大きななぜと小さな問い

雑感

昨日の続きをもう少し書いてみたい。
問題意識を持つことの重要性を山田ズーニーさんは、語っていた。
問題意識=なぜと問う心ということだ。
しかし、なぜという問いは非常に大きい。
大事なのは、このなぜという問いを分解して、小さい問いを立てることだ。

たとえば、
なぜ空は青いのか。
という問いを小さく分解してみよう。
いつ?
昼間、空は青い。
どこ?
昼間、雲のない空は青い。
誰が?
人間が昼間、雲のない空を見ると、空は青い。
何を?
人間が昼間、太陽が出ているとき、雲のない空を見ると、空は青い。
どうした?
人間が昼間、太陽が出ているとき、雲のない空を見ると、空は青いが、太陽が沈んだり、雲に遮られたりすると空は青くなくなる。

ここまで考えると、空が青いのは太陽の光と非常に密接にからんでいることが分かる。
太陽の光があってはじめて空が青く見える。
しかし、夕方と朝方、空が赤く染まることがある。
光りのあたり方によって、空の色は違って見えるということ。

では、なぜ、光の当たる角度によって空の色が変わってくるのか。
という次の問いが出てくる。
おそらく虹について、考えを巡らせた人がいる。
人間は、人工的に光りの当たる角度を変えることができるのか。
実際に光りを角度によって分解してみよう。ということでプリズムという道具が、長い試行錯誤の経過の中で作られて光りを分解できるようになった。
光りを分解できるようになると、なぜ光りを分解できるのかという問いが立ち、分解できるのは、光りの波長が違うからだという考え方にたどり着いていく。

こういう具合に大きな問いを分解していけば、小さな問いが生まれて、一つ一つ新しいことがわかってくる。
しかし、一つ一つの問いを解き明かすのには、かなりの時間や労力がかかる。数多くの研究や試行錯誤が繰り返されて、次第に真実が明らかになっていく。明らかにされた真実が、次の新たな問いを生み出して行く。
物事の真実を明らかにする行為は、人間にとって新しい光りをもたらすことだが、この新しい光りによって、照らし出された事実は、次の新しい謎を生み出して行く。

解明されつくすことはありえない。問題を解き明かせば解き明かすほど、新たな疑問が湧いてくるということ。
しかし、問題の解明は、確実に新しい山に登るということでもある。

こういうものの見方考え方を身につけて行けば、豊かな思考方法を手に入れることができる。
頭の中で考えているのではなく、実際に問題意識をもち、それを一歩一歩解明する努力を重ねていけば、その体験が、自分の思考方法の中にしみ込んでいき、自分の思考方法として身についていく。
問いを立てて、その問いを解き明かしていくというものの見方は、机の上で理論を学ぶという問題ではなく、きわめて実践的な方法論である。実践的訓練だといってもいい。

ぼくの場合は、議員になって、さまざまな分野の問題を生き生き学ぶ努力の中で、次第にこういうものの見方、考え方が身についてきた。大きな問いを解き明かすために小さな問いを立てて問題を一つ一つ明らかにするという方法は、自分の中で自然におこなわれてきたことでもある。
一般質問の場合、この問題の種明かしのプロセスが、質問の組み立てにも色濃く反映していく。種明かしのプロセスが、質問の組み立てと同じ流れになったりすることも多い。

問題意識に対して、小さな問いを立てるためには、新しい情報が必要になる。新しい情報は、問題意識に導かれながら本などを読んでいると発見できる。自分の頭の中だけで考えていても小さな問いはなかなか立てられない。視野を広げて、新しい情報に出会うことが、小さな問いを立てる力になる。
これは、本の力を借りて自分の立ち向かっている現実を分析することでもある。たった一行の文章、たった一つの言葉が、神の啓示のような力をもつことがある。大きな問題意識を解き明かすカギが、本の中に埋もれていることがある。それを発見したときの衝撃は大きい。

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Posted by 東芝 弘明