共産党は片寄っている
「共産党は片寄っている。政治に興味のある友だちと話して分かったんやけど、お父さんの話がいかに片寄っているか、やった。私は、自民党でも共産党でも両方の意見を聞きたいんよ。お父さんの話は、いっつも決めつけ。意見を押しつけるんよ。私に意見押しつけやんといて」
この話に妻も参戦した。
「お父さんの話は片寄っているわ。元号なんか使うなって言われたことあるし」
「そうや、そうや」
「お父さん、今日は形無しやな」
妻と娘に集中砲火を浴びてしまった。
「中立なんて世の中にないで」
「ないけどね。共産党はものすごく片寄ってるんよ」
断定的にものを言うという点で、Macの話になった。ちなみにMacと共産党とは何の関係もない。あるとすれば、中央委員会のビラがMacで作られているというぐらいのことだ。それと政治の話とはまったくリンクしていない。
「お父さんは、Windowsはクソやって言うやろ。それが押しつけなんよ。Windows使っている人の気持ちになってみ。Macはクソやって言われたら腹立つやろ。Windowsにもいいところあるやろ。そのことを考えてみ」
「でも、Windowsはクソやもん」
「ほらね。いっつも押しつけなんよ。人にもの教えるのも超へたやし」
わが家の中では、日本共産党はものすごく片寄っているということになってしまった。この記事を読んだブログの読者の中には、
「それみてみろ、東芝さんは家族にさえ理解されていないやんか」
と言って溜飲を下げる人もいるだろう。
うーん、相手をリスペクトして対等平等の立場に立って、同じ目線で話をするということについて、偉そうに論議しているのだけれど、わが家の妻と娘については、超理解されていない状態にあることが、露呈してしまった。
でもねえ、妻も娘もかなりぼくに対して、決めつけてものを言っているように思うのだけれど……。
ディスカッション
コメント一覧
今となっては僕もWindowsはMacに劣っていると思います。またWindowsはクソやとも思います。ただ・・そう簡単にクソなWindowsを離れなれないのも事実です。
3年前にiPad miniを買って衝撃を受けました。最近では家族4人がiPhoneになりました。何れMacを買うことになると思います。Windowsは1台だけ残して・・・すべてアップルになるでしょう。
東芝さんのアップル推奨については正しいと思います。
トリノさん、意見が一致して嬉しいです。「そう簡単にクソなWindowsを離れなれないのも事実です。」そうですね。ぼくもMacにWindowsをインストールする必要があるのは、地図ソフトがWindowsでないと動かないからです。
パソコンの黎明期の時代は、国産のソフトがたくさんあり、選択肢も豊富でした。国産ソフト会社が極端に少なくなって、ワープロでさえwordが席捲するようになりました。国産のソフトのほとんどはWindowsであり、しかもビジネスソフトの世界で生き残っているだけという悲しい現実があります。そうなってくるとWindowsから離れられない現実があるということですね。
Appleの悪いところは、全てをAppleの支配下に置いているところにあります。日本のApple社は、完全にアメリカのAppleの出先であり、ワープロソフトでさえ縦書きができない、プレゼンも縦書きができないままです。日本語入力用のインプットメソッドのことえりと日本語用フォントだけですね、Appleが対応しているのは。もう少し、日本語環境に配慮したソフトを開発してほしいという不満があります。ぼくの場合は、Adobe製品があるので、日本語入力環境にも満足できますが、この会社の高額ソフトを使えない人々にとっては(出来の悪いwordを使うしかない)、Macは使いづらいかも知れません。
そういう状況にあったとしても、パソコンとしてのMacとiPhone、iPadの関係は、Windowsには真似のできない世界を構築していると思います。娘に「押しつけんなよ」と言われていますが、18年間Macを使ってきて、ぼくのアドバイスを受け入れてWindowsからMacに転向した人間は1人だけです。押しつけは実現していないのが現実ですね。
何処でも同じで、嬉しかったです。1人ひとり自分意見を言える、自由にものが言える立派。
頑固親父はシッカリ受け止めてください。
中立、簡単そうですが難しいです。
奥さんも娘さんも(,,゚Д゚) ガンガレ!
(ええ家庭‼)
Facebookでもいい家庭やなあ、という反応でした(このブログはほぼ毎日、Facebookにもシェアしています)。父親の意見が受け入れられず、面白い議論になるのは、楽しいですね。
古い世代は、父親の権威が必要だ、という言い方をしますが、1960年生まれのぼくたちの世代で共働きになってくると、父親も家族の一員になって対等に話し合うという感じが強まっています。
母親の力が強い家庭、父親の力が強い家庭、いろいろあると思いますが、家族の形は、それぞれの家族によって柔軟に作られていくと思います。はじめに形があるのではなくて、人間同士の関係性の中で家族の形が出来上がってくるような気がしています。
3人の小さな家族ですが、居心地のいい家族です。
同じ父親として感慨深く読ませて頂きましたw
家庭内で自由に議論できる環境は素晴らしいですね。
我が家でも出来るだけそうしようと努力する毎日です。
私が東芝さんのブログを拝見するようになったのも
『自分の考えと真逆の人の思考はどうなってんねやろ?
まずは、話聞いてみな分からん』というのがきっかけでした。
ま、話を聞いても私の考えは変りませんでしたがw
反対意見を聞き自分の考えが時に正しいと再確認したり、
なるほど・・・と思う事もしばしば。
意見が対立する人々とも冷静に議論できる土壌が
できればイイですね。
ワタナベさん。本当にそうですね。ブログの議論の場合、面と向かってするとき以上に冷静に対応できるということも多いですね。筆をおさえる必要はあります。文章で相手の人格を徹底的に攻撃するようになると、議論がものすごく荒れて収拾が着かなくなります。その点では、意見が違っても、相手を尊重しながら議論ができていると思います。
調べて書くのは、非常にめんどくさいと感じることも多々ありますが、意見の違う方々とのやり取りによって、自分が考えていなかった点についても視野が開かれることがたくさんあります。
これからもよろしくお願いいたします。