ヒアリング考

雑感

土曜日は朝から雨が降っていた。天気予報を見るとお昼頃まで降るのだという。外を眺めているとお昼頃に雨は止んだ。天気予報どおりだったが、ぱあっと晴れ間が広がるということにはならなかった。

今日もヒアリングについて書いてみる。ヒアリングをしたからと言って、最終の質疑が確定することにはならない。相手も即答できないので、さらに調べてもらうことも多い。そうなってくると時間とのたたかいになる。「事前に通告してほしい」と言われても間際まで変化する。ものによっては、ヒアリングによって、担当課が一生懸命調べて分かったことを答弁することもあるので、こちら側が手の届いていないことが答弁で返ってくることがある。ヒアリングによる調査、さらなる自分での調査、当局の準備、これを踏まえた上での打ち合わせ、質疑というのがいいのだろうけれど、そういう形にはなかなかならない。とにもかくにも十分な時間はない。
これが通告制を採用したとしてもあまり変わらないと思われる。通告した後も調べることによって変化するからだ。行政は、文章で通告を求めるようなことを議員に求めるべきではないだろう。それは通告以後の議員の具体的な努力を奪うことになり、行政の質の低下にもやがてつながることになる。
議員一人だけで準備をしても、膨大な予算の本質に迫ることは不可能に近い。かつらぎ町でいえば、議長をのぞく12人の議員が念入りな準備をすれば、かなり本質に迫るような質疑はできるだろうし、そのことを通じて行政の姿勢が改まったり、執行のときの力点が変わったりするだろう。

議会が、その権能を発揮する、チェック機能を十分に果たすという点で言えば、予算の審議はすごく重要になる。地方自治体の議会の権限は制限列挙的なので及ぶ範囲は思っている以上に狭い。議会とは関係なしに行政がその意思を決め、実行していることは膨大に存在する。日々動いている行政の意思決定が、どのような形で進んでいるのかを議員がすべて把握できるものではない。それは議会の権限が行政の意思決定よりもはるかに小さいからに他ならない。
ただ、この膨大な意思決定に対し議会が縦横にコミットし、注意を喚起したり、改善を求めたりできる分野がある。それは予算審議だ。たとえば行政の中には、職員を配置し、職員の日常の業務を通じて実現していることもかなりに昇る。それらの中には予算上目に見えないものもある。予算書がありがたいのは、そういう日常業務の目に見えにくいものでも、行政は人件費を置いて事業を展開しているので、日常業務についても、人件費という角度からなら接近できる。

一人一人の議員が、チェック機能を発揮すれば、自治体の質は大きく向上すると思う。自治体の質は、予算質疑によって図られると言っていい側面がある。
議員が、自分のもっている力を発揮せずに座っているのはいかにももったいない。もちろん、質疑などを全くしないで住民の代表として議員が活動する分野は数多く存在する。そのことは否定しない。ただ、議案の審査という機会に一切質疑をしないまま「私は議員です」というのは、いかがなものかと思う。議員報酬は議案審議に重きを置いて支給されている。議員は、そのことを考えるべきではないだろうか。


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雑感

Posted by 東芝 弘明