従軍慰安婦という言葉は本質を突いている

雑感

従軍慰安婦の本がAmazonから2冊届いた。後1冊は千田夏光さんの本だ。千田夏光さんの本は、どうしてもリストの中に入れたかった。この人は、従軍慰安婦問題を世に問うた最初の人だった。
千田夏光さんの本には、「従軍慰安婦・慶子―死線をさまよった女の証言」という本がある。ぼくが従軍慰安婦という言葉を知ったのはこの本だった。
この本は、ぼくの家の本棚のどこかに存在している。

千田夏光さんの本に「終焉の姉妹」という本もあった。広島の原爆で顔を焼かれた女性の生涯を描いた「踏まれ草」という小説もあった。

従軍慰安婦という言葉は、千田夏光さんが作った言葉だったが、この言葉が一人歩きしたのではない。従軍という言葉が嫌われているのは、従軍という言葉が強制力を伴っているかららしい。橋下さんも含めて、慰安婦問題を当時の公娼制度に基づく単なる売春だったと描きたい人は、とりわけこの従軍という言葉を嫌がっている。
この言葉を問題にして、軍の関与がなかったとか強制連行はなかったと描きたいようだ。強制連行がなかったとしても、日本の慰安婦制度は、半ば監禁状態にあり、まさに性奴隷の状態におかれていた慰安所があったのは間違いない。忌み嫌ってなきものにしたがっている強制連行についても、その事実を証明する当時の資料が見つかっている。この事実について、日本共産党の紙智子参議院議員が証拠を突きつけて質問主意書を出しているし、赤嶺政賢衆院議員の質問主意書には、政府が強制連行の資料があったと認めて回答している。

このことを報じた「しんぶん赤旗」は6月19日、次のように書いた。

赤嶺氏は、安倍内閣が「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」(2007年の答弁書)としていることについて、「『政府が発見した資料』とは何か」と質問。答弁書は「内閣官房内閣外政審議室(当時)が発表した『いわゆる従軍慰安婦問題の調査結果について』において、その記述概要が記載されている資料を指す」とのべ、日本軍による強制連行を示す資料である「バタビア臨時軍法会議の記録」があることを認めました。
同記録は、日本軍がジャワ島セマランほかの抑留所に収容中のオランダ人女性らを「慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどした」と明記。答弁書は「ご指摘のような記述がされている」と認めています。
答弁書は「強制連行を示す証拠はなかった」という安倍内閣の認識は「同じである」としていますが、その根拠が根底から覆される内容となっています。

慰安という言葉は、「日頃の労をねぎらって楽しませること」という意味だが、慰安婦について大辞林は「日中戦争や太平洋戦争中,朝鮮などアジアから集められ,戦地で日本軍将兵の性の相手となることを強要された女性たち。従軍慰安婦。」と書いている。千田夏光さんがネーミングした「従軍慰安婦」は、まさに本質をついた表現だったといえる。
従軍慰安婦を広辞苑で引いてみよう。
「日中戦争・太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となることを強いられた女性。植民地・占領地出身の女性も多く含まれていた。」
広辞苑も大辞林も、従軍慰安婦という認識に揺らぎはない。歴史学の本にも慰安婦を従軍慰安婦と表現し、その本質は性奴隷だったと書いている。日本においても、学術的には、定まった評価があるということだ。
それを、政治的にひっくり返す先頭に立とうとしているのが安倍政権である。河野談話と村山談話の見直しについての発言がその現れだ。政府の力を最大の拠り所にして、多くの勢力が、河野談話を攻撃し、従軍慰安婦問題を否定しようとしている。

橋下さんの開き直りの背景には、このような政治的な流れがある。
このような歴史を修正する動きに対して、私たちは、歴史を学び反撃して、政府の誤りを正さなければならない。
私たち大人は、間違った歴史を子どもたちに伝えてはならない。
歴史を修正しようとしている安倍政権には、21世紀を担う資格がない。

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雑感JP

Posted by 東芝 弘明