小説を書く努力を始めたい

文学

Amazonで保坂和志さんの「書きあぐねている人のための小説入門」という本を買って読んだ。保阪さんは、小説を書いてきた作家だ。その人の小説を1冊も読まないで、小説の書き方を読み、創作ノートを読むというのは、少々奇妙なことだと自分でも思う。
保阪さんは、ストーリーがあまりない小説を書いている。ストーリーテーラー的な作家ではないという点は驚きだったが、ストーリーは、結論から逆算しながら組み立てていけばできるという話が面白かった。結末が鮮明であれば、この結末に向かって書いていけばいいという話には、妙に納得した。

文体は、情景描写によって生まれるという話も新鮮だった。

小説は、文字だけで情景を描写し、場面を描く。一度に目に飛び込んでくる景色を一文字一文字、一行一行積み重ねる中で立体的に描いていく。文章は、読むのに時間がかかる。一瞬にして目に入ってきた景色でも、それを一度に描くのは不可能だ。ここにどう描くのかという苦労がある。しかし、生みの苦しみをへながら描いてこそ、文体が生まれるというのは、なんだか妙に納得した。

描写を少ししてみよう。

ホテルの総ガラス張りの玄関は外の景色を綺麗に見せていた。私は玄関の左端にある自動ドアに向かって歩いた。自動ドアは丸い円筒型になっている。円筒の中に進むと、後ろでドアの閉まる音がし外側のドアが両側に開いた。風が入って来た。寒い。気温が下がり始めている。外で待っている議員の数人がこちらを見た。黄色に染まった落葉樹が日の光を弾いていた。

映画ならほんの数秒のシーンなのだが、綺麗に流れるようにこのシーンを描くのは難しい。作家の中には、文章でリズムを作りながらなんとか流れるように文章を書きたいと思って、何度も書き直しをおこなっている人もいる。しかし、細かな描写を増やしていくと時間の流れが止まってしまう。

小説を書きたいという夢を20歳の頃から持ってきた。
本当に書きたいのなら実作に入っていかないと、小説は書けない。どのような小説を書きたいのかということすら定まっていないけれど、書く努力を始めたいと思っている。
和歌山県の紀北地域のことを小説という形で描いたものは少ない。有吉佐和子の「紀ノ川」と「華岡青洲の妻」ぐらいだろうか。ぼくたちが生きてきた青春時代というものを、その風景とともに小説という形で描いてみたいと思っている。
というふうに分かったように書いているが、小説を書いたことがないので、ぼくの書くものが小説になるのかどうか、実はまったく自信がない。まだ、何にも書いていない時点で、自分の思いを書いてしまってはいけないという気持ちも働く。書く努力の中で次第に小説とは何かが見えてくるように思っている。読んでいるだけでは分からない世界が書くことにはある。書くことによって見えてくる世界があると信じている。

議員活動をしていると、議会のたびに思考の中断が起こる。神経を集中して議会対策をおこなっていると、議会のないときに読んでいた本の中断が起こるし、さまざまな問題意識の中断も起こる。この宿命的な状態の中で、実作への努力が持続できるかどうか。まったく自信はない。それでも努力を重ねていけば、5年ぐらいしたら形になっているかも知れない。持続させるためにも、なんらかの文学サークルに入る必要があると思いはじめている。
今日書いたことを忘れないようにしたい。
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Posted by 東芝 弘明