コンピューターの未来

雑感

FacebookでT君とやり取りをしたのが面白かったので、ぼくのコメント部分をブログに載せておきます。キャッチボールをして書いた文章なので、相手の発言が載っていませんが、それでも一応、読んで意味が通っていると思いましたので、読み通せるものになっていると思います。

コンピューターが計算能力を高めていけば、限りなく人間に近い反応をするようになるのは間違いないと思います。
そもそも、人間の意識というのは、物が刺激に対して反応するのと同じ作用が複雑化したものです。onとoffの組み合わせで成り立っているコンピューターは2進法で成り立っていますが、二進法でもすべての物事を書き表すことができます。デジタルなギザギザ曲線でも精度を極端に高めれば、人間の肉眼では曲線にしか見えないようになります。アナログ曲線にデジタル曲線は限りなく近づいて行くということです。
将棋も現在のコンピューターなら、ありとあらゆる可能性を人間の頭脳よりも素早く計算して、よりよい一手を選択することができます。その点では、明らかに人間の脳みそよりも回転が速いと思います。

ぼくたちが使っているMacも、一昔前のコンピューターをはるかに凌ぐ性能を持っています。アニメではコンピューターグラフィックスで制作した動画が、なめらかに動いていますが、これはすべて複雑な計算式に置きかえることができるものであり、ぼくたちが想像している以上にものすごく膨大なデータによって描かれています。
過去の宣伝にMacがついにスーパーコンピューターになったというものがありましたが、その当時よりもはるかに凄いコンピューターを日常的に使用しているということですね。

コンピューターに勝るのは、人間の思考力です。おそらくPDCAサイクルでいえば、この考え方をしている限りはコンピューターに勝てないと思います。しかし、未来をどう変えるかということをイメージし、計画を立て、状況をリアルに分析しながら手だてを尽くすというようなやり方には、コンピューターはまだついてこられません。このような分野は、人間の活躍すべき領域として残されています。豊かな思考力を助けるためにコンピューターの計算力が極めて役に立つ。現在の状況は、このようなものだと思います。

ぼくのMacにオセロのソフトが入っていて、真ん中のレベルに設定して、勝負するんですが、100回対戦して1回勝てるかどうかです。最高レベルにしたら全く歯が立ちません。コンピューター自身に任せたことによって、パラダイムシフトが起こったというのが、すごいですね。

昨年、哲学の講義をするために、人間の意識とは何かを調べていると、植物にも意識があるという研究にタッチできました。植物は、水や光に対して能動的に反応を繰り返していくということです。意識の根源には、外界に対する反応というところに根源があります。そういうことであるなら、徹底的に意識を唯物論的に探究していけば、人間の手で人間の複雑な意識という「もの」をもっと深く把握できるようになると思いました。人間の手で人間の意識を再現できるようになれば、それをコンピューターに移すことも可能になります。しかし、ここまで行くためには、かなりの歳月が必要になると思います。

全ての物事は、原子の構造がそうであるように1つのものの中に相反する2つの傾向(場合によれば2つでないこともある)が1つに合わさって成り立っています。原子が陽子と中性子、電子によって成り立っていて、陽子は正の電気的性質を持ち、電子が負の電気的性質を持っているということにそのことは端的に表れています。
この関係が不安定というか、他の原子に移行する性質を持っているのがウランです。
「アクチノイド元素の一。元素記号 U 原子番号92。原子量238.0。天然にはピッチブレンド(瀝青(れきせい)ウラン鉱)カルノー石などの鉱物に含まれる。その同位体組成はウラン二三八が99.3パーセント,ウラン二三五が0.7パーセントのほか,ウラン二三四が微量に存在し,いずれも半減期の長い α 崩壊をする。ウラン二三五と二三三(人工放射性核種の一)は連鎖的核分裂反応をするので核燃料となる。ウラン二三八も中性子を捕獲して核燃料のプルトニウム二三九となる。光沢のある銀白色固体の金属で,化学反応性が高く,粉末にすれば空気中で自然発火する。ウラン二三五とプルトニウム二三九は原爆に用いられた。」(大辞林)

相反する2つの傾向が1つの物質の中に存在し、そのことによってその物質が成り立っている。この基本的な関係が変わるときに物質の性質も変化するという物質の運動の根源に関わる関係を、おそらく現在のコンピューターはまだ書き表すことができないと思います。
この物質の存在そのものにある弁証法的な関係をコンピューターが把握できるようになるには、まだかなり長い歳月が必要になると思います。

一人の人間の脳の働きをコンピューターに置きかえるためには、かなり大きなビルのようなコンピューター(もちろんネットワーク型)が必要になるというふうに書いていた文章を読んだことがあります。スーパーコンピューターができている現在でも、脳の働きを再現するには、それだけの機械が必要になるということは、もっとコンピューターの飛躍的発展が必要になるということですよね。
研究としては、素粒子の性質を活用して、「ゆらぎ」を把握できる量子コンピューターが実現すれば、物質の弁証法的な関係を把握できるようになると思います。
そうなれば、かなりのことをコンピューターで再現できるようになり、コンピューターに感情のようなものが生じる可能性もあると思います。

しかし、量子コンピューターができたとしても、人間の社会がどう変化するのかという問題に対し、コンピューターは答えを出し得ないと思います。社会に働いている全ての要素を把握して、その力関係を再現できないからだと思います。
極めて単純な物理があつかっている物質でさえ、たとえば電子の性質でさえ、人間は極め尽くすことができないということだと思うので、複雑に絡み合っている人間社会の構造を把握しきることは、不可能だと思います。

コンピューターは、間違うことができません。つまり答えの見えない問題に対して、答えを出すことができないということです。コンピューターは、コンピューターが把握している情報の中で最善の答えを出しているので、情報量が少なければ少ない情報で出す答えになります。
レベルの低いオセロゲームであれば、簡単に勝てるというのは、こういうことだと思います。
しかし、人間は、答えが見つからなくても、行動を起こし、変化を起こし、そのプロセスの中で考えるということができます。この域にコンピューターが足を踏み入れるようになれば、人間にかなり近づくでしょうか。コンピューターの性質上、そういうところまで発展できるのか、という点ではコンピューターの性質上、限界があるかも知れません。人間には忘れるということができます。これもコンピューターにはできないことです。この違いもかなり大きいと思います。

将棋は、9×9=81マスの中で20×2の駒がどう動くのかという対戦型のゲームであり、1つ1つの駒の動きについても、厳格なルールが定められています。2次元のゲームなので、相手陣営に対する空爆や地雷戦はありません(笑)。自分や相手の駒を乗り越えて駒を進めることができるのは、唯一桂馬だけです。相手に駒を取られたら、相手の立場に変わって攻めてくるというのは、日本の戦国時代のたたかいを彷彿とさせるものがあります。王将以外は死なないという点も面白いですね。

こういう将棋は、将棋盤の上で無限の世界を繰り広げます。無数に変化する次の一手、その次の一手という中に無数の組み合わせがあります。その中で判断をして将棋を指すのですが、人間の社会は、憲法や法律という定めはあるものの、法を破る掟破りが多々横行し、予測不可能な事態が起こります。テロとか地下鉄サリン事件とか、突発的に発生する無差別通り魔事件とか、台風、地震など、それぞれが発生するメカニズムには、必然的な動きはありますが、それらが相互に作用し合って、複雑な連鎖を形成するので、自然現象や社会現象のありとあらゆる全てのものを把握して、それぞれの必然的な動きを把握し、それがどう絡み合っていくのかを熟知して、未来を予測することは、どんなに社会が発展しても、コンピューターが発展しても予測不可能だということです。

一人の人間の行動という単純な動きにしても、「なぜあなたはあの時、あのような行動を取ったのか」と問われると「自分でもよく分かりません」ということが多々あり、それが原因になって、重大な過失、事故が発生する場合も多いので、社会を構成する個の動きでさえ、予測不可能な側面があります。もちろん、科学全般が発展すれば、そういう問題もさらに解明が進むことは考えられますが、人間は、どこまで行っても無限につながる全ての要因を把握しきることはできないし、新たな解明が、次の新しい問題や解明する課題を照らし出すので、終わりはないと思います。

自然界の最も単純な物質をあつかっている物理学の世界において、事物の運動には、必然とともに偶然が厳然として存在していて、事物の運動は、必然と偶然の絡み合いの中で変化することを認めざるを得なくなっています。
アインシュタインは、量子力学に対し「神はサイコロを振らない」と言いましたが、この言葉は明らかに誤ったものでした。素粒子の運動を研究すればするほど、Aという物質が、同時に他の場所に存在することを認めざるを得なくなっており、物質の存在が、グラフ上の点では表せなくなっています。その物質が同時にどこに存在するのかは、偶然に左右されているので、必然としては証明できないということです。明らかにエネルギー値が低いのに、飛び越えることのできないハードルを飛び越えてしまう現象も存在しています。
物質の最も基礎的な運動でさえ、こういう不確定性原理によって成り立っているので、その物質のさらに複雑な組み合わせである分子による化学反応、生物における変化、反応となると分からないことだらけ、ということになります。

人間社会は、物質の運動が階層的に絡み合って存在しているし、自分自身を自覚した感情と意識をもった人間が社会を形成しているので、そもそも社会科学という分野は、把握しきれない諸運動を把握しようとする科学ということになります。

歴史学は、無数の可能性のあった未来に対し、必然と偶然の絡み合いの中で選択され、事実として残された記録や歴史的痕跡(資料)に基づいて、因果関係なり、どうしてそういう風に変化したのかを読み取ろうとする学問なので、よく言われるように歴史に「もし」はありえないということで、研究の対象がわりと把握しやすい分野ではあると思います。しかし、残された痕跡にしても、それは極めて膨大なものになるので、それらの資料を読み解いて、過去の歴史の動きを人間が把握して、時代の動きを読み解いていくには、やはり大きな困難がともないます。過去の確定した歴史でさえ、そこには無限が存在しているということだと思います。

このような状況だとは思いますが、量子コンピューターが完成すれば、量子の性質を利用して、必然とともに偶然をかなりの程度把握できるようになると思います。そうすれば0と1という二進法には収まらない把握をコンピューターが行うようになるので、コンピューターによる解析が、より現実に近いものに飛躍的に変化するようになると思います。人間の認識は、一度に全ての事物を把握するのは不可能ですが、では人間は客観的な世界である意識の外の事物を把握することができないのかといえば、そこには壁はないと思います。コンピューターの発展も、さらに進んでいけば、人間の認識と同じように乗り越えられない壁など存在することなく、把握できるようになると予測されます。しかし、どこまで行っても事物を解明し尽くすということはできない、一つ一つ解明すれば、次の新しい解明すべき課題が目の前に立ち現れてくるということだと思います。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感Mac

Posted by 東芝 弘明