「戦争か平和か」を新成人に語る時代に

雑感,出来事

成人式の式場で
成人式の式場で

成人式の会場には、まだほとんど新成人が入っていなかった。赤い椅子が綺麗に見える。席についてからトイレに出て、戻ってきてしばらくすると、新税人が続々と入ってきた。男子の中に金髪の子や縦半分が白で残り半分が赤という羽織を着た男子もいたが、全体は落ち着いた感じだった。
今回は、自分の娘との比較で考えてしまった。わが家の娘が16歳。4つ違いの男女が成人式を迎えたことになる。
小学校でPTAの役員に加わりはじめ、自分の子どもが低学年だったころに5年生、6年生だった子どもたちが成人を超えつつある。
面影のある子どもがいるかな、と目をこらして見ていたが、記憶の中の顔と新成人の顔は重ならなかった。

年々、こじんまりとまとまっているような感じがする。世の中、管理が行き届いてきて、色々な会議を見ても遅刻するような人はほとんどいなくなった。議員になったときに、時間どおり会議が始まらないという傾向があり、「和歌山時間」というような言葉があった。
最近は、15分前にはほとんどの人が集まるようになっている。
でも、そういうきちんとした面が広がるにつれて、人間の幅も狭くなってきたような感じがしている。

時間に追われているのは、社会だけではない。学校もまったく自由度のないような管理の中にある。その中で育つ子どもたちは、どうしても時間の余裕のなさの中で、小さくこじんまりとまとまらざるを得ないのかも知れない。

式場で新成人を見ながら考えたことがもう一つあった。
現在はたちの若者は、これから先10年間で、最悪の反動的な政治によって、日本が完全に逆戻りのコースに入った場合、十分戦争に巻き込まれる可能性がある。10年という時間の中で、安倍政権が反動的な野望を実現すれば、集団的自衛権が行使され、日本の戦争参戦が実現するだけではなく、特定秘密保護法による言論の監視と弾圧の下で、徴用や徴兵ということすら日程に上る可能性もあるだろう。今から10年後、30歳になる彼らが、戦場に立つというような悪夢が現実化する可能性がある。
そういう時代に現在の若者は生きている。ぼくの娘が成人を迎えるとき、その時の時代が、今以上に反動化していれば、ここで書いたことが、現実味を帯びてくると見ていいだろう。

どこまで自由が押し込められたか、どこまで基本的人権が制限されるようになったか。これは、戦争への道がどこまで進んだかを見極めるバロメーターになる。時代の流れに流されて、流行を受け入れるような空気の読み方をする人になるのではなく、自分の頭で事実を確かめ、自分の道をひらく人間になってほしい。
新成人であるあなた方の世代が、時代の本質を見極められるかどうか、歴史から学んで歴史の教訓を21世紀に受け継げるかどうか。ここに次の時代が、どういう時代になるのかの分かれ道もある。
どう生きるべきなのか。これは、いつの時代にとっても、若者の一つのテーマになってきた。
どう生きるべきか、という問いかけに、戦争か平和かが重なり合う時代にすでに入っている。
あなたの生き方の中に、戦争という言葉を置いて考えざるを得ない時代に入りつつある。どうか、自分の生き方と時代の本質を重ねて生きてほしい。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。(日本国憲法前文、冒頭部分)」
日本政府が、この憲法前文の冒頭のこの規定を守る限りにおいて、戦争は絶対に起こらない。日本国憲法は、国民主権が保障され、貫かれるなら国家による戦争は起こらないことを自覚して、この憲法を作っている。この規定をひっくり返すためには、国民を国家の管理下に置く必要がある。
あなたが国家のことを忘れても、国家はあなたのことを忘れない。
これが、新成人に贈る言葉になる。


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Posted by 東芝 弘明