父と終戦

雑感,家族,思い出

8月15日は、父のことを思い出す日でもある。父は死なずに戦地から帰ってきた。戦争が終わった年は25歳になっていただろうか。戦地で病気にかかり、一度戻ってきて、また戦地に行っている。軍歴には支那事変に関わったと記されていた。父の軍歴を調べたいと思いつつ、そこからかなり時間が経った。和歌山県から手書きの軍歴を手に入れたが、判然としない部分があるので、そこから活字に書き起こされた資料も手に入れたいと思いつつ、時間が経過してしまった。

戦死していれば、父は、靖国神社に英霊として祀られていた。しかし、英霊という言葉にはすっきりしない気持ちが漂う。
英霊という言葉は、もともと英華秀霊の気の集まっている人の意で、才能のある人、英才を指す言葉だが、この言葉を大日本帝国は、日露戦争以後、靖国神社に祀られた戦没将兵に対して使うようになった。戦争が終わるまでの時代は、才能のある子どもを「英霊の俊児」のようにいう使い方もされていたようだ。しかし、戦後はもっぱら英霊というと国に殉じて戦死した軍人や軍属のことを指すのが一般的になった。国の命令によって、赤紙一枚で戦地にかり出され、命を失った軍人・軍属の死者は230万人(このうち靖國神社に祀られているのは213万3915人)、しかしこの軍人・軍属の手によって死んだアジア諸国民は2000万人に登る。

英霊。大日本帝国のために戦って戦死した人。この人々を祀っているのが靖国神社。ウキペディアにはこう書かれている。

幕末から明治維新にかけて功のあった志士に始まり、嘉永6年(1853年)のペリー来航(いわゆる「黒船来航」)以降の日本の国内外の事変・戦争等、天皇を頂点とした国家体制のために殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」として祀り、その柱数(柱(はしら)は神を数える単位)は2004年(平成16年)10月17日現在で計246万6532柱にも及ぶ(詳細は「祭神の内訳」を参照)。当初は祭神は「忠霊」・「忠魂」と称されていたが、1904年(明治37年)から翌年にかけての日露戦争を機に新たに「英霊」と称されるようになった。

靖国神社のホームページの説明も載せておこう。

靖國神社には、戊辰戦争(戊辰の役)やその後に起こった佐賀の乱、西南戦争(西南の役)といった国内の戦いで、近代日本の出発点となった明治維新の大事業遂行のために命を落とされた方々をはじめ、明治維新のさきがけとなって斃れた坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作・橋本左内といった歴史的に著名な幕末の志士達、さらには日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変・大東亜戦争(第二次世界大戦)などの対外事変や戦争に際して、国家防衛のためにひたすら「国安かれ」の一念のもと、尊い生命を捧げられた方々の神霊みたま が祀られており、その数は246万6千余柱に及びます。
その中には軍人ばかりでなく、戦場で救護のために活躍した従軍看護婦や女学生、勤労動員中に軍需工場で亡くなられた学徒など、軍属・文官・民間の方々も数多く含まれており、その当時、日本人として戦い亡くなった台湾及び朝鮮半島出身者やシベリア抑留中に死亡した軍人・軍属、大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々なども同様に祀られています(参考資料:神道政治連盟ホームページが開きます)。
このように多くの方々の神霊が、身分・勲功・男女の区別なく、祖国に殉じられた尊い神霊(靖國の大神)として一律平等に祀られているのは、靖國神社の目的が「国家のために一命を捧げられた方々の霊を慰め、その事績を後世に伝えること」にあるからです。つまり、靖國神社に祀られている246万6千余柱の神霊は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」であるという一点において共通しています。

大日本帝国に殉じた人を神霊(靖國の大神)として祀っているのが靖国神社。英霊は神霊。靖国で神になるということだ。靖国神社に祀られている人が英霊であり、その英霊は神だという位置づけならば、戦死した人々を英霊と呼ぶのは、大日本帝国時代の国家神道を受け継いでいるということになる。

父は戦死しなかったので英霊にはならなかった。戦死していたら戦後15年経って生まれたぼくは存在しないし、兄も妹も存在しなかった。父は戦死しなかったけれど、酒を飲むと暴れることが多く、父が歌うのは軍歌ばかりだった。父は、10代から25歳まで忘れられない戦争体験の中に生きていた。支那事変に参加し、斥候としての任務の中で「どれだけ中国人を殺したか分からない。女も子どもも殺した」ということになった。父の戦後は、戦争から逃れられなかったPTSDだったのではないかと思う。
父は、酒によって内臓を壊し糖尿病になって入院し、退院したその日に村の中にあったお店の酒をみんなに振る舞い、浴びるように酒を飲んで、自宅に戻るなり「太く生きた。もういい」と言い、預かっていたぼくの従兄を「家に帰せ」と言って眠り、そのまま脳内出血で命を失った。自殺のような最後だった。父の戦後は、終わらない戦争に支配されていたと思えてならない。

日本の侵略戦争には正義がなかった。大日本帝国のいう英霊には、戦死者を称えることによって、自分たちの戦争責任を免罪するような構造がある。英霊という言葉には、靖国で神になるという考え方を続けてきた執念を感じ、違和感を感じる。

日本国に対しては次のような思いがある。
大日本帝国の誤った戦争に対し、わずか1銭5厘の赤紙で戦地に赴かされ、戦死された人々に、深い反省の上に立って魂を鎮め、平和を誓ってほしい。もう2度と日本国家による侵略戦争を行わない、軍隊をもたないという戦後憲法に示された誓いを亡くなった人々に捧げてほしい。
日本政府の軍人や軍属を含む戦争犠牲者に対する鎮魂の形は、日本国憲法の恒久平和の精神がふさわしい。
そういう鎮魂を実現してほしい。戦争によって、長い時間をかけて苦しんできたぼくの父ような死に対しても、そのような鎮魂は、一つの弔いになると思われる。


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Posted by 東芝 弘明