子どもが獲得している「言葉の森」

雑感

和歌山市内で会議が終わったので、娘のアパートに立ち寄った。

子どもの話を聞いて、この前の養老孟司さんの話を思い出した。
概念は具体的な物から始まる。例えばラーメン。ラーメンと聞いたときに、北海道の人と九州の人が頭に浮かべるラーメンはイメージが違うことが多いだろう。具体的な物があって、そこから概念が生じる。話す側と受け手の概念が食い違うと、話がなかなか伝わらない。こういうことは多々ある。

「嬉しい」「悲しい」「好き」「嫌い」「もっと柔らかく」「もう少し強く」などという感情の表現も、人によって千差万別。思いを言葉にしたときに、第三者にそれを言葉で伝えるのは難しい。伝えるためには、自分の感情を具体的に分解して、それを言葉で表現する努力が必要になる。文学作品であれば、情景描写の中で主人公の気持ちを表し、そのときどきの主人公などの感情を伝えようとする。これは大人であっても、子どもであっても同じ。

ただ、子どもは、成長過程にあるから、小さい頃から言葉を獲得していく過程の中で、無意識のうちに概念を身につけ、言葉を使ってコミュニケーションを重ね、第三者に自分の気持ちなどを伝えようとする。どのようにして、子どもたちが言葉を獲得し、自分の中に「言葉の森」を豊かに構築していくのか。この「言葉の森」の獲得の個人差は大きい。

もし、小学校低学年の子どもたちが、生育過程の中で十分に言葉の獲得ができないまま、学校に来ていたとしたら、先生の話の多くが理解できないままになる。先生方が、子どもにあわせて個別指導ができれば、このような傾向は、1年もあれば十分改善されて成長を保障できるようになるとも思われる。しかし、教室に入る先生が1人ないし2人で10人以上の子どもたちをみる、もしくは5人以上の子どもたちをみるとなると、たちまち言葉を十分獲得できていない子どもを伸ばすのは難しくなる。

日本の教育はこういう壁に突き当たりつつある。家庭環境の中で会話が失われ、テレビやスマホが子育ての道具として、子どもに与えられ、そのようなデバイスと向き合う時間が圧倒的に多い子どもは、十分に「言葉の森」を構築できないまま育っている可能性がある。

こういう傾向を教育の専門家は深く分析して、学校のカリキュラムや教育内容を再構築する必要がある。


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雑感

Posted by 東芝 弘明