弁証法的なものの見方、考え方を議員活動に活かす
ものすごい寒波がやって来た。日曜日の朝、雪が降っていたら困るので、早朝配達は午前2時30分に出発した。雪はまだ降っていなかったし、寒さもまだましだった。
配達を終了してからしばらくして眠った。
朝はゆっくり起きた。起きると雪が積もっていた。冷蔵庫みたいな寒さだった。
午前中と午後は、哲学の学習のための資料を作成した。唯物論のときの資料はこしらえたので、今度は弁証法についての資料だった。
○ 事物を連関と連鎖の中でとらえる。
○ 事物を生成と発展、消滅の過程の中でとらえる。
○ 固定した境界線はない。
この3つの視点をどう具体的に自分の思考の中に組み込んで、対象に接近していくのか。
ぼくの場合、まず事物に接近するためには、比較検討から始める。差異を大切にして、比べるということだ。調べたい対象がAだとすると、このAをBやCと比較検討する。そうすればAのことが少し見えてくる。比較検討によって問題意識が組み立てられたら、その問題意識にそって資料や本を集める。もちろん現場があれば現場に行く。
Aについて、資料や本を読み込んでいくと今まで見えていなかったAに対する側面が見えてくる。
つまり、文献に当たることや現場に行くことが、視野を広げることにつながる。この作業は、Aという対象に対して、まさに連関と連鎖の中でとらえるという作業になる。
同時にAが発展してきた歴史を調べる。歴史を調べることは非常に大事だ。歴史というのは、その事物の発展のプロセスを調べることになる。この調査は、事物を運動の中でとらえることにつながる。
連関と連鎖の中でとらえる。生成と発展、消滅の過程の中でとらえるために、上記に書いたようなことを行っている。事物の具体的な連関と連鎖を把握していくと、それらのものの関係性が見えてくる。事物は相互に影響を与え合っているので、こういう努力を重ねていくと、事物を運動の中でとらえられるようになってくる。そういうことが見えてくると、どう発展させるべきなのかも浮き彫りになってくる。
固定した境界線はない、というものの見方は、かなり高度なものになる。原因と結果は、相互に入れ替わるとか、生と死は同じ生物の中で同時に存在しているとか、偶然と必然は、同時に1つの現象の中に存在するとか、現象を伴わない本質はない、本質というのは絶えず具体的な現象の中にあるとか、個別的なものの中にこそ一般的なものがあるとか、一定の量には一定の質が対応する、量を伴わない質はないとかいうようなものの見方だ。ただし、こういう柔軟な状態は、具体的な事物の具体的研究を通じて分かるかどうかということだ。ただ、対象に接近する場合、頭の中に柔軟な発想を残しつつ、対象を見ていく上で、「固定した境界線はない」という考え方を持っておく方がいい。
弁証法的なものの見方考え方を実際の調査活動の中に活かすために、座右の銘にしているのは、マルクスの次の言葉だ。
「現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、その否定、その必然的没落の理解を含み、どの生成した形態をも運動の流れのなかで、したがってまた経過的な側面からとらえ、なにものによっても威圧されることなく、その本質上批判的であり革命的である」(弁証法とは何か──マルクスの言葉)
上に書いた研究方法は、マルクスのこの言葉に導かれて、自分なりに組み立てたもの。このものの見方、考え方を議員の調査活動に活かしている。
この哲学的方法を他の議員にも伝えたいと考えている。








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