質問原稿と答弁書の先にあるもの

雑感

一般質問が終了した。ぼくが一般質問原稿を提出したのが昨日の2時30分ごろ。予定よりも遅くなった。しかし、どのような質問をするのかは、通告とヒアリング、質問資料の作成という一連の流れの中で明らかにしているので、どう準備するかはかなりの角度で分かるはずだ。なのに当局は質問原稿が出てから対応するように見えた。質問原稿を持っていくと、そこから準備が始まり、行政の忙しさもあって調整する時間がなく、質問当日の朝までかかって答弁の調整という形が続いたようだ。

ぼくの質問に対応すればいい訳ではない。多くの議員の質問があり、限られた時間の中で対応しなければならない。そのことは理解できる。この負担はかなり大きい。でも質問原稿に対する対応、答弁の準備だけでは、十分な準備にならないと思われる。こちらは、原稿を書くのに様々な資料を読み込んでいる。それを元に原稿を書くので、文字にしなかった部分の情報も多い。文字にしなかった情報は、質問を支える引き出しになる。どれだけ引き出しが多いか。それが質問の深さになって質問そのものを支えることになる。
答弁する側が、質問原稿だけを頼りにして、答弁書を作るだけでは底の浅いものになる。質問テーマに対し、どれだけ広く深く物事を把握する努力を行うのか、答弁側にもこういう努力が求められる。それをしないと実際の答弁を支えられないだろう。

庁舎問題の答弁は、質問の間際になって出てきた。答弁書が届くのが遅かった原因は、ぼくの原稿提出が遅かったからだ。ただし答弁をざっと読んでも浅さを感じるものだった。こうなった一番の原因は、庁舎建設の基本構想(ぼくが思っているのは、職員による課題の総洗い出しによる課題の明確化と庁舎建設の具体的な方向を鮮明にすることだが)ができていないし、集団での基本的な検討がなされていないところにある。そこを改善して欲しいという質問だったので、ぼくの伝えたいことは伝わり、改善への努力が始まると思える結果になった。

質問原稿を出して答弁書が返ってくると、質問はさらに違ったものになる。答弁書を読めば、さらに議論をどう深める必要があるのかが見えてくる。今回は読むのに5分程度の時間しかなかったが、ほんの少し自分の質問をブラッシュアップすることができた。

そうやって一般質問が始まった。今回は目の前にあるストーブのことも視野に入って質問していた。途中で床に落ちた資料を拾うこともできたので周りを見る余裕があった。感情を前に出して質問するという場面もなかったので、その点も良かったと思っている。ただ、スクラップ&ビルドの関係で廃止された事業について、資料をきちんと出していただきたいという点を明らかにすることができなかったのは、心残りだった。

完璧な質問なんてできない。いつも不十分さが残る。ただ、質問と答弁書の先にある一問一答の一般質問の奥深さを味わっている。終わるとなんだか嬉しい。


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雑感

Posted by 東芝 弘明