「人間失格」との再会

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太宰治の「人間失格」の朗読を車の中で最初から最後まで聞いた。女性の澄んだ声による朗読だった。ポッドキャストの配信を受けたものだ。
ぼくが、この小説を読んだのは27歳の頃だったように思う。その頃のぼくにとって、この小説は恐ろしく、「10代の頃に読まなくて良かった」というのが最初の印象だった。
毎日新聞主催の第55回青少年読書感想文コンクールで県最優秀作品である「『人間失格』を読んで」が最近、和歌山県版に掲載された。中学3年生の女の子の「人間失格」への感想文は、あの恐ろしい作品世界にのめり込まないで、「人間失格」に対して、人間への信頼を対置して書かれていた。
「もう一度『人間失格』の作品世界に触れてみたい」
この感想文が、ぼくにこういう思いを抱かせた。
感想文を読んだ次の日、久しぶりにポッドキャストの番組を眺めていると、「人間失格」の朗読があるのを発見した。
ぼくは、この長い朗読を聞いてみることにした。
赤旗の新聞配達や橋本市や和歌山市内であった会議の行き帰りを利用して聞き終えたのが2月7日の日曜日だった。
ほぼ23年ぶりに「人間失格」の世界に漬かってみたが、今回は、葉蔵の手記の中にある「自分」(葉蔵)にぼくの感覚が絡め取られることはなかった。
女性の澄んだ声による朗読だったせいだろうか。
それとも、孤独と向きあっていた27歳の自分と家族に囲まれて生活している50歳直前の自分との差が「自分」への共鳴を生み出さない力になったのだろうか。
中学3年生の女の子の感想文は、27歳の時のぼくの心情との落差にショックを与えるものだったが、今回は、10代の世代が読んでも、中学3年生の彼女のように、決然と「人間失格」の作品世界に自分の考えを対置して、踏ん張れる人もいるだろうという感じがした。
しかし、同時に、27歳の頃よりも作品世界に距離を置きながらも、今の時代、葉蔵のように周りの人間が信じられず、絶えず恐怖に支配されながら、非常に繊細な感覚の中に生きて、疲れ果てながら「いい子」を演じ、自分を傷つけ続けている子どもも多いような感じがした。
そのような心境にある人々にとって、「人間失格」は、その人の心情を何倍にもして映し出す力をもった作品であるかも知れない。
太宰治の「人間失格」は、昭和の初期を描きながらも今日に生きている。今日性に富んでいるのは、人間を信じられなくなった人の心情を克明に写しとっているからだろう。
「人間失格」は、話の最初に3葉の写真について印象を語る「はしがき」があり、最後に「あとがき」が置かれている。「あとがき」には、作家である私が葉蔵の手記と写真を京橋の元スタンド・バアのマダムから借り受ける経緯が書かれている。
この作品は、作家と葉蔵とを分離することによって、作家が狂人の手記を紹介するという形をとっている。しかし、この作品は、自伝的な要素を含んだ作品だと評価されてきた。この評価は、作品世界に入っていくと実感を伴って感じられる。そう感じるのは、小説の手記の部分に心情が溢れているからなのかも知れない。
あの作品世界に共鳴したことを恐ろしいと感じたぼくは、23年経って、「人間失格」とはかなりの距離を置いて読める心情に変化していた。
小説は、時間を隔てて読めば、読者に全く違った顔を見せてくれる。作品とは全く関係のないところで生活し、体験を積み重ねたことの意味が、同じ作品を読むことによって、二重写しのように鮮やかに浮かび上がる。時を隔てて作品を読み返す行為は、その作品を読んだ時代の自分に出会うことである。そして、その当時の自分と対比する形で現在の自分を再認識することでもある。
作品の中で一番印象に残ったのは、喫茶店の経営者になっていたスタンド・バアのマダムの言葉だった。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
葉蔵の必死の努力は、本人の心情と大きく乖離していた。その怖さが、この言葉には込められている。さらにこの言葉は、葉蔵の本当の姿を映しとったものとして語られているようにも思われる。
この言葉は、「はしがき」の一番最後、作品を締めくくる言葉として置かれている。
鮮やかな印象と余韻を残す言葉が置かれて「人間失格」は完結している。その鮮やかさに心が動く。
しかし、それでもなお、
「恐ろしくはない。たいしたことはない」
それが、「人間失格」に対して、胸の底からわき上がってきた一番の印象だった。
身構えることなく、肩に力を入れないで「人間失格」と向き合えた。それが、作品と再会して得た収穫だった。
人間失格 (集英社文庫)/太宰 治

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Posted by 東芝 弘明