今日で2重投稿はおしまいです

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本日をもって、exciteブログとアメーバBlogへの2重投稿はおしまいです。
Windowsでは、同じように見にくいということのようです。
違いがほとんど分からないというのが結論です。
多くの方が、アメーバの方を見てくださっているので、アメーバに記事の投稿を続けます。エキサイトの方は、気が向いたときに記事を書いて、時々更新するように改めます。
振り返ってみると2005年からほぼ毎日、ブログの更新をしてきました。もちろん、自分の人生で、こんなに長く毎日、日記を書き続けた経験はありません。
毎日書くことが一つの目標なので、時には、「眠たい」としか書かないこともありました。
議員をしていると選挙上の制約があります。インターネットにおける選挙活動が文書図画(ぶんしょとが)にあたるということで、選挙期間中のブログの更新を行うことが禁止となります。したがって、4年に一度、5日間は、ブログの更新ができませんでした。この6年間で選挙が2回あったので、10日間ブログを書きませんでした。
これ以外に数日、書けなかったこと、書かなかったことがありました。いずれも、議員の視察もしくは、家族との旅行が関係しています。出張したときは、携帯電話からの投稿になります。うまく投稿できなかったことが何回かありました。お酒を飲んで投稿を忘れたことが数回ありました。
でも、ほぼ毎日、ブログを更新して、様々なことを書いてきました。ときには、原稿用紙にして10枚を超えるような記事を書いて(おそらく、最後まで読んだ方は少ないと思いますが)3時間以上を書くことに費やしたことも少なくありません。
自分が、気になっている問題を調べながら書き始めると、情報のリサーチにかなりの時間がかかり、記事を書くのに多くの時間を割くことがあります。物事は、具体的なので調べていくと、自分の知らなかった事実が明らかになり、物事の考え方が発展します。考えが発展するのが面白くて、いろいろな論考めいたことを書いたことが、一番多いかも知れません。
こういう記事を書くと、多くの方は、「難しいので途中で読むのが嫌になって止めました」という感想が寄せられたりします。
自分の思考は、文字にすることによって、ビデオテープが再生されるように、もしくは、結び目のように団子になっていたものが、次第にほどけるように展開していきます。この展開の過程の中で、細部の考え方の曖昧さが明らかになり、鮮明にしようとするので、その部分の思考が具体的に展開されることになります。この作業の過程は、まさに書きながら考えるという行為そのものです。
思考を文章化することによって、思考が発展するということです。
ブログを読まれている方は、紐解かれていく思考の展開を読むということになります。
最初から結論が見えている場合は、その結論に向かってドライブするので、読んでいる方も助手席に乗っていただけるのだと思いますが、結論が見えないまま、考えつつ書いた文章は、目的地がはっきりしないので、奇妙に精緻で生硬な、かなり回りくどい文章につき合うことになります。
そういう文章は、読み手にとってはかなりしんどいものだと思います。
一番書きたい文章は、次のような物事に対する描写です。
役場のドアを手で開けて外に出ると雨はほとんど上がっていた。時計は8時を少し回っていた。赤旗の日曜版を入れた箱を抱えて歩く。駐車場に止めてある車は黒いシルエットのように輪郭だけが浮かんでいた。
車に近づいて、後部座席に抱えていた箱を置こうとした瞬間、金木犀の花の匂いが流れてきた。暗い駐車場の闇の中で金木犀はほとんど見えなかった。匂いの存在は、驚くほど鮮やかだった。
秋が静かに音もなくやって来た。
毎日、こういう文章を書いてみたいのですが、こういう文章を書くためには、なにがしかの心の動きが必要になります。果たして、毎日描写したいような感動を積み重ねられるかどうか。自信はありません。
体験が鮮やかな印象になって残らないとななかな描写をすることにはなりません。こう言う文章を書きながら、いいたいことを少しずつ書き込んでいけば、読んだ方の印象も深くなるように思うのです。しかし、描写の文章は、ストレートにいいたいことを書くのではなく、描写を通じて相手に伝えるところに良さがあると思っています。毎日、こういう文章を書ける人にあこがれます。
描写を中心とした文章は、自分の体験を直ぐに書くのではなく、時間をおいて書いた方が良いものが書けそうです。寝かさないと瑞々しさに欠けるような気がします。毎日書くことと寝かすことは、矛盾するので難しそうです。
日々の体験を日記のように書けばいいのですが。共産党の同僚議員の中には、日記のようなブログを書いている方もいます。そちらの方が読みよいかも知れません。
日記を書きながら描写できる方は、かなりな文章の達人だと思います。
思考の流れを文章にすることの方が、文章としては、描写する文章よりもおそらくストレートな表現方法だと思います。論文は、自分のいいたいことの積み重ねですから。世の中にある多くの文章は、こっちの文章です。小説やエッセイは、文章の中では少ないのだと思います。描写する文章を書きたいという思いを強くもちながら、結局は論考する文章の方が多くなるのは、考えを深めたいことが多いので、致し方ないというところでしょうか。
ブログについて、振り返ってみると、こんなことを考えてしまいました。
2005年に始めた頃は、自分の胸の中にあった印象深い思いを、はき出すように文章化しているので、読み返すと印象深いものがいくつかあります。自分の胸の中に溜まっていたものが、一通り書かれていくと、今度は、毎日考えたことを書いて深めていくことが多くなりました。ブログの趣が、時間とともに変わっていったのは、いわば必然的な帰結だったのかも知れません。
その日にあったことを、その日書いても、なかなか心に残る文章は書けないと思います。
ときどき、エッセイ風の文章を書くことができればいいな、と思っています。
これからもよろしくお願いいたします。


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Posted by 東芝 弘明