「ゼリービーンズの魔法」を読んで

家族

8月14日の同窓会の受付に本の案内状が置かれていた。「ゼリービーンズの魔法」というエッセイを紹介したチラシだった。
「同級生のAさんがエッセイ集を出したんです」
受付の女の子は、チラシを配ってくれた。
論文よりも詩やエッセイ、小説を書く人にあこがれる。配ってくれたチラシは、何だか大事なものになった。
インターネットで注文すると、8月末に本が届いた。
「ゼリービーンズの魔法」というタイトルが好きになった。
読み始めると、ぼくたちが生きていた子ども時代の匂いが立ち上ってくるようだった。
父と母がいて、おじいちゃんとおばあちゃんがいる。本の中には、懐かしいのに、ぼくの知らない大家族のにぎやかな世界が広がっていた。
「同じ時代を生きていても、家族の姿は大きく違う」
こんな感想が、胸の中に広がった。
エッセイには、くりかえし駅前のスーパーという言葉か出てきた。スーパーの斜め前にあるタカラブネのことも書かれていた。これを読むと、当時の情景が鮮やかに浮かんでくる。
笠田の駅前には、スーパーマーケットがあり、高校時代にはタカラブネがオープンした。ぼくは、毎日タカラブネとスーパーの前を通り笠田高校への道を通っていた。家から出ると目と鼻の先に笠田駅筋の道があった。三叉路の左の角にはパン屋さんがあり、右側には自転車預かり屋さんがあった。この向かい側には、同級生のお母さんが経営している化粧品店があり、その左隣はタンス屋さんだった。

母と兄と妹とぼくの4人家族は、母親が四郷小学校に赴任するときに新城から笠田駅前に引越して来た。引っ越ししたのは3月末だったが、4月からぼくは中学1年生として学校の敷地内にあった寄宿舎に入った。駅前の家では、母と兄、妹の3人の生活が始まった。
ぼくは、中学校まで歩いても10分かからないような道を、一週間分の荷物を持って土曜日に帰り、月曜日に、また学校に行くという生活を3年間行った。
中学2年生の時に母親が入院した。それ以後、笠田の家は、兄弟だけで生活するという状態になった。
ぼくは、寄宿舎に入ることによって、その後の母の入院と母の死去によって、中学校1年以降、親のいる家族の空気をほとんど知らないことになった。

「ゼリービーンズの魔法」には、ぼくが体験できなかった家族の生活が鮮やかに描かれていた。同じ時代なのに生活していた世界は大きく違う。家族がいる風景が何だかうらやましかった。
ぼくが、笠田東で過ごした中学校と高校の6年間は、毎日が合宿のような時間だった。寄宿舎生活は、中学校時代の友だちとの共同生活だったし、高校に入学するときに帰った家は、兄弟だけで生活している家だった。駅前の家は、兄の友だちとぼくの友だちが集まってくる「たまり場」となり、ぼくの家には、兄の友だちとぼくの友だちの誰かが、いつも泊まっているような状況だった。

家族は、親がいて子どもがいて成り立つものだと思う。ドラマにあった「一つ屋根の下」のような兄弟だけの生活だったぼくの体験は、家族というものの大切な空気を失ったものだった。

「社会的な常識が身についていない」
30歳を超えて、こういう指摘を受けたことがある。家族がいれば、自然と行われる様々な行事を体験していないので、普通に気がつくことが欠落した生き方をしてきた。
日本の四季の移り変わりの中で、季節の節目ごとに行われる様々なことが、自分たちの生活に中には存在しなかった。
なくしたものは多かった。しかし、なくしたもののかわりに、家族の中で生きてきた人とは違うことをたくさん体験して生きてきた。同世代の中で育って、同世代とともに生きてきた6年間。それがぼくの中学校と高校の6年間だった。
「ゼリービーンズ」は、色とりどりの甘いお菓子。買い物に行くと店の人がくれるお菓子には、魔法がかけられていた気がする。──彼女のエッセイにはそう書かれていた。
ぼくは、このエッセイを読んで、「セリービーンズの魔法」にかかってしまった。この本は、体験できなかった家族の生活を少し教えてくれた。それは、ぼくと妻と娘の3人きりの家族の生活が、夢を見るように大切なものだということを感じさせてくれる素敵な魔法だった。


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家族

Posted by 東芝 弘明