伊都地方PTA総会

未分類

朝10時から高野山小学校で伊都地方PTA連合会総会があったので参加した。高野山に登る途中から見たことのある軽四が走っているなと思いながら後を着いていくと、小学校の校庭に入っていったので、もしやと思っていたら笠田小学校の校長先生だった。
到着時間は朝の9時09分だった。受付までまだかなり時間があったので、2人で連れ立って喫茶店に行き、コーヒーを飲んだ。
大きなウインドウがある喫茶店はまだ準備中だったので、窓越しにコーヒーを飲むポーズをとると、OKのサインが出たのでお店の中に入った。
「一番最初のお客さんなので、コーヒーがぬるかったらおっしゃってください。交換しますから」
細身の女性のママさんがそういいながらコーヒーを先生の前に差し出した。
ぼくのコーヒーもしばらくして届き、飲み始めると見たことのある男の方が入ってきた。
「おはようございます」
少し大きめの声を出してあいさつをすると、「おー、これは、これは」
そう言ってぼくたちが座っているテーブルに近づいてきた。笠田に住むKさんだった。
高野学の講義を受けるために高野山に来たのだという。kさんは高野山大学へ、ぼくたちは高野山小学校へ。こういうことだった。
歩いていると山内の空気は冷たかった。今日は気温が低い。
体育館も寒かった。
当たり障りのない総会が終了し、11時15分ごろから記念講演が始まった。
地域コミュニティーの形成を促進するための講演だった。最初の携帯電話と子どもたちの話は衝撃的だった。こういう状況がある中で、地域コミュニティーをつくることが大事になっているという話だったが、話は次第に、国や和歌山県が進めている方針の説明になってきた。
こういう講演を聞きいているといつも感じることがある。
子どもの問題や教育の問題に欠かせないのは、社会問題としての視点、家庭の教育問題としての視点もあるが、同時に文部科学省が進めている教育を問い直す視点も必要になると思う。しかし、教育委員会に関係する方々の話は、社会や家庭に課題があるので、国や県は現在このような方向で取り組みを進めているという話になる。
しかし、国や県の方針は、社会問題や家庭教育問題などに対応する方針として、本当にベストなのだろうか。実際は、多くの教育関係者から制度や方針については、さまざまな批判にさらされ、疑問も投げかけられている。しかし、こういう研修会では、そう言う疑問に一切答えることなしに、対策や方針がすべて「是」として説明される。
学問は、たえず自分を見つめ直す視点を含む。私たちがとってきた方針が本当に正しかったのか、こういう問い直しの中で、自分たちの方針を検証し直しながら話を進めてくれたら、説得力が高まっていくと思うが、文部科学省や県の方針に対する検証や問い直しが全くないので、話が進んでいくと次第に説得力が欠けてくる。
昨年の尾木直樹さんの講演で、尾木さんは、教育にとって一番大切な観点は批判的精神だと語っていた。この批判的精神は、すべての物事をなぜ、どうしてという視点で問い直すということを含む。今日の講演を聞きながら、教育委員会や文部科学省には、自らおこなっていることを批判的に検証するという精神がないということを感じた。
今回の講演でいえば、携帯電話が子どもたちの生活にどのような危険性をもっているのかという話は、驚きに満ちたものだったが、このような状況を克服するために地域コミュニティーをつくるよとによって、地域社会で子育てをおこなうことが問題解決になるという論立てには、かなり無理があると感じた。
携帯が抱える問題解決にとって、地域の中での子育てをおこなうというのは一つの大事な視点にはなるだろう。
しかし、携帯の問題は、もっと深くて広い視野で検討や討論が必要になってくる。
子どもと親が携帯の使い方について、ルールを決めるという問題一つをとってみても、簡単なことではない。子どもの自主性を尊重し、信頼しながら携帯の問題について話をして、子どもが納得するような自主規制が培われていかないと有害サイトから子どもを守れないだろう。厳しいルールをつくったり、禁止したりして問題が解決するわけではない。
また、子どもが携帯という道具とどう関わってくのかという課題や、日本の携帯サービスのあり方そのものを問うような検討も必要になる。
ぼくは個人的には、現在の携帯のようにありとあらゆる方向に多機能に機能を付加していくことそのものは、止めるべきだと思っている。
携帯のサービスの根底には、資本主義の商品としての儲け主義が横たわっている。サービスを多機能化していくことを自由にして、有害なものを規制するという方法で対策を講じても、すべてをカバーすることはできない。携帯電話でできるのは、電話と1対1のMail。こういうぐらいの機能に限定した方が、社会にとって良いということになるのであれば、機能に制限をかけることが必要だろう。
インターネットを自由にしたい人は、携帯電話ではないジャンルを作ってそういう端末(iPhoneのような)を使うというようにして、子どもたちは成人を過ぎないと買えないなどの法的ルールをつくればいいと思う。
携帯問題には、このような個別的な問題がたくさん横たわっているのに、こういう問題はほとんど触れずに、地域コミュニティーへ話をもっていくのは、少々乱暴だった。
講演時間が延び、12時30分になったので、ぼくは会場から出て行かなければならなかった。最後まで講演を聴けなかったことは非常に残念だった。
地域コミュニティという発想自体は、悪いことではなくいいことだと思っている。大事なのは、地域の自主性だろう。仕組みだけつくってもうまく機能しない。
形から入って作られたものは、成功事例とよく似るものだが、似て非なるものになるケースの方が多い。
大事なのはハウツーではなく、成功事例の中に流れている精神だ。形から入るのではなく、その事例がどうして成功したのか、みんなの自主性を支えていた共通認識は何だったのか。運動のプロセスから学ぶことが大事になる。
次に必要なのは、自分たちでつくる場合、何を大切にすればうまく行くのかという視点だろう。自分たちの組織でことを起こす場合、何をどうすれば組織が発展するのか、そのことを考えることが一番必要なのだと思う。
そういう成功の核は、自分たちの組織の中にあるのであって、形を真似してもその形の中に大切な核が入っていないことの方が多いだろう。形のすべてを否定するものではないが、形を真似したら内容がともなってくるということでないことは明らかだろう。
なぜ、和田中の地域本部がうまく機能したのか。以前参加したシンポジウムでは、こういう話があまり深められていなかった。
本日の講演では、この辺のことがどう説明されたのか。
ぼくの興味はここにあった。
しかし、会場を後にしなければならなかったので残念だった。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

未分類PTA

Posted by 東芝 弘明