豊かな精神力

出来事

精神力の話をある本で読んだ。
日本人は、精神力という場合に「耐える」ことによって精神力が身につくというとらえ方が強いのではないか、と書いていた。とくにスポーツの世界にこの傾向が強い。
厳しい練習に耐えたから、勝利を手にすることができた。とか、厳しく指導することによって精神力が鍛えられるとか。

その方は、臨床心理学の方で京大の名誉教授の人だったので、精神力をもっと豊かにとらえていた。
豊かな精神という場合、精神という言葉は、豊かな思想という言葉と重なってくる。
この方は、精神力をもっと豊かなものとしてとらえるべきだと書いていた。スポーツを行っているときも、競技を楽しみながら、勇敢に立ち向かって、作戦を縦横に展開していく、ピンチに対して根性でがんばるということではなくて(ぼくの世代でいえば、意識朦朧となっている極限状態で拳をくりだす矢吹丈とか、爪が割れてもそれを隠して、ボールを投げ続けた星飛雄馬とかではなく)、ピンチの時にこそ縮こまることなく、果敢に仕掛けていくというような。
耐えるための練習は、スパルタ式が多いので、むしろ柔軟性が失われるという指摘もあった。

悲壮にならず、事態を冷静にとらえ、必要な手だてを講じるという豊かな精神力。精神力をこういう幅のあるものとしてとらえることはできないだろうか。という問いかけに、目の前が少し明るくなった。

お昼ご飯、ラーメン屋さんで注文の料理が運ばれてくる間の数分間、手に持って入った本に書かれていた話。この話でお昼ご飯が一段とおいしくなった。


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出来事

Posted by 東芝 弘明