『歌姫』

雑感

中島みゆきさんの『歌姫』を聴いている。何度も。8分というような時間の長さをそんなに感じない。
この歌詞に心惹かれる。
なんだろう、この感じは。
女の方が人生を深く深く生きているのだろうか。ウソについて書いた下りがある。
歌を聞いていると、男が上手に嘘をつくことをすべて知っていて、騙されたふりをして、男の嘘を楽しんでいる、というようにさえ読める。
中島みゆきさんは、景色を見るだけでなくて、その中にいる人間を見ている。歌詞の中から世界が溢れてきて、自分の気持ちがとらえられてしまう。

詩はものすごく削り込まれている。書きたいことの何分の一かに言葉を絞り込んでいる。
詩のすごさのようなものを感じる。
『歌姫』には、何度読んでも判然としないところがある。物語の主人公が誰なのかも、歌姫が誰なのかも明らかにならない。
でも曲の力なのか、歌詞の力なのか。何度も聴いてみたくなる。
港、水夫と同じように乗れなかった船、その船につながる行き先に未練を残しながら、歌姫の歌を安酒を飲んで聴いている。帰ろうとして帰れないという思いは、『ホームにて』につながる。でも『歌姫』の主人公は男のような気がしてくる。

大竹しのぶさんが歌ったことによって、『歌姫』を聴き込むようになった。22歳の時も聴いていた、優しい曲だと思っていた、自分の意識の中をさらりと流れていた、そういう曲だったはずなのに、『歌姫』のことを発見させてくれたのは大竹しのぶさんだった。
この曲は1982年の「寒水魚」というアルバムに収録されている。中島みゆきさんの歌の中で、語るようにしっとり歌う歌に惹かれようになったのは、大竹しのぶさんの魔力のような気がしている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明