橋本にビラまきに 2005年4月28日(木)

出来事

午前中に役場と郵送読者の配達の準備をして、11時30分頃から役場に配達に行った。12時10分頃までかかって6割ぐらい配達を終えた。配達途中に呼び止められ、広域のごみ処理の方針が見直されて、プラスチックごみの分別がおこなわれるようになったと伝えられた。
ようやく、建設的な改善の一歩がはかられたようだ。
次の問題は機種選定だと思う。
国は、溶融処理をおこない、最終処分地に入れる灰を減容しなければ、建設補助金を採択させないという方針をとってきた。この方針は、法的な規制ではなく、環境省の課長の通達によるものだ。法的根拠のない方針に多くの自治体が従ってきたのは、建設補助金がもらえないと焼却炉の建設が困難になるからに他ならない。
しかし、この国の方針は、昨年から少しずつ変化し始めている。少なくとも、ストーカー炉を採択しても、場合によっては補助金が下りる可能性が出てきているということだ。
変化が生まれてきた理由は、溶融処理施設の相次ぐ爆発事故、高コスト問題、環境をいちじるしく汚染する疑いがあること、ダイオキシン対策は、溶融処理でなくてもできる等々が見えてきているからだと思われる。
広域のごみ処理施設の検討をおこなうときに必要なのは、ストーカー炉と溶融処理(ガス化溶融炉や灰溶融施設)の両方を比較検討するということだ。
まじめに検討すれば、自ずと結論が出る。

昼から橋本市のビラまきにいった。まいた地域はしらさぎ台、胡麻生地域、紀見地域の一部だった。写真は、開発された新興住宅地の少し下に広がる農村地域である。この地域は、昔ながらの橋本市の田舎だ。民家は一軒一軒の間隔が広く、配布するのに時間がかかる。どれぐらい奥まで民家が続いているのだろうと思いながらビラを配った。道はどんどん奥に続き、民家はパラパラと点在していた。メイン道路も狭く、大型の乗用車同士だと対向できない感じだ。かなり長い時間、ビラを配ったが、ほとんどこの道には車が通らなかった。高台には都会の住宅街があり、その周辺には昔ながらの橋本の田舎の風景がある。このコントラストを奇妙に、同時におもしろく感じた。
小学校区は、城山小学校区だから、田舎の子どもと都会の子どもが入り交じる学校になるということだろう。子どもたちがお互いにもっている文化をどちらも尊重して交流しあえたら、おもしろい学校運営ができるかも知れない。
───だけど、現実の実態を知らないで想像でものをいったらしかられそうだ。
5時前に事務所にもどり、残っていた日曜版を役場に配りに行った。
JR福知山線の事故の犠牲者は、106人にのぼった。運転手も遺体で発見された。本日の「赤旗しんぶん」の3面には、2人の運転手の方へのインタビューが載っていた。その内の1人は、福知山線で運転している方だった。R300の右カーブは抜けるとすぐ左カーブに入っていくという。右カーブの次の左カーブの制限時速は60キロ。仮に右カーブを108キロで抜けたとしても次の左カーブで脱線する危険がある。運転手の方はそう語っていた。また、1分半遅れたら、たとえ高速運転をおこなっても、次の駅までに遅れを取り戻すのは無理というコメントも載っていた。
現場を知る運転手の話として重みがあった。
スピード競争のなかで、起こった悲劇は、他の路線でも起こるかも知れない。事故後、明らかになってきた事実を確認するたびにこういう思いがふくらんでくる。


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出来事

Posted by 東芝 弘明