自分の言葉で語ることについて

雑感

日本共産党の議員として、自分の言葉で語ることが強調されている。ぼくは、普段から自分の言葉で自由にいろいろなことをしゃべっていると思っている。
党の議員として、日本共産党の政策を語るときにも、中央委員会が発表している政策や見解を踏まえて語ることを大切にしている。ただし、中央委員会の政策をオウム返しのように語ることはしていない。政策や見解を学ぶときに大切にしているのは、それらの論文に流れている精神を深く学ぶということだ。きちんと政策や見解で示されている考え方を把握すれば、自分の言葉で言い替えることや、角度を変えて語ることはできると思っている。
もちろん、話の内容に踏み込んでいくと、中央委員会の政策には書いていないことにも触れることがある。そういう場合は、自分自身の考え方として語ることになる。

これは書いていないことだ、というような線の引き方はしない。昨年の5月から6月にかけての安保関連法案のかつらぎ町議会における委員会の議論のときに、「戦争なんて起こらない」と保守系議員が問いかけてきた。
「まず危ないのはPKOだと専門家が指摘している。自衛隊は南スーダンに派遣されているが、ここで戦闘に巻き込まれ、命を落とす危険がある」
ぼくはこう指摘した。この時点で「赤旗」はまだ南スーダンのPKOには触れていなかったし、国会の審議でも南スーダンのPKOの議論はなされていなかった。
国会審議で南スーダンのPKOのことが問題になったのは、ぼくが委員会で語って以後のことだった。
集団的自衛権行使の問題で、最小限度の武器使用に限定するという問題についても、委員会で「そんなことは、法律の何処にも書いていない」と指摘した。この問題については、共産党の井上哲士議員が、8月の初めの質疑で指摘して追及した。
さらにぼくは、集団的自衛権の新3要件は、憲法第9条の規定とは全くリンクしていない。9条から新3要件は説明できないと指摘した。この点について国会で議論になったかどうかは確認できていない。

自分の言葉で語るというのは、自分でさまざまな角度から調べて、根拠をもって語るということでもある。もちろん日本共産党中央委員会の政策や見解をきちんと踏まえ、それを語ることはもちろん、さらに自分で調べてこれは確かだと言うことを語ってもいいと思っている。

志位さんや不破さん、小池晃さん、市田さんなど中央の幹部の方が新しい考え方を示したら、「これは新しい」と言って、自分の語りの中に加えることは多々ある。しかし、中央の幹部の方々は、新しいことを語るが、末端のぼくらのような地方議員は、誰も踏み込んでいない領域について語れないというものではないと思っている。
地方議会における日本共産党を代表した主張には、中央委員会が明らかにしていない問題がものすごく多い。地方議会という現場で、政策を発展させるためには、どうしても未知の領域に踏み込む必要がある。その際に必要なのは、徹底的な調査によって、いろいろな角度から吟味して、確信をもって語るようになることだろう。地方議員の活動は未知の領域、応用問題というのはそのとおりだと思う。
科学的な物事の認識方法を意識して、物事の歴史を踏まえ、現状を分析し、物事の連関を把握して、その物事の発展の方向も見据えて見解を明らかにする。そうすれば、大きな誤りは引きおこさないと思っている。

自分の言葉で語るというのは、自分の頭で考えるということの延長線上にある。根本的に事に通じる努力とともに「すべては疑いうる」という意味で「全てを疑え」という精神が出発においては大事だと考えている。

失敗をおそれるな、自分で答えを見いだせ。そう訴えたい。


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雑感

Posted by 東芝 弘明