国保会計の分析を試みた

出来事

財政分析の入力を終えたので、国民健康保険会計の分析に進んだ。大阪社保協の寺内順子さんが作っていた分析表の枠組みで、かつらぎ町の決算の10年間を入力するために合併後9年間の決算の指標をコピーするために議会事務局に行った。
役場の職員の方々は、日々デスクワークをしているので、事務処理能力が極めて高い。コピーを取る動作にもムダがない。事務労働者の能力の高さというものに、ほれぼれするときがある。
必要な資料をコピーして、車に乗ったところで、国保会計の基金の状況を把握していないことに気がついて、担当者のところに足を運んだ。基金残高の推移が欲しいというと、2分程度待っていると資料が作成されて出てきた。Excelへの数値入力の速さは、芸術的だった。ぼくとは大違いだ。

ぼくといえば、えっちらおっちらかかって、寺内順子さんのフレームに従って、数値を入力した。数字をみて分析する作業は、一般質問の組み立てなどによって鍛えられているので、入力し終わると、必要なグラフを幾通りかこしらえて、傾向の分析に入っていった。こういうところまでくると、本領発揮という感じだろうか。

差異という言葉がある。AとBを比較検討するところから物事は始まるが、経年的に物事を把握するためには、表計算ソフトが非常に役に立つ。グラフ化は、基本的な表さえ出来上がれば、さまざまなグラフを作ることができる。今のソフトは、ワンタッチでグラフが出来上がる。最も基礎的な表ができれば、その表からさまざまな表を組み替えながら作成し、グラフ化する。この作業そのものが分析と一体のものだ。グラフ化というのは、マルクスの言葉を借りていえば、「運動の中で、したがってまた経過的側面からとらえ」ということに他ならない。時間とともに変化してきたものを数値で把握し、グラフにする。
物事は、すべて時間という運動の中にある。時間というのは、物事の運動の仕方に他ならない。カップヌードルは、熱湯を注いでも1分では柔らかくならない。3分かかる。柔らかくなるのに必要な運動が3分という時間で計られるということだ。アインシュタインは極めて正しい。

経年的に数値をおさえていくと、今まで見えていなかったものが見えてくる。物事が変化してきたものが時間の中に折りたたまれている。
今回は、結論を得て、自分自身、心底驚いた。現在の国保会計の仕組みで言えば、医療費が増大すると年度の途中で、会計が破たんするような時限爆弾を抱えているのではないだろうか、という思いに立ち至った。
和歌山県下のいくつかの自治体で、医療費の増大によって、基金を食いつぶし、なおかつ資金不足に陥る事態になっているが、そういうことが引きおこされる構造的な欠陥が国民健康保険会計にあるというのが、ぼくの結論だった。
なぜ、こんなことになっているのか。さらに追求していく必要がある。追及の前に「追求」が必要になっている。

さて、明日は決算委員会の最後の日。ぼくが作成した国保会計に対する指摘事項。みんなとの関係で合意が得られるかどうか。それは明日の会議にかかっている。明日というが今日だ。現在時刻は3時14分。遅くなった。肩凝りがひどい。

そうそう、今日は新しいOfficeを買った。Office soloというもので、月1274円。インストールも簡単だった。Excelを使うために買ったようなものだ。立ち上げてみて、セルの書式設定をしようとして、メニューを開いて実行した。すると強制終了(クラッシュ)した。何度やっても同じだった。使いものにならない。お金返せ。と言いたい。


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出来事

Posted by 東芝 弘明