従兄の葬儀

出来事

2時頃眠って、朝5時40分頃起床した。
短い眠りだったが、かなり深く眠ったのであまり眠たくはなかった。
朝ご飯をみんなで食べて、笠田公民館に帰ってきたのが10時30分頃だった。
笠田公民館についてしばらくすると、妹から電話があり、ぼくの家に着いたと言った。予定よりもかなり早い到着だった。

昨日の夜、従兄のTさんが21日の朝、亡くなったと連絡があった。通夜は行わず22日に葬儀を行うという。
葬儀のために妹と2人、橋本に行った。カーナビが目的地を正確に案内してくれなかった。「案内を終了します」という音声で車を停めると、道は行き止まりだった。施設の姿はどこにも見えなかった。迷ったあげく5分前にようやく会場に着いた。

葬儀は、施設によるものだった。ぼくの同級生の従兄が喪主だった。亡くなった従兄とは11歳離れている。従兄の家庭の両親はすでに亡くなっているので、亡くなった従兄と最も近しい親戚はぼくと妹だった。
新城の方々が10人ほど参列してくれていた。施設に入ってずいぶん時間が経つのにと思うと頭が下がった。

葬儀の後、葬祭場に行き、納骨に立ち会った。2時間弱待つと案内の女性が待合室に現れた。
案内された部屋に入ると人間の姿をした骨が台の上に横たわっていた。かなりの熱気が空気を通じて伝わってくる。
「まだ台が熱いので気をつけてください」
担当の方が注意をうながした。
人は、わずか2時間弱でカラカラに乾いた骨だけになる。
足から頭まで、できる限り体のいろいろな部分を骨壺に入れる。長い箸で遺骨を入れていく。骨は軽い。おそらく強く握ると粉々になるだろう。
納骨の作業は、言葉を発する人もなく行われた。悲しさが乾いているような感じがした。

亡くなったTさんは、ぼくが物心ついた頃には、電気屋だった。一度、ぼくが小学校4年生の時に、従兄の一家は、岡山県倉敷市に転出した。Tさんは、ぼくを岡山まで遊びに連れて行くために迎えに来てくれ、また送ってきてくれた。岡山の倉敷で過ごした何日間かは、いくつかの思い出が鮮明に残っている。
選挙の時に運転手をしてくれた。30歳の時にはじめて選挙に出たときは、ぼくが育った新城にどうしても最終日連れて行きたいと言って、ぼくを宣伝カーに押し込んだ。

ふり返ると、思い出が断片的によみがえってくる。

妹を岩出まで送った帰りに娘と一緒に打田のウエイに立ち寄った。夏休みの宿題用の本と2冊の小説を娘は買い、ぼくはTwitterの本を1冊買った。
夜7時からは、「いこら」の会議があった。Blogを書いていると同級生から電話があった。

なんだか、変化に富んだ1日だった。


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出来事

Posted by 東芝 弘明