、もうすぐ戦争は終結する、国民主権の日本は実現することを見抜いた人が、共産党員の中には存在しました。戦争が日本帝国主義の敗北をもって終わったことを、歴史の進歩だと捉えたのが日本共産党だったということです。こういう見通しをもっていたからこそ、日本共産党は、戦後の国会で、天皇制の廃止を掲げ、国民主権を堂々と主張したのです。
大日本帝国の敗北が、新しい歴史を拓くのだということを感じ取った日本共産党だからこそ、国民主権を主張することができたのだということでしょう。
日本国憲法への変化の時に、日本共産党は、全体主義的な天皇制が象徴天皇制に変化したことによって、ブルジョア君主制の一変種に変化したと分析しました。もちろん、この分析に到達するのには時間がかかりました。アメリカに対する見方も含め、戦後の情勢を分析するのには、かなりの時間が必要でした。日本の現状分析を確立したのは1961年です。この綱領確定の過程で日本共産党は、アメリカの弾圧を契機として党内の路線対立によって深刻な分裂に陥りました。これを克服し、統一を回復して綱領を確定したのが1961年です。
政党を批判したいのであれば、最小限度の歴史的経緯を踏まえてしてもらいたいですね。興味がないと言いつつ、日本共産党への理解を拒みながら批判を重ねるのは、情けない態度だと思います。批判には、建設的なものが含まれるべきです。嘲笑的な批判は、批判する者の値打ちを下げるものです。
まあ・・・いつもの通り思想論になる。
最後に、野坂さんの議事録を読んだ僕の感想を・・・・
現在の政治家と違い、命を懸けて主張しただけあって迫力が伝わってきます。内容はともかく非常に迫力のある議事録です。僕がこの議事録のことを書くときは「野坂さん」と常に敬称つけたのがその敬意の示しです。現在の政治家のどうしようもない質問と格調が違う。歴史を読むことは事実を読むことです。その事実をもとに論議するのが歴史学だと思う。また事実という証拠のないものや怪しい話は切って捨てる。それが僕の信条です。
その事実、今回のような議事録のなかに新しい発見があるのだと僕は信じています。
野坂さんと書いていただいたことに、感謝を申し上げます。
ぼくは、あえて野坂と書きました。そこには理由があります。
トリノさんが、敬意を表して野坂さんと書いていただいていることを感じていました。憲法制定国会における野坂の質問は、歴史に残るべきものだと思っています。今日の日本共産党の政策との関係でいえば、弱点も不十分さも違いもありますが、それを視野に入れてもこの質問は、まさに今日の日本に生きる価値のあるものだと思っています。