東京オリンピック、中止の決断を
誰も責任を取らない。誰も判断しない。これが第二次世界大戦の時の日本の首脳部が取った態度だった。戦争遂行の責任を追求しても、組織の決定に対して個人的には反対だったが、立場上反対できなかったという人が首脳部には多かった。
当時の戦争遂行の組織体制は、大日本帝国憲法上規定のない組織によって運営されていた側面がある。東條英機は、1941年の太平洋戦争突入当時内閣総理大臣だったが、内閣総理大臣の権限は憲法上規定のないものだった。真珠湾攻撃の決定に内閣総理大臣は加わらない仕組みだったので、東條英機が作戦を知ったのは、作戦が決定され遂行されたあとだった。
大本営という戦争遂行の最高の統帥機関は、憲法上の規定はなかった。「大本営は、大日本帝国陸軍および大日本帝国海軍を支配下に置く、戦時中のみの天皇直属の最高統帥機関」(ウキペディア)だったが、日中戦争以降は、事変でも設置されるようになった。設置の根拠は「大本営令」だった。これは、国会で法律として制定されたものではない。
「大本営会議は天皇臨席のもと、陸海軍の統帥部長(参謀総長・軍令部総長)、次長(参謀次長・軍令部次長)、それに第一部長(作戦部長)と作戦課長によって構成された。統帥権の独立により、内閣総理大臣や外務大臣ら、政府側の文官は含まれない。また軍人ながら閣僚でもある陸軍大臣・海軍大臣は、軍政との関連で列席できたが、発言権はなかった。なお、大元帥たる天皇は、臨席はしても発言しないのが慣例の御前会議とは対照的に、細かい点まで意欲的に質問することがあり、会議が形式的に流れるのを嫌った節がある。」(ウキペディア)
国会の審議に根拠を持たない戦争遂行の仕組み。戦争は天皇を最高の責任者として、統帥権の独立という規定のもとで、国会とは独立して組み立てられていたという形、すでにこの仕組みに一体誰があの戦争を遂行していたのかという曖昧さが生まれる土壌があった。
戦争遂行の最高責任者は天皇であった。陸軍と海軍を統帥していた天皇は、戦争遂行に対して憲法上明確に責任があったが、天皇に責任が及ばないような配慮がなされていた。しかし、個人責任が徹底的に追求されない仕組みが施されていたとしても、歴史の流れを検討すれば、天皇に戦争遂行の責任があったことは避けられない。しかし、GHQの思惑もあり戦後東京裁判で天皇の戦争責任は追求されなくなり、戦争の責任がどこにあったのかが、なかなか明確にならない結果となった。東京裁判では7人の死刑が確定したが、日本における組織の在り方と個人責任とは何かを研究する上で、東京裁判は興味深い内容をもっていると思われる。
時代が下って現在はどうか。東京オリンピックを行うかどうかの判断は、東京都にあるだろう。しかし、このことが日本では明確にならない。
「東京都は、大会を開催する都市として、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(以下「大会組織委員会」という。)が行う大会準備を全面的にバックアップするとともに、大会中の都市の活動を維持し、大会後にオリンピック・パラリンピックの有形無形のレガシーを残すなどの取組を行っています」──これは東京都オリンピック・パラリンピック準備局のホームページに書かれている文章だ。
では政府はどういう態度を取っているのか。「新型コロナウイルスの感染拡大を受け東京オリンピック開催の是非を判断する期限に関する質問主意書」というものがあり、「東京オリンピックを開催するか否かを最終的に判断する権限は、IOCと我が国のいずれにあるのでしょうか」という問いが出されている。こういう問いが内閣に出されること自体に日本の特徴がある。この質問に対して政府は、「お尋ねの趣旨が必ずしも明らかではないが、国際オリンピック委員会が定めるオリンピック憲章において『オリンピック競技大会に関するあらゆる疑義について、IOCは最終的な決定権を有する』等と規定されているものと承知している。」と回答している。最終的な決定権がIOCにあるというのは確かだが、それはあくまでも最終的な決定権であり、開催都市が開催できない旨を決定してIOCに報告し、IOCはこの報告を受けて態度を決めるということだ。しかし、日本政府というのは、こういう指摘は行わないでIOCに最終的な決定権があるとだけいう。
私たちはこういう曖昧な国に生きている。誰が判断するのかがいつも曖昧な国。どの機関が判断するのかさえ語らない国。日本は、戦前戦争を遂行した勢力の流れをくむ人々が今も政治の中枢にいる。当時の戦争遂行さえ曖昧だった仕組みが、オリンピックにも引き継がれている。
こういう無責任さは、第2次世界大戦後、新しい憲法下で一新されるべきだった。個人の尊厳の尊重という日本国憲法第13条の規定を一番大事にして国づくりを行っていれば、組織の責任と個人の責任は明確になっていったはずだと思う。アメリカがつくった地方自治体の自治体の長は大統領で住民から選ばれる。議員も住民から選ばれるという仕組みは、個人責任が明確になる形をとっている。自治体の長である知事が、最近自由闊達にコロナ問題で考え方を述べているのは、こういう仕組みの上に立っているからだ。
オリンピック開催の是非を決めるのは東京都。ここが判断して関係機関に報告して承認をえる。この形でことを進めればいい。東京オリンピックは中止を。コロナ対策として求めたい。
しかし、第二次世界大戦好きですねぇ~オリンピック開催と結び付けるとはさすがに常識外れというか、理解不能です。
東京オリンピックを中止すると、来年の北京冬季五輪も中止になる。そうすると・・・
現状上でさえ、北京五輪がなにかとヤバそう・・もちろんコロナもんだじゃなく米国との対立で不安定な状態。つまり東京五輪が中止になると、北京五輪もダメになる要素満載です。
そうなると、世界の状況が不安定になる要因の一つができるのです。
という、政界情勢の読みというか、未来の展望について全く考慮がなしに「中止」を叫ぶ愚かな主張です。
命優先です。コロナウイルスの脅威は大きい。トリノさんの見通しは外れました。オリンピックについての見通しもどうなるかですね。命優先がどうして愚かなのか、教えてください。
リスクとメリットを天秤にかけて、大きいほうを選ぶのが政治家の仕事です。
例えば交通事故の死者は年間3千人程度です。ただそれは死者数だけで重い障害者数は含まれていません。「命優先で車に乗るべきではない。」・・・・という考えと同じなのが、オリンピック中止論です。
たとえが違うと思います。コロナウイルス対策は、一生懸命治療して、命を守っているけれど、医療崩壊が起こり始めている状況にあります。交通事故問題で医療崩壊は起こりませんが、和歌山県のとなりの大阪では、入院の必要な人でさえ病院に入れません。医療機関は懸命に治療していますが、手が届かずに亡くなる人が増えています。こういう状況下でのオリンピックです。海外メディからもオリンピック中止論が出始めています。当然だと思います。
ん?今度は医療崩壊ですか?大本営を持ち出し、命優先を持ち出し・・・今度は医療崩壊?
つまるところ「東京五輪中止」という結論があって、その理由を根拠なく持ち出しただけです。・・・医療崩壊なぁ~・・・・次はなにですか?
何度も言いますが、政治家というのは「リスク」と「メリット」を天秤にかけて大きい方を選ぶのが筋です。
結果を導き出す理由をみつけるのではありません。
大阪は医療崩壊を起こしています。テレビで報道されているとおりです。トリアージを行わざるをえない状態です。入院しないまま亡くなる事態が生じています。
今のコロナの状況を把握できないと、政治はできません。東京オリンピックがどうしてできるのか。国と主催する組織委員会は、できるということを詳細に説明する責任があります。トリノさんには詳細を明らかにする責任はありませんが、開催はできるというのであれば、公表されている情報でこうすれば開催できるということを論じる責任があります。しかし、これはできないと思います。主催者や国は、根拠なく開催できると言っているのですから。
PCR検査を15000人以上に対して毎日行いながら大会を運営することになると言っていますが、この仕組みすら具体的には公表されていません。同時に変更して東京や近隣の協力する自治体の検査は並行して行う必要がありますが、どうなるのかイメージさえ明らかになっていません。
500人の医療関係者によって、この仕組みが構築できるのかも疑問です。そもそも毎日500人(医師100人、スポーツドクター、400人看護師)を確保できるかどうか、見通しは立っていません。
オリンピックでコロナが発生したときの対処方法についても詳細は明らかではありません。全世界から人間が集まってくるオリンピックは、コロナによる変異株の祭典になる可能性もあります。IOCは、選手に対して損害への免責同意書を求めています。これは、コロナに感染しても責任を負わないというものです。
「パンデミックの最中の開催は、まさに意味がない」(ニュージーランド、オタゴ大学、マイケル・ベーカー教授)と思います。